ある一騎士の手記 1ページ 帝国歴402年11月16日・昼

帝国歴四〇二年十一月十六日・昼  

ネッカー川河口 東岸にて記す



 私の名はエトガル・ブルームハルト。


 アルテンブルク辺境伯家に仕える騎士だ。


 万が一の事態を考え、この手記を残す。


 拾った者は、領都に住む我が妻コルドゥラの元に届けて欲しい。


 妻と生まれたばかりの我が子の為、こうなった経緯と私の見聞きした事を余さず記しておきたい。


 そもそも当家はアルテンブルク辺境伯領の西隣に領地を賜ったブルームハルト子爵家の分家である。


 分家と言っても、八代前の当主の末弟が当家の家祖かそであり、貴族の身分を失って久しい。


 高祖父こうそふの代にアルテンブルク辺境伯家に出仕し、かろうじて騎士の地位は保ち続けて来た。


 私も一族の例に漏れず騎士として辺境伯家にお仕えした。


 だが、私が出仕した時代の辺境伯家は混乱を極めていた。


 当代辺境伯の伯父たるゲルトが政治をほしいまま壟断ろうだんし、家臣は汚職と蓄財に走り、ブルームハルト子爵家をはじめ寄騎貴族は自家の利権確保のみに執心した。


 領民は誰もが鬱屈うっくつし、憤懣ふんまんを溜め込み、これが頂点に達しつつあった時、大きな変化があった。


 大地震と共に忽然と姿を現したサイトーなる人物とその軍隊は、当代辺境伯の信頼を得て、瞬く間にゲルト討ち果たし、領内の政治を一新せんとした。


 しかし、汚職に染まった家臣達と利権に浸かった寄騎貴族達は結託してこれに対抗。


 辺境伯や夫人、御令嬢が乱心なされたと吹聴し、サイトーこそ全ての元凶と訴え挙兵した。


 私もまたその陣営の中にいる。


 だがしかし、これは私の本意ではない。


 我らをお守りくださる神々と大地に宿る精霊、そして我が祖先に誓って私の本意ではない。


 私は大いに後悔している。


 従兄弟であるヨハン・ブルームハルトが「自分は辺境伯へ出仕を願い出る、君もどうだ?」と誘ってくれた時、一も二も無く賛同してネッカーへ赴けば良かったのだ。


 年老いた父母や年若い弟妹は、素性の知れないサイトーに不安を覚え、容易に賛成してくれなかった。


 賛成してくれたのは妻のコルドゥラ唯一人。


 ああ、コルドゥラ。


 私は後悔している。


 家族の中で賛成したのはたった一人。


 だがそれは、他ならぬ君だった。


 愛する君が賛成してくれたなら、何も恐れる事は無かったのだ。


 父母や弟妹の首に縄を掛けてでも、無理やりネッカーに連れて行くべきだった。


 挙兵があと十日……いや、三日遅ければ私達家族は全員揃ってネッカーの地にあっただろう。


 サイトーの評判は日を追うごとに高まっていた。


 領都にいた同僚の騎士や役人にも、ネッカーへ走る者が続出していた。


 父母や弟妹も考えを変えようとしてくれていた。


 戦機せんきを察する事の出来なかった私の無能を恥じるしかない。


 コルドゥラ、君には謝るしかない。


 情けない私を笑ってくれ。


 とてもではないが生きて帰る自信が無いのだ。


 軍勢がビーナウ近郊に達した直後、サイトーの本領であるミノに攻め入りことが決まった。


 上官達は、ミノがもぬけの殻だと言っている。


 何処からかは分からないが、そんな情報が入ったらしい。


 敵の留守を突き、動揺を誘うのだと言う。


 あわよくば、ミノの財貨は思いのままに手に入ると、兵を鼓舞している。


 大いに士気を上げる者もいるが、私は楽観的な気分になれない。


 先のネッカーの戦に参陣した者は誰でもそうだろう。


 サイトーは倍以上の我が軍を前に臆する事は無かった。


 魔法師がほとんどいないにも関わらず、何ら不自由なく戦っていた。


 テッポーと言う正体不明の武器を用い、目にも止まらぬ速さで鉛のつぶてを飛ばし、数多くの者が傷を負った。


 テッポーの轟音が響くたび、兵は肩をすくめて立ち止まり、馬達は冷静さを失った。


 弓の命中精度は神懸かっており、遥か彼方から兜の覗き穴に矢を命中させた。


