第50話 「俺を陣代に?」新九郎は全権を委ねられた

「サイトー殿、当家と正式に盟約を結んでいただきたい」


 辺境伯は枕元の小箱から、一本の巻物を取り出した。


 ゲルトめの毒にお倒れになる前、俺に託された白紙の巻物と同じ見た目だ。


 だが、今度は白紙ではない。


 紐を解いて広げられた巻物には、盟約の条件が書き込まれていた。


 こんなものが用意されていると言う事は、前もって父上と話が付いているに違いない。


 父上に目を遣ると、「どうだ!? 驚いたか!?」と言わんばかりにニヤリと笑った。


 辺境伯が悪戯っぽい笑みを浮かべられたのもこの為か?


 二人して、俺を驚かせようとしたに違いない。


 まったく! 好い年の男が童の様なことを!


「……拝見致します」


 溜息を一つ着き、巻物に目を通す。


 盟約は僅かに数ヶ条。


 その内容も、俺が白紙の巻物に書き込んだものと似通っている。


 まず、第一条は斎藤家の領地に関する取り決めだ。


 ネッカー川より東の地を斎藤家の領地と認め、子々孫々に至るまでその権利を認める。


 そして、如何なる形でもこれを害した者は辺境伯家が討伐すると定められている。


 第二条は魔物討伐を斎藤家へ一任することと、魔物討伐によって生じた利益を辺境伯家と分配すること。


 割合は斎藤家が九に対して、辺境伯家は一。


 公平を欠くようにも思えるが、左様に考えるのは早計だ。


 辺境伯家はこの約定によって冒険者へ討伐を依頼する必要がなくなり、持ち出しは一切不要となる。


 のみならず、魔物討伐によって生じた利益が懐へ入って来る。


 辺境伯家は魔物に対して斎藤家と言う楯を手に入れただけでない。


 楯は利益を上納し、懐を潤すのだ。


 一方、斎藤家にとっても悪い約定ではない。


 魔物討伐一任の約定を取り付ける事で、魔物から生ずる利益を余人に妨害される事なく独占し得るからな。


 続いて第三条は、盟約に定めのない事柄の取り扱い。


 談合の機会を設けて両者の合意を得ること。そして、決していくさはかりごとに訴えないことが定められている。


 こちらは第二条と違って公平な約定に思える。


 だが、やはりと申すべきか字面に騙されてはならん。


 この約定は斎藤家を一方的に縛るに等しいもの。


 なぜならば、斎藤家の武力は現下の辺境伯家を圧倒しているからだ。


 武力で無理強いすることは簡単だが、斎藤家は約定を破ったとそしりを受けよう。


 困ったものよな。


「…………この盟約、辺境伯がお考えに?」


「はい。私が案を作り、サコン殿の同意を得ました」


「左様にごさりますか……。なかなかお遣りになられる」


「ありがとうございます」


 よくよく考え抜かれた約定だ。


 長年に渡って病で床に伏しておられたと申すのに、遣り手よな。


 病でなければ名君となられたのではあるまいか?


 そう思えてならない。


 ところでこの盟約、明記こそされてはいないものの斎藤家は辺境伯家に臣従する形を取っている。


 これは仕方がない。


 俺達の領地が現れたのは、元を正せば辺境伯の領地なのだからな。


 それにだ、異界において完全な余所者である俺達にとっては、家臣の立場で異界の仕組みに入り込んでしまった方が何かと都合が良いだろう。


 これで根無し草ではなくなる。


 安住の地を手に入れることが出来たのだ。


 父上が盟約の案に同意なさったのも、正にここに理由があるだろう。


 ただし、気に掛かるところもある。


 臣従するにも関わらず、家臣として果たすべき奉公について一切の定めがないのだ。


 これは尋常な事ではない。


 奉公なき臣従など有り得ぬ。


 辺境伯が『盟約』と口にされたように、斎藤家と辺境伯家は事実上対等な関係の同盟者と言えよう。


 辺境伯に問い掛けると「そのようにお考えいただいて差し支えありません」と明言なさった。


 ……これが『大した事』なのか?


