第109.6話 ヴィルヘルミナの独白・その拾【後編】

「「バ、狂戦士バーサーカーが神様ぁ!?」」


 クリスとハンナが風呂場で素っ頓狂な大声を上げた。


 無理もない。


 狂戦士バーサーカーを神として祀る聖堂を作るなんて聞かされれば、誰だってこんな反応を示すに決まっている。


 シンクロー達が言ったのは、それだけ突拍子もない話なんだ。


「良かった……。二人は驚いてくれるんだな……」


「他にどんな反応があるって言うのよぉ……」


 クリスは言いつつ顔までお湯に浸かり、「ぶくぶく」と泡を出す。


「はぁ~……。やっぱり湯船があるおうちは良いねぇ……」


「ですねぇ……。この気持ち良さの前には狂戦士バーサーカーの話なんて吹っ飛びますよ……」


 余程気持ち良いのか、クリスとハンナはついさっきの話などもうどうでも良いと言わんばかりにお湯に身体を沈める。


 もう少し私が味わった衝撃を共有して欲しかったんだが……目を細めてふにゃふにゃした表情を浮かべる二人を邪魔するのも野暮というものか……。


 そもそもの話、風呂場は高嶺の花なのだ。


 自宅に作るにはそれなりの財力が必要だし、全身が浸かれる湯船に湯を張ろうと思えば、大量の薪を消費して湯を沸かすか、それとも魔法士を雇って魔法で湯を沸かすか、どちらかの方法を取らざるを得ない。


 風呂は建設費も維持費もドカ食いする金食い虫。


 富裕な者にしか味わえない贅沢品と言える。


 だから、大半の者は行水ぎょうずいで身体の汚れを落とすしかない。


 夏ならば、川や湖で水浴びするか、それとも井戸水を被って済ませるか。


 冬ならば、自宅で湯を沸かして身体を拭き、髪を濯ぐしかない。


 まあ、湯を沸かすと言っても一人当たり桶一杯分くらいが関の山だろう。


 街の中には風呂を構えた宿や銭湯もあるにはあるが、大半は蒸し風呂。


 風呂が無い宿では頼めば湯を用意してくれるが、桶一杯いくらで宿泊費とは別に料金が必要だ。


 たっぷりのお湯に浸かるなんてとんでもない話。


 そんな贅沢ぜいたく、王侯貴族や資産家が宿泊するような高級宿でもない限り望めないのだ。


 と、その時、私はある事を思い出した。


「……そう言えばクリス。お前の店には人が一人、ゆうゆうと入られる大きな桶がなかったか?」


「あったねぇ……」


「お前も魔法士なんだ。水の魔法で水を作り、炎の魔法で石が金属の板を焼いて放り込めば、一人分くらいなら簡単に湯が張れる……。わざわざ当家に来て入らなくても十分に風呂が楽しめるんじゃないか?」


 狂戦士バーサーカーの件ですっかり頭が回らなくなっていたのだろう。


 湯に浸かり、気持ちが落ち着いたおかげでようやく思い出せた。


 私の問いに、クリスはだらしない顔をしたままで答えた。


「だってここみたいに足が伸ばせないしぃ……。それにねぇ?」


「それに?」


「自分でやるのは疲れるしぃ……メンドイ」


「メンドイ……? あのなぁ、この風呂に湯を張ったのは誰だと思っている?」


「ヴィルヘルミナだねぇ」


「私はな、狂戦士バーサーカーを祀るなんて訳の分からない話を嬉々として聞かされて精神的に疲労した後、訪ねて来たお前達がどうしてもと頼むから、わざわざ魔法を使って風呂の準備をしたんだぞ? それなりに疲れたんだぞ?」


「タダ風呂って最高ぉ……」


「ク~リ~ス~……」


「まあまあまあ! 落ち着いて下さいヴィルヘルミナ様! クリスさんも悪気……はないようなあるような、やっぱりないような気がしたりしなかったりしますし!」


「ハンナ……。それでは悪気がある事になってしまうぞ?」


「えっ……? あっ! しまった!」


「お嬢様? お嬢様?」


と、そこで、風呂の外から婆やのマルガが呼ぶ声が聞こえた。


「婆やか? どうした?」


「はい。ヤチヨ様がいらっしゃいました」


「うふふふ……。失礼致しますね?」


 婆やが告げるのとほとんど同時に、一糸まとわぬヤチヨ殿が風呂場に姿を見せた。


 せっかくだから一緒にどうかと声を掛けておいたのだ。


 ヤチヨ殿は信じられないほどに早着替えをするため、風呂に来たと思った直後にはいつもこれだ。


 風呂場の外から「まあまあ! いつもながらお早い事……!」と驚く婆やの声が聞こえた。


 きっと、脱いだ服も丁寧にたたまれているに違いない――。


 ヤチヨ殿は「ご一緒させていただきますね……?」と告げると、丁寧な所作で桶を手に取り、湯を汲んで全身に隈なくかけた後、静かに湯船に浸かった。


「ふう……。ゆっくりとお湯に浸かれるなんて……有難い事です……」


 頬を薄赤に染めるヤチヨ殿。


 思わず「ほう……」と溜息が出てしまう。


「如何なさいました?」


「いや……。ミドリ殿と言い、異世界の女性は本当に美しいと思って……。肌は血色よく、髪は濡れた鳥の羽のように光輝いて……」


「お褒めいただきありがとうございます……。ですが、わたくしから見ればミナ様達こそお美しいと思いますよ? 瞳の色、髪の色、肌の色……どれをとっても日ノ本にはないものです」


