合戦29日前

第105話 「お姉様……!」ストーカーは生まれ変わった

「数々の御無礼、平に御容赦下さいませ……」


 『すとうかあ』騒動の翌日。


 ネッカー辺境伯邸の一室で、カロリーネは優雅な所作で頭を下げた。


 ミナに対する無礼な振る舞いから、クリストフに対する『すとうかあ』まで、すべての行いを謝罪したのだ。


 別人同然のカロリーネの態度に、ミナは開いた口が塞がらぬ有り様。


 クリストフに至っては、カロリーネのあまりの変わり様を目の当たりにして、恐怖の念はすっかり抜け落ちたのか、腰の力が抜けてその場にへたり込んでしまった。


 昨日、騒動の場に居合わせた近習達も戸惑いを隠しきれない様子。


 唯一、左馬助だけは、訳知り顔で「うんうん」と頷いている。


「どこか憑き物が落ちた気が致します……。今までのわたくしは愚かとしか言いようがありませんでした。どうしてあのような行為に及んだのか……」


「うむ……」


「皆様にお許しいただけるまで何度でもお詫び申し上げます。詫びて済む話ではないとおっしゃるなら、この命を以って――――」


「――――いや、詫びならばもう十分よ」


「では……」


「此度の件、俺は水に流してもよかろうと思う。ミナとクリストフは如何か?」


「あ? ああ……問題ない……」


「僕も……です……」


「まあ……! ありがとうございます! ありがとうございます! 皆様の御慈悲、生涯忘れることはありません!」


 瞳に涙を浮かべながら、何度も礼を繰り返す。


「良うございましたね? カロリーネ様?」


「はい……。何もかも、お姉様のお力添えがあってこそ……。わたくし一人では、到底成し得ぬことでした……」


「うふふふ……。左様に喜んでいだけるなんて……。八千代は嬉しゅうございます」


「お姉様……!」


 感極まり、八千代に縋り付いて涙を流すカロリーネ。


 八千代は八千代で、優し気な笑顔を浮かべてカロリーネの背を撫でている。


 一方、ミナとクリストフは「腑に落ちない……」と言いたげな顔だ。


「シンクロー……。あれは本当にカロリーネ殿なのか?」


「彼女の皮を被った偽物なんじゃ……」


「間違いあるまい」


「ヤチヨ殿は一体何をしたんだ?」


「申しておったではないか? 『ナニ』をしたのだろうよ」


「さっぱり分からないのですが……」


「皆様? よろしゅうござりますか?」


「「……!」」


 八千代に呼び掛けられ、ミナとクリストフは怯えたように身体を震わせた。


「如何した?」


「カロリーネ様から、マルバッハ男爵家の仕置についてお申し出があるそうで……」


「ほう? 面白い。申してみよ」


 俺が促すと、カロリーネは「発言をお許し下さり、ありがとうございます」と一礼してから話を始めた。


「この度、我が父はブルームハルト子爵とモーザー筆頭内政官に組し、跡継ぎたる兄をはじめ、親類縁者、家臣の誰一人諫めることなく従いました。何ら非のなきアルテンブルグ辺境伯に楯突いたこと、万死に値します。当家は如何なる御沙汰もお受けする所存にございます」


「見事な覚悟であるな。だが、左様に逸る事もあるまい。虜とした者は、詫料わびりょうを支払えば解き放つ事としておる」


「本当ですか!? 父と兄をお許し下さるのですか!?」


「くっくっく……。覚悟は見事であったが、やはり父と兄の命が助かるのは嬉しいか?」


「はい……。わたくしにも肉親の情というものがございますから……」


「だが、詫料は安くはないぞ」


「如何程をお望みなのでしょう?」


「当主は金貨二千枚、跡継ぎは金貨千枚、合わせて金貨三千枚だ。銅貨一枚たりとも負けることは出来ぬ」


 ミナが「ヴァイプ騎士爵の十倍以上じゃないか……」と呟く。


 カロリーネは少し考えた後、口を開いた。


「……分割でお支払いする事は可能でしょうか?」


「構わぬ。ただし利息はいただくぞ? 残金に対し、月に三割程度はな」


「月に三割……。いえ、楯突いた事を思えば当然の報いですね。助命いただけるだけで良しとしなければ……。ですが、とても払いきれそうにありません」


「然らば如何する? 父と兄の首を落とすか?」


「いえ……。足りぬ分は当家の領地を以って代価と致します」


「良いのか? 領地を失えば貴族の体面は保てまい? これまでのような生活も望めぬぞ?」


「貴族が真に重んじるべきは、外から見える体面ではございません。己が内に秘めた矜持にございます。たとえ路頭に迷おうとも、矜持を胸に再起を期せば、開かれる道もあるでしょう。もしも父と兄が体面を云々うんぬんするならば、貴族の名誉を汚す前に潔く自害せよと申します」


