第78話 「用意の良い事だ……」ミナは呆れ半分、感心半分で呟いた

「あれは……楯が動いていないか?」


 ミナが東軍を見遣る。


 ヨハンが「こちらもです!」と西軍を指差した。


 陣内と陣外を隔てるように並んでいた置楯が、言葉戦いの間にジワリジワリと両軍の間合いを詰めるように移動している。


 牛の歩みのようにゆっくりとした目立たない動きだが――――。


「悪口雑言で敵方の注意を引き付けている間に、自軍にとって有利な陣形に移ろうとしているのだ。まあ、両軍共に同じ考えなのであろうがな」


「それでは勝負が付かないじゃないか」


「焦るな焦るな。戦はまだこれからだ。ゆっくりと見物しようではないか」


 やがて東軍の置楯一枚一枚に徒歩かち衆が付き、地面に置かれていた楯を一斉に持ち上げた。


 そしてネズミ一匹通さぬ程に楯と楯との間の隙間を詰める。


 置楯の端に付けたかぎと鉤とを繋ぎ合わせ、左右の動きを合わせて前へと進み始めた。


 西軍から見れば楯の壁が迫り来るように見えよう。


 俺達のように高所から見渡せば、あたかも一匹の蛇が動き出したかに見える。


 一方、西軍も同じく置楯を持ち上げたが、こちらはかぎを繋ぎ合わせた様子がない。


 そのせいか、楯の並びは不揃いと言わないまでも少し緩いように見えた。


「同じ異世界の軍勢なのに楯の持ち方が違う?」


「東と西の軍勢は出身地が異なると聞きました。そのせいでしょうか?」


「所変われば戦に対する考えも自ずと異なるからな」


「所変われば、か。そう言えば、両軍の編成が随分違うな。西は東に比べてテッポーが多くないか?」


「うむ。東軍の鉄砲衆は百二十だが、西軍は百八十だな」


 楯の列に続くのは鉄砲衆。


 東軍の四組・百二十人に対し、西軍のそれは六組・百八十人。


 西軍の方がより厚く鉄砲を備えている。


 火縄が上げる白煙も、西軍の方が明らかに濃い。


 同じ話は徒歩かち衆にも申せる。


 東軍の二組・六十人に対し、西軍は三組・九十人だ。


「西軍は東軍に比べて前線の兵力が明らかに多くないか?」


「はい。東軍は前線から後方まで各兵種の兵をバランスよく配置していますが、西軍は前線に兵力が偏っていますね」


「双方の考える戦法が違うのだろうか?」


「まだ分かりませんが、そうではないかと思います」


「前線に兵を手厚く配置するなら……早期に敵を突破しようとしている?」


「しかしテッポーは飛び道具です。飛び道具だけで敵の突破は困難ではないでしょうか?」


 ミナやヨハン、騎士達は東西両軍が採るであろう戦法をあれやこれやと論じ、談義に花を咲かせている


 一方、母上と辺境伯夫人はいつの間にか桟敷さじきへ移動し、菓子を片手に談笑していた。


 佐藤の爺や左馬助、八千代も弟妹共の相手をしながら高みの見物を決め込んでいるようだ。


 何を話しておるのか知らんが盛り上がっているようだ。


 そうする内に、始めは三町ばかりあった東西両軍の間合いは二町ほどに縮まった。


 言葉戦いもいつの間にか終わり、前進を続ける楯の真後ろに鉄砲衆が陣取った。


 しきりに火縄の具合を確かめているようだ。


 さらに間合いが詰まれば鉄砲戦てっぽういくさの始まりかのう?


