第61話 「斯様な奴原を称して下衆と申す」新九郎の目論見通りに会議は動く

「――――こうして、サイトー・シンクロー殿をアルテンブルク辺境伯家の陣代に任ずる事となった」


 ミナが事の経緯を話し終わると、寄騎貴族や家臣達は重々しく息を吐いた。


 表情には戸惑いの色も見て取れる。


 なにしろ告げられた話の内容があまりに突拍子もない。


 長年に渡って辺境伯を蔑ろにし、ついには弓を引いた謀反人が討ち取られた――ここまではいい。


 だが、謀反人を討ち取った者達が異界の住人であり、かの建国の英雄、九郎くろう判官ほうがん生地せいちを同じくする者達だった。


 しかも、人がやって来ただけでなく、領地も軍勢も丸ごとやって来た――などと聞かされては、戸惑うなと申す方が無理な話だ。


 そもそもの話、この者達は俺達の事を流民と思っていた訳だからな。


 そんな世迷言よまいごとを信じられるか! と、怒りを露わにしてもおかしくない。


 茶の一件があったからこそ、ここまで黙って話を聞いていたが、そろそろ限界かもしれん。


 案の定、寄騎貴族のうち最も上座に近い位置に座る壮年の男は、髭面を怒りに染めながら発言を求めた。


「ヴィルヘルミナ様……このディートリヒ・フォン・ブルームハルト、四十年の生涯において、これほどまでに他人を小馬鹿にした話は聞いた事がありませぬぞ?」


 こ奴こそ、寄騎貴族の筆頭たるブルームハルト子爵家の当主。


 ヨハンやアロイスの本家筋に当たる人間だ。


 一角ひとかどの地位にあるだけの事はあり、他人を畏怖させるような話し方をする。


 まるで、凶暴な獣が唸り声を轟かせておるようだな。


 だが、対するミナもそんじょそこらの女子おなごではない。


 俺達のやる事なす事には一々顔を青くしておるが、元々は貴族の姫君にも関わらず、剣を振るい、魔法を操り、馬を乗り回す女丈夫おんなじょうぶなのだからな。


「ブルームハルト子爵、お気持ちはよく分かる。だが事実なのだ」


 ディートリヒの強面こわもてにも動じることなく毅然きぜんと答えを返す。


「我が父、アルテンブルグ辺境伯アルバンが異界の者だと認めたのだ。サイトー殿の剣がホーガン様の剣と同じこしらえであるとな。モチヅキ殿、よろしいか?」


 呼び掛けられた左馬助は、部屋の隅に立て掛けておいた俺の大太刀おおだちを持ち出した。


 異界からやって来た証拠の品にと、あらかじめ用意しておいたものだ。


 何? どうしてそんなでかくて邪魔にしかならないものを用意した、だと?


 腰の打刀うちがたなか脇差で良いではないか、だと?


 ふむ、確かに一理ある。


 だが、この場に集ったのは元より俺に反感を持つ者達。


 俺やミナのげんを容易に信用せんだろう。


 斯様な者達の心を揺さぶり動かすには、まずは度肝を抜かねばならん。


 案山子かかしを両断した折のミナや冒険者の驚き様を見ても分かるように、大太刀は異界において異色の武器。


 度肝を抜く大役を任せるのに、またとない武器よ。


 ミナが大太刀の柄を握り、左馬助が鞘を手に持って抜き放つ。


 五尺の刀身が露わとなり、刃文はもんが輝きを放つ。


 さあ、如何様な反応が返って来るかな――――?


「お、おお……」


「なんと美しい……」


 列席した者達から感嘆の声が漏れる。


 ディートリヒでさえも、驚愕に目を見開いていた。


「我が父アルバンは、かつて宮中の宝物庫でホーガン様の剣を拝見する栄誉に与った。その折に目にしたものと、この剣とは瓜二つだと申している。この剣だけではない。サイトー殿とその家臣が腰に差す剣は、全てがホーガン様のものと同じものなのだ」