「そ、そうだろうか? 髪は傷みやすいし、肌は少し血色が悪いかと思っているんだが……」


「ミナ様は元がおよろしいのです。故に細かな所を気にし過ぎてしまわれるのですよ。ところで……」


「ん?」


「クリス様とハンナ様は如何なさいました?」


「あ……ああ……これか……」


 クリスとハンナはヤチヨ殿の視線を避ける様に私を盾にしていた。


「ヤチヨ殿……。狂戦士バーサーカーについて二人から話を聞いたそうだな?」


「はい……。左様な事もありましたねぇ……。うふふふ…………」


「二人に何をしたんだ? さっきもその話になったら怯えて話を逸らされてしまった」


「大した事は何もございませんでしたよ? クリス様が『教えよっかなぁ? どうしよっかなぁ?』などと焦らすようなことを申されて、ハンナ様が『ここはお給金の上乗せで手を打ちましょう!』と悪乗りなさった以外は……。で、ござりますね?」


 ヤチヨ殿は笑顔を浮かべている。


 だがなぜだろうか?


 その場で直立不動になった二人は「はい! 問題ありません!」と叫ぶ。


「結構です……。さあ、ゆっくりお湯に浸かって下さい……」


「「はい…………」」


 二人とも、余計な事を言ったと後悔しているに違いない。


「そう言えば、先程からとても賑やかでございましたね? 良き事でもありましたか?」


 尋ねるヤチヨ殿に、シンクロー達が狂戦士バーサーカーを聖堂に祀ると言い出した一件について聞かせた。


 案の定、反応はシンクロー達と同じだった。


「良いではありませぬか。きっと『ばあさあかあ』は八幡神はちまんしんのように武士の崇敬を集める軍神いくさがみとなるでしょうね」


 この神に対する信じられないほどの敷居の低さは一体何なのだろうか?


 異世界……奥深過ぎる……!


 あっ! そうだ思い出した! 戦だ戦!


「ヤチヨ殿! ちょっと教えて欲しい事があるんだが!」


「はい?」


「実はシンクローが『戦はり』だと――――」


 詳しい成り行きを話すと、ヤチヨ殿は「不思議はございませんよ?」と微笑を浮かべた。


「異界へ流れ着いてからまだ三月みつきも経っておりません。ですが、この短い間に大きな戦が二度もあったのです。うちの一度は三野に攻め込まれました。お陰で田畠は荒らされ、麦の種蒔きも邪魔されたのです」


 ヤチヨ殿は異界の農業事情や食糧事情を説明する。


 食糧の確保に問題があるなら、確かに戦どころではない。


「このままでは春先の飢饉ききんを心配せねばなりませぬが、辺境伯領で乱取り致す訳にも参りませぬし……ね?」


「『ランドリー』は……りゃ、略奪と言う意味ではなかったか!? ぜ、絶対に止めてくれ!」


 冗談……のつもりで言っているのかもしれないが、慌てて止めに入った。


 シンクロー達と戦って勝てる気などしない。


 味方であればこれほどまでに頼もしい者達もいないが、敵となった時にこれほど恐ろしい敵もいない。


 私が一番よく分かっているつもりだ。


 ヤチヨ殿はどういうつもりか、はっきりした事は言わずに「うふふふ……」と意味ありげに笑うだけだ。


「頼むぞ? 本当に……本当にそれだけはやめて欲しい!」


「分かっておりますとも。若にも左様なおつもりなどござりませぬ。他から奪わぬならば、家中にも百姓にもこれ以上の無理はさせられませぬ。休ませる時間が必要だと、若はお考えなのでございましょう」


「それ自体は適当な判断だと思う……。思いはするが、あの時のシンクローの口振りは、しばらく戦を取り止めるというだけじゃない。出来ればもう、戦はしたくないと言いたげだったような……」


「道理にござりますね。戦などやらぬに越したことはありませぬ」


「えっ!?」


「何故驚かれます? 異界では好んで戦をなさるのですか?」


「そ、そんな事はないが……。でも本当に?」


「もちろんにございます。戦は致しとうて致すものではございませぬ。致さざるを得ぬから致すのです。戦はいとうべきもの。避けられるならば避けるものにございます」


「し、しかし! 戦の度にシンクローもその家臣も……何と言うか……そう! 活き活きだ! すごく活き活きしていた! 死を恐れず、まるで戦に魅入られたかのようだった……」


「戦は厭うものなれど、死を厭うは武士にござりませぬ。一度ひとたび戦に臨むならば一所懸命に戦うのみ。御家の興隆はこのときにあるのでござります」


「……戦を厭がる事と、活き活きと戦うことは両立する……と?」


「左様にござります」


「…………」


 一つ分かった事がある。


 複雑過ぎてさっぱり分からない! という事がな!


 クリスとハンナも顔を見合わせ、頭の上に疑問符を浮かべている。


 私達の顔を見たヤチヨ殿は「そのうち分かる事もございましょう」と楽しそうに笑うのみだ。


「でも、本当に戦はりにござりますね。八千代も左様に思います。逆らった者共の仕置しおきが済まぬ内に、やれ糾問使きゅうもんしだ、やれ冒険者組合だ、やれ飢饉ききんの心配がある、と……。次から次へと困ったものです。戦をする暇などござりません」


「そうだな……。たしかに頭の痛い問題ばかりだ」


「ですが、若ならなんとかして下さるやもしれませぬ。八千代は信じております……」


 温かな目で笑みを浮かべるヤチヨ殿。


 シンクローを心の底から信じているのだと、強く感じさせる。


 そしてヤチヨ殿が信じた通り――――ではなかったが、私達の前に突き付けられた数々の問題は思わぬ形で解決していくことになる。


 シンクローが厭う戦を伴って、な…………。

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