 歩兵が信じられないほど長大な槍を自在に操り、一薙ぎごとに数十人が頭を砕かれた。


 騎兵は小さいが筋骨逞しい馬を乗りこなし、その馬術は例外なく達人級だった。


 彼らが振るうカタナとか、タチとか言うらしい細剣は、我々の両刃剣と比べて貧弱で耐久性に劣るとしか思えないのに、人の腕も、足も、首さえも簡単にね飛ばした。


 何より恐ろしかったのは、全ての兵が命を捨てたかのような形相ぎょうそうで、狂ったように叫びながら攻め込んで来た事だ。


 我が軍は散々に翻弄され、士気を喪失し、甚大な被害を受けて敗北した。


 彼らは一体何者なのだろう?


 御伽噺に聞く、神の軍隊なのかもしれない。


 あるいは太古の昔に滅んだ魔法帝国の軍隊だろうか。


 それとも帝国建国の英雄たるホーガン様が率いた軍隊なのだろうか。


 とにかく私が言いたいのは、彼らとは戦ってはならないと言う事だ。


 戦うなら十倍の兵力が必要となるに違いない。


 上官達は、我が軍が七千の兵を集めたのに対し、敵はせいぜい二千数百で、攻者三倍の法を満たしているから心配はないと豪語しているが、怪しいものだ。


 ミノがもぬけの殻という情報も実に怪しい。


 何かの罠かもしれない。


 少なくとも、にわかに入手した情報を頭から信じて、ろくな作戦もないまま敵の本拠地に攻め入るなんてどうかしている。


 機会主義もここに極まれりだ。


 今は拙速を貴ぶ時じゃない。


 臆病なまでの慎重さが必要なのだ。


 石橋を叩いて、叩いて、叩き通して、それでも渡らず、さらに叩き続けて石橋を破壊し、罠が隠されていないか確かめて、最後には船で渡るくらいの慎重さが必要だ。


 にも拘らず、私の目の前に広がる光景は、慎重さとはかけ離れた光景だ。


 冬間近のこの季節に、兵士達は何の準備もないままに川を渡らされた。


 身を斬る様な冷たい水に、胸まで浸かりながら川を渡ったのだ。


 船は僅かで、騎士である私にすら配分される事は無かった。


 兵士達は濡れた軍衣もそのままに、寒さに震えている。


 火を起こすまきにも事欠き、僅かな焚き火に身を寄せ、手と手を擦り合わせ、足踏みしながら耐えている。


 これが戦に臨む軍隊の姿なのだろうか?


 我が軍の士気は既に失墜している。


 もちろん私も…………。


 コルドゥラ、臆病で不甲斐ない私をなじってくれ。


 こうして書いていないと恐怖と不安に押し潰されそうだ。


 部下の前では体面を繕っているが、それも何時までもつだろうか?


 私は今ほど騎士であった事を後悔した事は無い。


 君の元に帰りたい。


 何もかも忘れてベッドに潜り込み、君の胸に抱かれて眠ってしまいたい。


 ………………………そうだ、私は君の元に帰りたいのだ。


 君の元に帰るのだ。


 事ここに至っては、覚悟を決めるしかない。


 少し周囲を見渡してみた。


 副長のバルトルト軍曹は、怯える若い兵をどやし付けているが、いつもと違って声が少し上ずっている。


 従卒のティモは口元を引きらせながらも、必死に明るい表情を作っていた。


 彼らは懸命に職責を全うしようとしている。


 それなのに、小隊長たる自分の惰弱さは何たる事だろう。


 彼らが職責を果たすのと同様に、私も私に与えられた職責を果たさねばならない。


 私に出来る事は何かをしっかり考えるのだ!


 私に出来る事は……今回私がすべきことは…………彼ら部下達を犬死にさせることなく、家族の元に帰してやる事だ!


 そして私も家族の元へ帰るのだ!


 ――――ペンを走らせる時間もそろそろ終わりだ。


 最後の部隊がネッカー川を渡り終えた。


 上官達が「全軍隊列を組めっ!」と叫んでいる。


 時刻は間もなく昼。


 口に入れたのは僅かな水と堅パンのみ。


 次にこの手記を開くのは、私が生き残っていれば今日の夜だろう。


 必ず生き残って見せる。


 コルドゥラの元へ帰るために!

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