第53.5話 ヴィルヘルミナの独白 その漆【前編】
「城内の様子を見て参る。お主らはここを動いてはならんぞ?」
数名の家臣を引き連れ、シンクローは城内の見回りへ向かった。
後には、私、ヤチヨ殿、カヤノ様の三人が残される。
「また何処かへ行ってしまったわ……」
カヤノ様は残念そうに呟くと、宙に浮いたまま寝そべる様な姿勢を取って目を閉じてしまった。
まるで
「お寂しゅうござりますか? ミナ様?」
ヤチヨ殿が微笑を浮かべて尋ねる。
質問の意味が分からず、思わず「え?」と口からこぼれた。
「まあ……ご自分ではお気付きではござりませんでしたか?」
「何の事だ?」
「若が行ってしまわれる時、お名残惜しそうに若のお姿を目で追っておられましたよ?」
「馬鹿な! な、名残惜しいなど……ある訳がない!」
「左様でござりますか?
ヤチヨ殿は「うふふふ……」と笑いながら、ごく自然な動作で私の頬に手を添え、顔を寄せた。
「ご安心を。若はおられませんが、八千代が付いております」
そう言いつつ、優しい手付きで頬を撫でる。
なんだか急に顔が熱くなり、頭に血が上る感覚を覚えた。
「あら? お顔が赤うござりますね?」
「うっ……。その……」
「はい?」
「も、もう止めて欲しい……」
「頬を撫でられるのは、好まれませぬか?」
「い、いや……。おかしな事を言うかもしれないが……」
「はい」
「……む、胸が高鳴って……苦しいんだ!」
「あら……」
「同性のあなたにこんな事を思ってしまうなんて……。た、他意はないんだ! ヤチヨ殿は私から見ても美しい女性だ。変に意識してしまったのだろうか……? 申し訳ない……」
「……いえ、謝るのはこちらの方です」
ヤチヨ殿は言いながら、再び頬を優しく撫でた。
すると不思議な事に、高鳴っていた胸は落ち着きを取り戻し、顔の熱もいつの間にか何処かへと去ってしまった。
不思議な感覚に目を白黒させていると、ヤチヨ殿は頬から手を放した。
名残惜しさのあまり、ヤチヨ殿の手を掴んでしまう。
シンクローが何処かへ行ってしまった時よりも、なお切実に名残惜しさを感じたのだ。
「……ミナ様は感の豊かなお方なのでしょうね。術が効き過ぎたようです」
「術?」
「視線や動作を通じて、相手の感情に働き掛けるのです。極めれば、相手を安堵させるも、恐怖させることも、思いのままにござります」
ヤチヨ殿が口にしたのは恐ろしい話だ。
他人の感情を思いのままに操ると言うのだからな。
普通なら怒りを露わにしてもおかしくはないのだが……。
何故か怒りの念は湧かず、代わりに、何か事情があったのだろうとヤチヨ殿を慮る感情が湧き出す。
これも『術』の効果なのだろうか?
「ど、どうしてそんなものを私に使った?」
「ミナ様は地震を恐れておいでだと、若から聞かされております。若が発たれた後は、不安が募っておられる様にお見受けしました」
「それは……否定出来ないな……」
「お心を鎮めようと術を使ったのですが……おかしな方向に効き過ぎてしまったようです。わたくしも精進が足りませんね。申し訳ござりません……」
ヤチヨ殿は頭を下げようとしたが、止めた。
「私の為を想ってくれたのだろう? 悪用した訳ではないのだから……」
「お許し下さるのですか?」
「もちろんだ」
「有難うござります……」
頭を下げる代わりに笑顔を浮かべるヤチヨ殿。
笑顔に心臓を鷲掴みされそうになる。
これも『術』なのか?
それとも自然に抱いた感情なのか?