「な、なんと!」


「かの国宝と全て同じ……だと!?」


 細かい事を申せば、九郎判官の太刀たちと俺達の打刀は異なる代物なのだが……まあ、同じと申しても差支えはあるまい。


 ここにいる者は誰も、九郎判官の剣を直に見たことはないのだからな。


 ミナはさらに説明を続ける。


「サイトー殿はこの剣の使い手だ。先の戦において、ゲルトとカスパルをたった一振りで討ち取ったのもこの剣。実に見事な剣捌きだった」


「こんな長大な剣をっ!?」


「実戦で使いこなしたと仰るのですか!?」


 数人が驚きのあまり立ち上がった。


 いずれも卓の左側に座る者――辺境伯家の家臣達だ。


 おそらくは役人ではなく、騎士をお役目とする者達だろう。


 役人と思われる者達が「そ、そこまで凄い事なのですか?」と尋ねるのに対し、「凄いどころでは――」などと説明しておる。


 日ノ本では、馬上の打物うちものが廃れ、さらには槍や鉄砲が広まるにつれて実戦では用を成さなくなった大太刀が、こんなところで役に立つは思いもしなかったな。


 今時いまどきの大太刀の使い道と申せば、味方の士気を高め、敵を威嚇するために見せびらかす程度。


 俺が大太刀を使い始めたのも、若年の陣代だと舐められないようにするためだ。


 一人で抜けるようになったのは、名護屋なごやの陣で太閤殿下の無聊ぶりょうを慰めるための芸に過ぎなかった。


 怠けずに鍛錬しておいて良かったわ。


 しごきにしごいてくれた守役三人衆に感謝だな。


「私は二人がかりで剣を抜いたが、サイトー殿は一人で抜ける」


「は? こ、こんな長い剣を一人でっ!?」


「そうだ。抜き放つ様は一流の演舞のように美しい動きだった。頼めるか? サイトー殿?」


 ミナに促されて大太刀を抜き、そして鞘へと戻す。


 一連の動きを目にして、驚いて立ち上がっていた者達から「おおっ!」と歓声が上がった。


 心なしか、彼らの目からは敵意や疑念が消え去り、代わりに尊敬にも似た念が浮かぶのを感じた。


「分かってもらえたか? サイトー殿を流民だと言う噂もあるようだが、ただの流民がこんな武器を手に入れることは出来ないし、使いこなすことも出来ない。サイトー殿は立派な武人で――――」


「――――それはそうとして」


 ミナの話を遮る声。


 声の主は、家臣の中で最も上座に座る男――辺境伯家筆頭内政官、オットー・モーザー。


 先々代――当代辺境伯の祖父の時代から仕える老臣だ。


 同時に、ゲルトの専横を影で支えていたと見られる男である。


 オットーは大儀そうに身体を動かして座り直すと、煩わしそうな口調で話し始めた。


「流民ではないにせよ、サイトー殿はアルテンブルク辺境伯家と縁も所縁もなく、この地に来たばかりの余所のお方。そんなお方が陣代では心許ないですな。それにです。いくら武勇に優れていようと、まつりごとは武勇でどうにかなるものではありません」


「サイトー殿は異世界でそれなりの領地を治めてきた。経験も実績も十分に――――」


「こちらと異世界の勝手が同じとは限りません。経験はともかく、実績が十分とは申せませんな」


 オットーは話しつつ、寄騎貴族や家臣達を見渡した。


「そして、こうして対面してみれば歳もずいぶん若くていらっしゃる。仰ることも含めて……。諸君、そうは思いませんか?」


 この問いに、ディートリヒめが応じた。


「確かに若過ぎる! 考えが青臭いのだ! 戦で迷惑をかけたから今年の税を免除するだと? そんな話は聞いたこともない! しかもネッカーだけでなく、辺境伯領全体で関所の通行税を免除するだと!? 有り得ない! 隣接した領地でそんなことをされれば迷惑千万! 我々の収入はどうするのだ!?」


「子爵! 待って欲しい! その事は話したはず! ゲルトが貯め込んでいた財物で一年分の通行税くらいは十分に穴埋め可能だ!」


「私はそんな小さな話を申しているのではありません! たった一度でも民を甘やかせば、奴らは増長し、身の程知らずにも我らに抗しようとするでしょう!」


ディートリヒは立ち上がり、拳を振るって熱弁を振るい始めた。


「羊飼いが羊の群れをぎょするが如く! 我々は貴族として! 無知むち蒙昧もうまいな民を善導してやらねばならん! 無知蒙昧な者達を御する方法はただ一つ! ただひたすらに厳格であることのみ! 税の免除など必要ない! むしろより厳しく取り立てれば良いのだ!」


 寄騎貴族から「その通り!」と声が上がる。


 オットーが「パチパチパチ……」と軽く拍手をすると、大半の者も拍手で続いた。


 俺へ好意的な目を向け始めていた者達は完全に勢いを削がれてしまった。


「さすがはブルームハルト子爵。素晴らしい演説でした」


「なんの! モーザー殿の意見に背を押されたに過ぎん!」


「謙虚でいらっしゃいますなぁ……。ところで、私から一つ提案があるのですが……」


 オットーはミナにジトッとした視線を向けた。


 ふむ……どうやらそろそろ馬脚を現しそうだ。


 ミナに話を任せて成り行きを見守っていた甲斐があったわ。


 鬱憤うっぷん憤懣ふんまんが溜まりに溜まったが、ようやく晴らせる時が来た。


 しかし、オットーもディートリヒも、こ奴らにくみする者共は分かっておるのかのう?


 己の事を、策士だ、黒幕だ、強者だ貴種きしゅだとでも思っておるようだが、その正体は見え透いておる。


 なにせ、欲の皮が突っ張った挙句に垂れ下がっておるのだからのう。


 斯様かよう奴原やつばらを称して、下衆げすと申すのだ。


 その時、左馬助は目を細め、藤佐は拳を握り、弾正は鼻で笑い、丹波はいつもの笑顔を完全に消した。

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