第67話 「吠え面かかせてあげるからぁ」クリスは魔法の杖を構えた
「クリスちゃん……帰って来たのね……?」
黒い装束に、これまた黒く尖ったつば広の帽子。
クリスそっくりな格好に、クリスによく似た容姿の女が瞳に涙を溜めている。
「ママ……」
同じく瞳に涙を溜めて呟くクリス。
『まま』とは異界の言葉で母親の意味だったはず。
なるほど。
この女がクリスの母親か。
仲がよろしくないとは聞かされていたが、再会の様子からはそんな気配は
だが、女の隣に立つ男――おそらくクリスの父親と思われる大柄な男は、まるで化け物にでも遭ったかのように恐怖に歪んだ顔をしていた。
クリスとその母親を怯えた目で何度も見返し、ジリジリと
一体如何したと――――。
「帰って……来たのね……?」
「そろそろぉ……いいかなってぇ……」
「そう……。なら、覚悟しているのね?」
「もちろんよぉ……」
む? 何だ? この雰囲気は?
二人共、涙を目に溜めている事に変わりはないが、雰囲気がおかしい。
これではまるで戦の前か、果し合いの前か。
いずれにしても、尋常ではない。
左馬助、八千代、弾正に近習衆は、この
ミナが慌てて俺の袖を掴む。
「すまないシンクロー! 私の認識が甘かった! 急いでこの場を離れて――――!」
「――――それならもう言葉は必要ないわねっ!」
ミナの言葉が終わらない内に、
「当たり前よぉ!
「抜かしたわね!? 小娘にやられるほど落ちぶれていないわっ!」
「誰が小娘よぉ! 吠え面かかせてあげるからぁ!」
「吠え面ですって!? ほざくようになったじゃない!?」
「言葉はいらないんでしょう!? さっさとかかって来なさいよぉ!」
「上等! 消し炭にしてあげるわ!」
「こっちは全身の血を沸騰させてあげるからぁ!」
二人同時に魔法具の杖を構えた。
クリスの杖は雷光の如き輝きを発し始め、母親の方は燃え盛る
まずい!
こ奴らこんな
「止めんか馬鹿者!」
「な、何すんのよぉ!?」
クリスを羽交い絞めにして、杖を取り上げる。
「か、返してよォ! ママに負けちゃう!」
「案ずるな。ほれ、見てみよ」
指差した先では、左馬助と八千代が二人がかりでクリスの母親を抑え込んでいた。
「ちょ……! あなた達は誰!? 放しなさいっ!」
「そうは参りません」
「若をお守りせねばなりませんので」
「まさか……クリスのお友達!? ダメよ! いくらお友達でも
「対話……にござりますか? 町中で魔法を撃ち合うのが?」
「異界の
「とにかく放しなさい! 杖を返しなさい!」
「まずは落ち着いて下さりませ」
「暴れないで下さいまし」
「あなた達が放せば済む事で――」
「いかんな八千代。凄まじい力だ。このままでは振りほどかれる」
「致し方ござりません。眠っていただきましょう」
「え? な、何を――――うっ!」
左馬助と八千代は何をしたのか、クリスの母親くぐもった声で呻くと首をガクリと落とし、静かになった。
「ママ? ママ? いやあああああ! ママが死んじゃったぁああああ――――!」
「お主もやかましい。しばし眠っておれ」
「――――へ? むぐふっ!」
腕をクリスの首に回して強く締め、失神させた。
「ふう……。おい、ミナよ。何なのだ? この母娘は?」
「魔法師の親子ゲンカはとても激しいものなんだ。なまじ魔法を使えるだけに、親子ゲンカで魔法の撃ち合いになることも多い。クリス達もその例に漏れず――どころか、特に激しい方だと思う」
「魔法の撃ち合いをしばしばだと? 冗談ではないぞ! 何と危ない事をするのだ!」
「いや、異世界の
「どうして呆れ顔なのだ? 俺が何かしたか?」
「……何でもない」
「そうか? それより、どうして前もって教えてくれなかった?」
「クリスが家を出てからもう二年経つ。さすがにほとぼりも冷めたかと……。クリス自身も心配するなと――――」
「あ、あのう……」
「む? お主は――」
「マルティン・シュライヤーと申します。娘のクリスと妻のカサンドラがご迷惑をお掛けしました……」
マルティンは、船乗りのように日焼けした大柄な身体を小さくして頭を下げた後、「ご無沙汰しております」とミナに挨拶した。
「とりあえず当店にお越しください。ここでは何ですので……。お連れの皆様も……」
マルティンが周囲を見回す。
時ならぬ争いに、周りには野次馬が集まり始めている。
こんな場所で悪目立ちするつもりはない。
マルティンの申し出を受け入れて、港沿いに町を進む。
ちなみに、クリスは八千代が、母親のカサンドラは左馬助が、まるでズタ袋でも運ぶようにして肩に担いで運ぶ。
「着きました。こちらです」
辿り着いたのは実に間口が大きく、しかも三階建ての
玄関先に掲げられた看板には『シュライヤー商会』と記されている。
「お主、先程マルティン・シュライヤーと名乗ったな?」
「え? ええ。それが何か?」
「クリスはローゼンクロイツと名乗っていたぞ。どちらが正しい?」
「ああ……ローゼンクロイツは義母――クリスの祖母の姓です。きっとカサンドラへの当てつけでしょうね。クリスは義母を尊敬していますが、カサンドラは義母との母娘仲がとても悪かったので……」
「左様か。ところでお主、良い体つきをしておるな? 肌もよく焼けておるようだし……商人より船乗りに見える」
「元々船乗りなのです。今でも船に乗って各地へ取引に参りますから……。さあ、どうぞ中へお入りください」
とりとめのない話をしつつ店へ入る。
建物が大きいだけではなく、中では数多くの者達が忙しそうに立ち働いていた。
店の奥へと進むと、応接用と思われる一室にと通された。
マルティンは俺達に椅子を進めると、自身は軽く腰を折って挨拶をした。
「改めまして、マルティン・シュライヤーと申します。このビーナウにて、商会を営んでおります」
「御挨拶痛み入る。ところでこちらはまだまだ名乗っておらなんだ。失礼をした」
「いえ、挨拶を交わす間もなくあの場を離れましたから……。それに、お名前はよく存じております」
「何?」
「アルテンブルク辺境伯家の陣代となられたサイトー・シンクロー様でしょう? お越しになるのを、首を長くしてお待ちしておりました……」
左様に申しつつ、マルティンは頭を上げる。
先程までのオドオドした態度は何処へやら。
その顔は、不敵に笑っていた。
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