分からなくなってしまい、この感情を振り払おうと慌てて話題を逸らせた。
「い、異世界には魔法はないと聞かされていたが……まるで催眠魔法や幻覚魔法の様だな……」
「まあ……魔法でも同じことが出来るのですか?」
「可能ではある。だが、人間の感情に作用する魔法は操作が難しい。使いこなせる者などほとんどいない。ヤチヨ殿のものは、術……と言ったか?」
「はい。忍びの術にござります」
「『シノビ』? そう言えば、モチヅキ殿は『シノビシュー』の頭領をしていると……ちょっと待て。シ、『シノビ』とはスパイ――
「左様にござります。わたくしが忍びであること、ご存じありませんでしたか?」
「初耳だ!」
「若や兄上がお話ししたものと思うておりました」
「聞いていないぞ! てっきりミドリ殿の侍女だと……」
「わたくしは侍女ではありませぬ。忍びとして主家の皆様方をお守りする事がお役目。『侍女は他におります』と申し上げたでしょう?」
「え? …………あっ!」
思い出した!
ネッカーで『クビジッケン』が終わった直後、ヤチヨ殿が現れ、私達の世話をすると話した時の事だ!
激しく拒否したクリスが、ヤチヨ殿はオーサカ屋敷にいた方が良いと言い出した時、ヤチヨ殿は確かにそう言っていた!
『侍女は他におりますので』――――と!
『他にもいる』ではなく『他にいる』と言ったのだ!
ヤチヨ殿自身が侍女の内に入っていない!
自分は侍女ではないと、こんな所で宣言していたのだ!
『も』の有る無しでここまで意味が違ってくるとは……!
「分かりにくいぞ!?」
「そうでしたか?」
ヤチヨ殿は楽しそうに「クスクス」と笑う。
そして、静かに私の手を握った。
今度は胸が高鳴る様な事はなかったものの、ヤチヨ殿の意図が分からず訝しむ。
「それはさて置き、八千代はとても嬉しゅうござります」
「嬉しい? 一体何が……?」
「ミナ様が若をお慕い下さっている事、とてもよく分かりましたから」
「なっ! し、慕うだって!? どうしてそんな事を!?」
「辺境伯様と奥方様から、ミナ様は大変に奥手なお方だと伺いました」
「お父様とお母様が!?」
他家の方に何て事を仰るのです!?
心の中で激しく抗議する間もヤチヨ殿の話は止まらない。
「奥手なミナ様が、地震を恐れたりとは申せ、あのように可愛らしい悲鳴を上げて若へ縋り付かれるなんて……。好いておらねば出来ぬ事でござりましょう?」
「なっ……なっ……」
「大名の縁組は好いた惚れたで事が成るものではありませぬ。ですが、好いた者同士、惚れた者同士が相手であれば、それに越したことはありませぬ」
「その言い方だと私がシンクローを好いている、惚れていると聞こえるぞ!?」
「左様に申しております」
「そ、それは違うのではないか? シンクローが男女間の好意など――――」
「ご案じ召される事はござりません。若もミナ様を憎からず思っておられます。八千代には分かります」
力強い口調でグイグイと押し込んで来るヤチヨ殿。
感極まるものでもあったのか、うっすらと涙ぐんでさえいる。
「豊臣の奉行衆の邪魔立てで、若の縁組は遅々として進んでおりませんでした。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
ヤチヨ殿の言葉が途切れた瞬間、ようやく声を上げることが出来た。
「わ、私などよりヤチヨ殿の方がよっぽどシンクローを慕っているのではないか!?」
「……はい?」
「先程の耳掻き、あたかも長年連れ添った夫婦の如しだ! あんなにだらしが無いシンクローの姿は初めて見たぞ!」
「……」
「シンクローが好いているのはヤチヨ殿に違いない! わ、私のは……その……そうだ! からかって楽しんでいるだけだ! きっとそうだ! 正室にはヤチヨ殿が相応しい!」
私の言葉に、ヤチヨ殿は首を横に振った。
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