第66話 「嘘を真の如く操ってこそ忍び」八千代は悪びれる事なく答えた

「あははははははははははは!」


 ネッカー河口の港町ビーナウへ辿り着いた直後の事。


 衆道しゅどうやら両刀遣いの話をミナから聞かされたクリスは、腹を抱えて笑い始めた。


「あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」


 笑い過ぎて息が続かず、おかしな笑い声に変じていく。


「うひひひひひひひひ……! あ~も~! 死ぬ! 笑い死ぬぅ! うひっ……いひひひひひ……」


 クリスは笑いを堪えつつ、俺の顔を見た。


「シ、シンクローって両方いけるクチだったのぉ?」


「やかましいわっ!」


「だ、だってぇ……くふふふふふふふ……! ふーっ、ふーっ……はあ、もうダメだわぁ……ぐふふふふ……」


 何とか笑いを抑え込み、呼吸を整えた。


「ご、ごめんなさいってぇ……。アタシはそんな馬鹿馬鹿しい話なんて信じないからぁ」


「……ならば良い」


「でもねぇ、いくらショックだったからってぇ、頭から信じちゃう? ヴィルヘルミナはちょっと初心うぶ過ぎるわよねぇ?」


「うっ……で、でもなクリス? ヤチヨ殿の話はとても真に迫っていて……」


「ヤチヨちゃんは真に迫った嘘を言うのが得意なんじゃないのかなぁ? 」


「うふふふ……。さすがはクリス様です。言い得て妙、でござりますね?」


「なっ……! ひ、否定しないのかヤチヨ殿!」


「お許しください。嘘を真の如く操ってこそ忍びなのです」


「そ、そんな……。私は弄ばれたのか……」


「とても楽しゅうござりました」


「ヤチヨ殿!」


「まさか本当にお信じになるとは思わなくて」


「そうねぇ。ヤチヨちゃんの責任ばかりじゃないよねぇ」


「な、何を言うんだクリス!」


「だってぇ、普段のシンクローの様子を見てればぁ、男に興味はないことなんてぇ、すぐに分かるじゃない?」


 意外な事を口にした。


 先程は『馬鹿馬鹿しい話は信じない』と申していたが、本当だったとは。


 その場限りの誤魔化しかと思ったが……。


 しかし、俺の何を見て『すぐ分かる』などと申しておるのか?


 同じ疑問はミナも抱いたらしい。


「ほ、本当か? 本当にすぐ分かるのか? 私は何も気付かなかったが……」


「簡単じゃない。シンクローの視線を追えばいいのよぉ」


「シンクローの視線?」


「うん。アタシやヴィルヘルミナのぉ、胸とかぁ、腰とかぁ、お尻とかぁ、ちょいちょい視線が向いてるものぉ」


「えっ!?」


「ヴィルヘルミナはシンクローの視線に気付かなかったぁ?」


「い、いや……。そんな邪な視線は……まったく……」


「シンクローも何だかんだ言って十代男子よねぇ。女の子に興味津々なんじゃないかしらぁ? でもぉ、男の人にはそんな視線向けないしねぇ」


「そうか…………」


 ミナは錆び付き壊れた蝶番ちょうつがいの様な音を立てつつ、首を俺へと向けた。


「シンクロー……?」


「待て。待つのだミナよ。誤解だ。ひどい誤解だぞ、これは」


「シンクローは両刀遣いじゃないけどぉ、むっつりスケベだったのねぇ」


「クリスは黙っておれ!」


「若? 左様に向きになられずともよろしいではござりませんか。健全な男子おのこなれば致し方無き事、なのですから」


「八千代は火に油を注ぐでない!」


「うふふふ……向きになられた若のお可愛らしい事……」


「八千代、それくらいにしておけ。ミナ様とクリス殿も……」


「ですな。ここは天下の往来にござるぞ。あまり騒いではなりません」


 女子おなご三人を止めたのは、左馬助と弾正だ。


 二人の後ろには近習衆の姿が続く。


 誰の顔面にも例外なく出来た青痣あおあざは、八千代と手合わせした時のもの。


 実に痛々しい。


 どことなく、六人とも肩を落として歩いているように見える。


 ちなみに他の家臣は町の外で待たせてある。


 見知らぬ風体の人間があまりに大人数で町へ入り込んでは騒ぎの元となるからのう。


 異国では斯様かような気配りが欠かせぬ。


 朝鮮へ渡海した衆の失敗より学んだ事よ。


 それはかく


 左馬助と弾正のお陰で、ようやく責め苦より逃れる事が出来た。


 またぞろ話が蒸し返されぬ内に、別の話に持って行かねば――――。


「ところでクリス。久し振りのビーナウは如何か? 変わりはないか?」


「え? う~ん……そうねぇ……。ちょっと賑わいが薄れたようなぁ、出歩く人の数が減ったようなぁ、空き家が増えたようなぁ……」


「ふむ……。ていに申してさびれておる、と?」


「うん。ちょっと残念だけどねぇ……」


 港町ビーナウの歴史は古くない。


 三十年程前までは、二百人ばかりが住まう小さな漁村だったと言う。


 それが港町へと発展した切っ掛けは、辺境伯家が混乱する因となったネッカー川東岸の魔石鉱山の開発だ。


 開発の為に必要となる人手や品を海路で運び込むために、この地に港が開かれた。


 開発が盛んとなるに連れて人も増え、一時いっときは万を超える住人をようしたと言う。


 だが、二十年前に開発が失敗した後は、港としての価値を大いに減じてしまう事となった。


 さらにはビーナウの位置も災いする。


 ネッカー川東岸の開発失敗は、ビーナウより東に人が住まぬ事を意味する。


 辺境伯領の物の流れから、完全に外れてしまったのだ。


 左様な苦境にありながらも、ビーナウに店を開いた商人達の尽力で何とか生き永らえて来たそうだが、今や住人の数は二、三千人。


 ネッカーの倍近くはあるものの、最盛期の二、三割にまで人の数が減ってしまった。


 町の中にはクリスの申したように空き家が目立ち、通りの広さに反して道行く人の数は少な過ぎるように思えた。


「だけどねぇ、船が着けばぁ、結構賑やかにぃ――――あっ! ほら見てぇ!」


 クリスが前方を指差す。


 話している内に町の通りを抜け、港が見える場所まで差し掛かっていたのだ。


 そこは周囲の地形も相俟って大きな湾となっており、湾の中央辺りには南蛮の帆船とよく似た大船おおぶねが泊っている。


 大船と港の間には数十の小舟が引っ切り無しに行き交い、次々と船荷ふなにを運んでいた。


 小舟の着いた岸では、商人らしき者達が大声で指示を出し、荷下ろしの人夫が忙しく立ち働き、見物人も群がって、大変な活況を呈している。


「ね? 結構賑やかでしょ?」


「うむ。寂れているとは思えぬ――――」


「クリス!?」


「クリスちゃん!?」


 港を見物していた俺達に男女の声が掛かる。


 クリスが愕然と目を見開いた。


「パパ……ママ……!」


 関係がよろしくないと聞くクリスの両親。


 その唐突な再会だった。

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