 躊躇うことなく断言するカロリーネ。


 かすかに「わたくしはお姉様さえいれば……」と呟く声が耳に入った。


 ふむふむ……。八千代め、ようもここまでらしたものよ。


 ミナとクリストフには、呟く声は届かなかったらしい。


 呆気に取られるばかりで口も利けない。


「ますます以って見事なる覚悟。マルバッハ男爵家の領地で手を打とう」


「ありがとうございます」


「……惜しいな」


「え?」


「其方の様に天晴な心意気の女子おなごを路頭に迷わせるのは本意ではない。其方、辺境伯家に仕えてみぬか? なんなら当家でも構わぬぞ?」


「それは……」


「気が進まぬか?」


「とんでもありません! その……サイトー家にお仕えすれば、お姉様と一緒にいられますか?」


 熱っぽい視線を八千代に向けるカロリーネ。


 八千代が「くすくす」と小さく笑う。


「そうさのう……。其方の力次第、働き次第、と申したところかのう?」


「ありがとうございます。サイトー様が仰らなければ、わたくしからお願い申し上げようと思っていたのです。喜んでお仕えいたします!」


「良し。では細かい話は後だ。其方には、早速やってもらいたい仕事がある」


「何なりとお申し付けください!」


「仕事とは他でもない。糾問使の件だ」


「わたくしが……」


「左様。其方がゲルトルート皇女に願い出た件だ。叶うならば今からでも糾問使の派遣を止めたい。止めることが出来ぬなら、せめて辺境伯家と斎藤家にとって有利な状況に持って行きたい。故に、其方には願いを取り消す書状を帝都へ送ってもらう」


「お任せ下さい! ただちに取り掛かります!」


「頼もしいことだ。期待しておるぞ?」


「はいっ!」


「近習衆! 右筆ゆうひつの元へ案内してやれ!」


 近習衆は互いに顔を見合わせ、結局は筆頭の春日源五郎が進み出た。


 まだ釈然としない顔のまま、カロリーネを別室に連れて行く。


 二人の姿が消えてしばらく経ったところで、八千代がミナとクリストフに話し掛けた。


「角が取れれば愛らしい御方でござりましょう? 今後は仲良くしてやって下さりませ」


「あ……いや……すまない。まだ整理できない……。感情が追い付かない……」


「本当に……本当に偽物ではないのですよね?」


「正真正銘、御本人にござりますよ」


「たった一晩だぞ……? たった一晩で人格が変わるとは……」


「しかも良い方向にです……。拷問で人の心を壊すと聞いたことはありますが……」


「人の心を壊すより遥かに難しい事なんじゃないか……?」


「あの……。ヤチヨさんは、実は特殊な魔法が使える……とか?」


 二人の反応に、八千代は口元を着物の袖で隠しながら笑う。


「いえいえとんでもござりません。ほんの少し、ちょっとした道具に頼ったのでござります。あとは術の習熟具合……でございましょうか?」


「術……?」


「あら? ミナ様には、以前さわりだけ体験していただいたと思いますが?」


「さわり…………あっ! あの身体が動かなくなる……!」


「左様です。此度はさらに難解な技となりますが、カロリーネ様は術の掛かりやすい素直な性格で助かりました。ひねくれたお方や疑り深いお方だとまったく効き目がありませんので」


「その術……で性格を変えたんですか?」


 問われた八千代が意味ありげに笑った。


「変えた、と申すより、余計な性格を眠らせたのです。凡そは……」


「あの……。その言い方だと、眠らせだけではないように聞こえるんですが……」


「うふふふ……。気になさる程ではござりませんよ? カロリーネ様は素直なお方だと、先程申し上げたでしょう? 本性は善に傾いたお方なのですよ。良き育ち方をしていれば、八千代が術をかけずとも、あのように出来た女性にょしょうにお成りだったはずにでござります」


「……眠った性格が起きることはないんですか? 何かのきっかけで……」


「わたくしが意図して起こさなければ起きません。死が二人を別っても、解けることはないでしょう」


「そ、そうなのか……。ところでその……つかぬ事を訊くんだが……」


 ミナが言い難そうに、もじもじしながら尋ねた。


「カロリーネ殿のあの様子は……同性同士の……その……」


女色じょしょくにござりますか?」


「うっ……! そ、そうだ……。あのヤチヨ殿を見詰める熱を帯びた目……。クリストフ殿を諦めた代わりに、別のものが植え付けられたのでは、と……。そうだとすると、それはやり過ぎなのでは……?」


「…………」


「ヤ、ヤチヨ殿……?」


「うふふふ……。さあ? どうなのでございましょうね? 術をかける過程でわたくしに対する服従――もとい依存心を高めましたので、単に姉と頼りに思う気持ちが強く表れ出でているだけなのかもしれませぬ。それとも……うふふふ……」


「八千代は思わせぶりに申しておるがのう、かつてはクリストフに恋心を抱いておったのだ。女色など気にし過ぎであろう?」


「そ、そうか? それならいいんだが……」


「しかし、長年に渡って無礼を働いてきた相手を気遣うとは……。真に、其方は心映えの清らかな女子おなごよのう」


「え…………?」


 ふと心に思った事を口にしただけなのだが、ミナは頬を桜色に染めてしまった。


「うふふふ……。晩秋の桜もよろしゅうござりますね?」


「うむ。見事に咲いて――――」


 ドンッ!


「きゃああああ!」


「おっと……!」


 真下から突き上げるような揺れ。


 悲鳴をあげ、転びかけたミナを咄嗟に支えるが、揺れは一回きりですぐに収まった。


「ふむ……。これはまた、誰かが来たのかもしれんのう」


「あの……シンクロー……」


「ん? おっと済まぬ。抱き心地が良くてつい」


「……!!!!!」


 気付けば強く抱き締めていた。


 ミナの頬は桜を通り越して紅葉もみじの色に変わっていた。

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