第53.6話 ヴィルヘルミナの独白 その漆【後編】

「……それは出来ぬ相談です」


 ヤチヨ殿は静かに語り始めた。


「大名の縁組には格と言うものがございます。若は斎藤家の跡取り。御正室は然るべき格の家から迎えねばなりませぬ。家臣の娘が正室では、他家から侮りを受けましょう。辺境伯家も御事情は同じはず」


「うっ……」


「この異界で生きていくに当たって、辺境伯家からの嫁取りとなれば斎藤家は天下に面目を施す事となりましょう。大慶至極たいけいしごくにござります」


「ま、待って――――」


「これにて八千代は若の側室となれますわ」


「…………はあ!?」


 唐突な宣言に、思考が一時停止してしまう。


 口がパクパクと空振りし、


「そ、側室!? えっ? ど、どうして!? 側室!?」


 ようやく出たのは問いにならない言葉の羅列のみ。


 ヤチヨ殿は「落ち着いてくださりませ」と笑顔で続けた。


「側室なら家臣の娘でも差し障りはござりませんでしょう? 恋い慕う殿方の元へ嫁ぐことが出来る……八千代は嬉しゅうござります」


 ヤチヨ殿曰く、側室に上がる話は三年前――シンクローが元服げんぷくした頃に持ち上がったらしい。


 シンクローはサイトー家の次期当主。


 跡継ぎの誕生が望まれる存在だ。


 だが、イシダとか言う人物の妨害で縁組は一向に進まず、元服を迎えても何らの進展も無い。


 サコン殿や重臣達はついに痺れを切らし、ヤチヨ殿を側室と見定めた。


 ヤチヨ殿はシンクローと幼馴染であり、互いに気心が知れている。


 モチヅキ家はサイトー家の重臣であり、その忠義を疑う者は家中にいない。


 またと無い人物と思われたのだ。


 ところが、誰あろうシンクロー自身がこの話に待ったをかけた。


 驚く面々を前に、シンクローは説き諭した。


 時が経てば、やがては然るべき家から正室を迎えることになるだろう。


 だが、心根の良い人物が正室に来るとは限らない。


 何より、斎藤家と正室の実家が如何なる力関係となるかが気掛かりだ。


 不満があっても物申す事すら許されぬ大身たいしんの貴族が正室の実家では、斎藤家は思いのままに搔き乱されるかもしれない。


 事に依っては、ヤチヨ殿や生まれた子に累が及び、不遇をかこつ恐れも……。


「今年になって縁組の話は徳川から参りました。対抗するように豊臣の側からも。いずれも斎藤家と比べて遥かに格上でござります」


「あのシンクローが文句も言えない程に……か?」


「申せば御家を危うくします」


 ヤチヨ殿は「どうにもなりませぬ」と首を振った。


「両家ともに側室の子の存在など許さぬでしょうね。出家させて寺にでも放り込まれるのが落ち。悪くすれば、母子ともに不審な死を遂げるやもしれません」


「シンクローが懸念した通りに事が進んだのか……」


「はい、惚れ直しました」


 あまりに違和感のない口調。


 一瞬聞き逃しそうになるが、ヤチヨ殿は本心をハッキリと口にした。


「側室となれぬ事は残念にござりました。ただ、それも八千代の身を案じての事。胸は高鳴り、惚れ直しました。そして御先見の正しさも証明され、さらに惚れ直したのです。八千代は若に首っ丈です。うふふふふ……」


 ヤチヨ殿はもはや本心を隠そうともしない。


 それは聞く者にとって実に甘く……甘過ぎて砂糖か蜂蜜が口から溢れ出しそうだ……。


 正に恋する乙女に他ならず――――ただ、どこか病的な何かを感じるのは気のせいだろうか?


