第60話 「悪い顔をしているぞ?」ミナは新九郎の顔を見て溜息をついた

「「「「「………………」」」」」


 俺とミナが屋敷の大広間に入ると、室内から聞こえていたはずの話し声がピタリと止んだ。


 あまりにあからさまな変化を見て取って、ミナは足を止めそうになってしまう。


 ミナの背を軽く押し、視線を交わして頷き、そのまま進んだ。


 俺達の後には左馬助さまのすけ藤佐とうざ弾正だんじょう、丹波が続き、壁際に置かれた椅子に腰かける。


 俺とミナは部屋の中央に置かれた長方形の巨大な卓へ向かう。


 卓の端には俺とミナの椅子が用意されていた。


 沈黙を無視して腰掛けると、仏頂面で俺達を見る寄騎貴族や家臣達の顔がハッキリと見えた。


 向かって右側には不揃いながら煌びやかな衣装をまとった者達が、対して左側には細部は異なるもののよく似た見た目の衣装をまとった者達が座っている。


 右側の末席辺りには、ヨハンに余計な手出しをしおったアロイスと奴の連衆つれしゅう共の姿も見える。


 右側が寄騎貴族、左側が家臣達の列で相違あるまい。


 そのアロイス達だが……あれだけ情けない退散の仕方をしておきながら、何事もなかったかのような顔をしておる。


 すると、大広間で給仕きゅうじに当たっていたベンノが、俺とミナに茶を出すついでに小声で囁いた。


「……サイトー様に一言物申してやったと仰っていました」


「そうか。分かった」


 淡々と答えた俺に対し、眉をひそめるミナ。


 ベンノは表情を崩すことなく、異界の茶が入った持ち手付きの椀を置き、その場を離れる。


 そうかそうか。


 一言物申した、か。


 身内の元に戻って気でも大きくなったかのう?


 まあ良い。


 それならそれで考えがある。


 では――――。


「アロイス・フォン・ブルームハルト殿? 先程は世話になったな?」


「…………!」


 まさか今ここで声を掛けられるとは思っても見なかったのであろう。


 アロイスと連衆共は肩を揺らして身じろぎした。


「おや? 如何なされた? 左様に身を硬くなされて。せっかく世話になった礼でもしようと思ったと言うのに。何せ大変な世話になったからな。全く以って大変な世話に」


 言いつつ、ベンノが用意した椀を手に取り――――、


 ザワッ!


 騒然としかける寄騎貴族や家臣達を他所に、異界の茶を口に含んだ。


「うむ。良い加減だ。飲みやすいようほどよく冷ましておる。一方で香りは良く引き立っている。さすがはベンノよな」


「は? はあ……ありがとうございます……」


 困惑顔で応じるベンノ。


 ミナも、俺を止めようと伸ばしかけていた手をサッと引っ込めた。


 俺が椀を投げ付けるとでも思っていたのかのう?


 寄騎貴族や家臣達も同じか。


 奴らには『礼』と言う言葉が『報復』と聞こえておったに違いない。


 なにせ、アロイスは俺に一言物申したのだからな。


「貴公ら評定を前に緊張でもなされているのか? 固い雰囲気よの。茶でも飲んでみては如何かな? 凝り固まった気もほぐれよう」


 異界の茶は『はあぶ』とか申す、葉や草、花を乾燥させたものを煮出して淹れる。


 色も味も濃くないものの、鼻を抜けていく香りは実にかぐわしく、ささくれ立った心をも立ちどころに鎮めてしまう。


 ベンノ曰く、良き茶を淹れる為には湯の温度や『はあぶ』を入れる頃合に気を払わねばならず、わずかな違いで美味くも不味くもなるらしい。


 もちろん、ベンノが用意したものは異界の茶を飲み慣れぬ俺でも分かるほど絶品だ。


斯様かような茶、う飲めぬ。さあ、遠慮なさらず」


 促すとミナは口を付けたものの、他の者は誰も口を付けない。


「ほっほっほ。毒でも入っておるとお疑いでござりましょうか?」


 丹波の一言に寄騎貴族や家臣達は一様に渋面じゅうめんを作るが――――。


「どれ。この爺めが毒見をして進ぜましょうぞ」


「なっ……!」


「お、おいっ……!」


 丹波は杖を突いているとは思えぬ足取りで卓に近付くや、寄騎貴族や家臣達の椀を次々と手に取って、次々と飲み干していく。


「ふむふむ……。良い茶ですのう…………。うっ! くうっ!」


 唐突に丹波が胸を押さえて苦しみ始めた。


 何人かが音を立てて腰を浮かし、ミナとベンノも表情を硬くするが――――。


「くぅぅぅ……。ほっほっほ。思わず身もだえしてしまう程に美味でござるなぁ」


 呆気あっけに取られる寄騎貴族や家臣達。


 丹波はさらに茶を飲み続け、あっという間に十人分を飲み干し、最後にはベンノに「もう一杯」と促し、それも飲み干してしまった。


 寄騎貴族や家臣達は渋面を作るのも忘れて唖然と目を丸くしている。


「ほっほっほ。さすがに爺めの腹も茶で一杯じゃ。そろそろ疑いは晴れましたかのう?」


 笑顔の丹波に目を向けられ、椀の残っていた二、三人が恐る恐る手を伸ばし、思い切って口に含む。


 一口飲み下したその顔は、完全にほぐれていた。


「さ、さあっ! 他の方々も!」


 ミナが促し、他の者も渋々と言った様子で椀を手にする。


 丹波が茶を飲み干してしまった者の分は、ベンノが素早く用意していった。


 ふむふむふむ……。


 アロイスめのお陰で良き事が分かったわ。


 丹波に促されて椀を手に取ったのはいずれも家臣達。


 寄騎貴族で椀を手に取った者はいない。


 ベンノが茶を淹れ直した後は、違いがより一層際立った。


 家臣達の中には数人が椀を空にする一方、寄騎貴族は口を付ける振りをしたのみで茶はほとんど減っていない。


 壁際に座る左馬助を見遣ると、僅かに目を細めた。


 領都に放っておいた忍び衆の報告と相違無い。


 しっかと茶を飲んだ者は、ゲルトに反感を抱いていたと見られる者達。


 ほとんど茶を飲まなかった者は、ゲルトとは良好な間柄にあったと見られる者達。


 後者は前者が茶を飲む姿を見て、苦々し気な顔付きだ。


 茶を飲むのは俺達に味方するのと同じ行いだと言いたげよ。


 きっと、俺の事は辺境伯家に巣食う獅子身中の虫とでも申していたに違いない。


 この場に出る人数を絞り、俺達に味方せぬよう根回しをしたのだろうが早くも違いが露呈したな。


 本に、アロイスめには礼を言わねばならん。


 話に聞かされるだけでなく、己の目で確かめる事が出来たのは大きい。


 さて、この後は如何様いかようにして切り崩してやろうかのう?


 思いつつ、ミナへ評定を始めるよう促す。


 ミナが声を出さすに唇だけ動かした。


 『悪い顔をしているぞ?』と。

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