 まさにその時、新たな動きが戦場で起こった。


「あっ! 西軍の陣が乱れているぞ!」


「陣内に何かが投げ込まれています!」


 西軍の兵に何かが当たり、パッと粉の様なものが飛び散った。


 一つ、二つではない。


 次々と間断なく投げ込まれている。


 よくよく目を凝らしてみると、河原のあちこちに点在する草むらや岩の陰に東軍の兵と思しき者達の姿がチラチラと見えた。


「いつの間にあんな所に伏兵が!?」


「互いの悪口を言い合っていた間にでしょうか?」


「うむ。草むらや岩陰を利用して秘かに近付いたのだ」


「まさか悪口雑言は兵が近付くのを隠すため?」


「目的の第一は敵を挑発するためだろうが、自軍の動きを誤魔化す目的もあろうな」


「なるほど……。ところであれは何を投げ込んでいるのでしょうか?」


 ヨハンが手でひさしを作りながら伏兵達の動きに目を遣った。


伏兵達は白く長い布の片方を右手首に結び付け、拳大の丸い物を布で包んだ。


 そして結びつけた方とは反対側の布の端を握り、ブンブンと回転させて勢いを付けた後、手に握った布を放す。


 すると布に包んだ拳大は西軍の陣へと飛んで行き、兵に当たって粉のような物が飛び散った。


「あれは石合戦だ」


「石合戦? 石の投げ合いだって?」


「左様。本物の石だと当たり所が悪ければ死人が出る。石の代わりに布か紙で砂でも包んでおるのであろう」


「ただの石も武器になると言う事か……。しかし石の投げ合いで相手に大きな損害を与えられるのか?」


「もちろん石合戦だけでは勝負などつかん。石を投げる伏兵の数も多くはない。此度こたびの石合戦は敵への嫌がらせであろうよ」


「嫌がらせ?」


「飛んでくる石の数が少なかったとしても、自分に当たるかもしれぬと思えば兵の動きは鈍ろう?」


「あっ! そうか! 敵の動きを妨害できればそれで良いのか!」


「敵に手負いが出れば儲けもの、程度で構わんのだ。ただし、攻める側にとってはそれで良くとも攻められる側にとっては厄介よな。小勢と言えども無視は出来なくなる。その結果――――」


 ダダ――――――――――――ンッ!


 ――――東軍との間合いが十分に詰まっていないに関わらず、西軍の鉄砲衆の一隊が鉄砲を放ち始めた。


 狙いは草むらや岩陰に隠れる伏兵だ。


 数十挺の鉄砲に狙われては敵わないと伏兵達は石合戦を止め、清々しいほどあっさりと自陣へと逃げ帰った。


 あらかじめ反撃を受けたら逃げると決めておいたのであろう。


 見事な引き際だ。


 東軍は石を投げ込んだだけで西軍の動きを乱したのだ。


 石合戦の間に東軍は間合いを詰め、東西両軍の間は一町ばかりに縮まった。


 ダダ――――――――――――ンッ!


 ダダ――――――――――――ンッ!


 ダダ――――――――――――ンッ!


 ダダ――――――――――――ンッ!


 ダダ――――――――――――ンッ!


 東西両軍が次々と鉄砲を放ち始めた。


 弾を込めずに空砲を鳴らしているだけだが、凄まじい轟音が河原に響く。


 硝煙しょうえんがもうもうと上がり、俺達がいる所まで火薬の匂いが漂った。


 見物衆はやんややんやと喝采かっさいが上げているが、両軍が鉄砲を放つ勢いには大差がないように思えた。


 順当に考えれば数で勝る西軍の方が激しく撃ちかけるところであろう。


 動きを乱された分だけ西軍が鉄砲戦てっぽういくさに集中出来ていない。


 一騎打ちに続いて鉄砲戦てっぽういくさも東軍有利か。


 さらには鉄砲戦てっぽういくさの間隙を埋めるように両軍の弓衆も矢を射始めた。


 味方へ矢を射込む訳にはいかぬから、人のいない川へ向かってだがな。


「矢も放つのか? 本物の戦さながらだな」


「ですが矢もタダではありません。川へ向かって放つのは少し惜しい気がしますね……」


「いや、そんな事は無いぞ。下流を見てみよ」


「下流?」


「何かあるので……あっ!」


 下流の方では、小舟に乗った者達が網を仕掛けて流れて来た矢を集めて回っている。


川立かわだちの衆に命じて矢を集めさせている」


「カワダチ?」


「川で生業なりわいを営む者達の事だ。魚を獲る漁師もいれば、材木を運ぶ筏師いかだしもいる。水に濡れると矢羽根は痛もうが、手入れをすれば再び使えよう」


「まったく用意の良い事だ……」


 ミナが呆れ半分、感心半分といった顔つきで溜息をついた。


 そしてその間に、両軍の間合いは一町を切っていた。

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