 ヤチヨ殿が『うふふふ……』と笑うたび、何故か背中を冷たいものが流れた。


「事情は分かった。分かりはしたが……」


「はい?」


「私はまだ誰とも結婚するつもりはない。辺境伯家を立て直すのが先決で――――」


「チッ」


「舌打ちした!?」


「当然です。八千代は若と結ばれたいのです」


「気持ちは分かったが、私にもやるべき事が――――」


「ミナ様なら同情で流されて下さると思いましたのに」


「私はそんなに軽い女だと思われていたのか!?」


「冗談です。真面目で身持ちは固く、そして心優しいお方だと思っておりますよ?」


「えっ!?」


「辺境伯様のお人柄も同様に。お二方共に、側室や子がいても悪いようにはなさらないでしょう。わたくし、他人を見る目には自信がござります」


「そ、そうなの……か?」


「ミナ様が御正室となって下されば、皆で幸せになれます。これにて世は全て事も無し。祝着しゅうちゃくです」


 ヤチヨ殿の瞳が私を見つめる。


 すべてを見透かしていそうな瞳だ。


 確かに、私もお父様も側室やその子を虐げるような真似は良心が咎めて出来ないと思うが……。


「黙って聞いていれば……。『シンクローと結ばれたい』ですって? ヤチヨ! あんた、シンクローを盗る気なの?」


 ずっと黙っておられたカヤノ様が、唐突に口を開いた。


「勝手に盗らないで。あいつは私と一緒になるんだから!」


「はあっ!? ゲホッ! ゴホッ!」


 衝撃的な発言にむせ返ってしまう。


 ヤチヨ殿が背中をさすりながら「大事ございませんか?」と尋ねるが、正直私の事なんてどうでもいい!


 カヤノ様は精霊だぞ?


 人間が精霊と添い遂げるなど、そんな事が有り得るのか!?


「庭を壊してしまって……シンクローを怒らせたと思ったわ。私が嫌いになったって。でも、あいつは怒らなかった。嫌いもしなかった。本当に良かった……」


 そこまで言うと、カヤノ様はヤチヨ殿を「キッ!」と睨み付けた。


「種を渡した理由……覚えているんでしょうね? シンクローが何時いつ何処どこで死んでも良いように渡したのよ?」


「カヤノ様のお気持ちは重々承知しております。わたくし共が話しているのは若が御健在であられる時の事。お亡くなりになった後はカヤノ様にお任せ致します」


 ……ん? 死んだ後の話とは……どういうことだ?


 カヤノ様はシンクローと添い遂げたいのではないのか?


 『一緒になる』とは、そんな意味で口にされた言葉ではなかったのか?


 私が疑問を口にすると、とんでもない答えが返って来た。


「シンクローが死んだら大株おおかぶの根元にむくろを埋めてもらうの。大株が無理なら、大株の分身たるこの木の根元でもいいわ」


 カヤノ様が庭を占拠する巨木を指差した。


「シンクローは土へと還り、溶け込み、大株が吸い上げる。私と一緒となるのよ。永遠に一緒にいられるわ」


「精霊は気に入った相手を自らの内に取り込んでしまうのだそうです」


 私は問い質したい衝動に駆られた。


 シンクローを捕食……するようなものなのでは!? と……。


 だが、答えを聞かされてしまっては、もう何処にも後戻り出来ないような……。


 逡巡する私を置いて、カヤノ様の話は続く。


「気に入った相手を取り込むのが精霊にとって最大の幸福。シンクローはこの上なく相性が良いの。絶対に取り込むから」


「ご安心を。大殿とお方様より、後の事は任されております」


 サコン殿とミドリ殿も承知の上なのか!?


 ヤチヨ殿に視線を向けると「クスリ」と笑って頷いた。


「今すぐシンクローを埋めても良いのよ? クローの奴は私の力が及ばない場所で勝手にくたばったわ。二度も失敗したくないもの」


「焦る事はありませぬ。八千代めが必ずや若を埋めますので」


「出来るんでしょうね?」


「ご安心を。側室となり、若と添い遂げれば難しくはありません」


 ま、まさか……側室となるためカヤノ様を利用した!?


 私が思わず口に出そうとすると、ヤチヨ殿は「お静かに……」と人差し指を唇に当てた。


 途端に金縛りにあったように動けなくなり、口が利けなくなってしまう。


「何もかも若の為、斎藤家の繁栄の為なのでござります……」


「あんたの事情はともかく、シンクローが死ぬまであと五十年くらいかしら? 精霊にとっては大した時間じゃないわ。無理やり埋めても感じが悪くなるしね……。待ってあげる。あっ! そうだ! あんたはシンクローより先に死なないでよ?」


「もちろんにござります」


「任せたわよ? ああ、それからネッカーとか言う場所にも種を蒔いておいてね? 他にもシンクローが出入りする場所があるなら……」


「承知しております。その代わり三野へのご加護をお忘れなく」


「もっと力を分け与えろって言うんでしょ? 私を祀って得る以上に力を寄越せなんて、人間は貪欲ね」


 カヤノ様は嘲るように口の端を上げた。


「でも、まあいいわ。ただし、私のお祀りを疎かにしたり、シンクローを埋めなかったら……」


 ヤチヨ殿はシンクローと添い遂げるため、サコン殿とミドリ殿は領地の繁栄の為……。


 果たしてシンクローはこの事を知っているのだろうか……?


「なんならあんたも一緒に埋まる? シンクローほどじゃないけど相性が良さそうだわ」


「まあ……死んだ後も若と一緒に? なんて甘美なお誘いでしょう……」


 うっとりと恍惚たる表情のヤチヨ殿。


 カヤノ様が私にも視線を向けた。


 口の端がゆっくりと上がり――――。

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