 斎藤家にとって有難い話ばかりなのだが………………ん? 巻物にはまだ続きがある? しっかりと広がっていなかったのか? どれどれ――――?


「――――斎藤新九郎を……辺境伯家陣代に任ずる? 陣代ですと? 真ですか?」


 尋ねると、辺境伯は笑顔で頷く。


「日ノ本において、陣代は親族衆や譜代の重臣が務める習いにござります」


「こちらでも同じです。さらに申し上げると、辺境伯とは異民族の侵略より皇帝陛下と帝国をお守りする事がお役目。故に、兵馬へいばの権を任された陣代の権力と権威は極めて高く、必要とあらばまつりごとの権をも手中にすることが可能です」


「俺は余所者……しかも異界の者でござるぞ?」


「只今のアルテンブルク辺境伯家において、あなた以外に任せられる者はおりません」


「辺境伯に成り代わって戦と悪政の後始末――要は『大した事』もやり遂げろとの仰せにござるか?」


「はい」


 迷いなく頷く辺境伯。


 …………面白い。実に面白い!


 異界に飛ばされてこの方、如何にして領地と領民を守るか、そればかりを考えていた。


 日ノ本へ戻る方法が分からぬ以上、異界の地で如何にして生き延びてゆけばよいのかと。


 寄る辺なき異界では力を付けねばならん。


 何者にも侵されぬ力を付けねばならん。


 陣代を引き受ければ困難にも直面しようが、困難を乗り越えれば斎藤家の地位は安泰――のみならず、大きく飛躍する事にも繋がろう。


 家を繫栄させ、大きくするは武家の本懐ほんかいである。


 もはや是非はなし。


 この異界の地でどこまでやれるか、やれるまでやってやろうではないか!


「承知致しました。陣代のお役目、謹んでお受け致しまする」


「お受け下さいますか」


「新九郎はつくづく陣代に縁があるのう」


 父上が呑気な声で口を開く。


「幼少のみぎりより、病のわしに代わって陣代を任せ過ぎた。もはや切っても切れぬ縁よな」


 ぬけぬけとよく言う。


 盟約の中身を前もって相談した時、辺境伯と父上のどちらが陣代の話を持ち出したのであろうかの? 


 問い質してやりたいわ――――。


「ねえちょっと。終わった?」


 イライラした女の声が響く。


 八千代を引きつれ、眉間にシワを寄せたカヤノが現れた。


 いつも通り宙に浮き、不機嫌そうに俺達を見下ろしている。


「カヤノか。どうした?」


「どうしたもこうしたもないわよ! あっちこっちに行って全然帰って来ないんだから! そこの人間の毒抜きを手伝ってあげたのに!」


「礼の酒樽は次々と運んでおろう?」


「そうじゃないわ。私を祀るって約束したでしょ? それを果たしなさいって言ってんの! ちゃんと毎日私の棲み処まで拝みに来なさい!」


「母上達が大株おおかぶへ日参しているではないか」


 俺がいない間は、母上や弟妹達が毎日大株を参拝している。


 祀ると言う約束は十分に果たしていると考えていたのだが……。


「それはそれ、これはこれ。私はあんたと約束したのよ?」


「俺自身が行かねば不服か?」


「そうよ」


「しかしな、俺にはやらねばならんことがだな……」


 すると、八千代がカヤノに近付きボソボソと耳打ちした。


「――――分かったわ。ヤチヨがこう言っているし、少し譲ってあげる」


「おい八千代。お主、何を言った?」


「こちらを……」


 八千代は俺の質問を無視し、小さな布袋を俺に押し付けた。


 仕方なく口を開いてみると、中には大振りの種らしきものがいくつも入っている。


「大株より採った種とのこと。若の出入り先に植えるようにと、カヤノ様が」


「あんた達が『オーカブ』って呼んでる木は私の分身みたいなものよ。私はここから動けないわ。だからその種を植えなさい」


「それくらい構わぬが……」


 八千代が絡んでいるだけにイヤな予感がしてならない。


 頬を膨らませるカヤノの横で、八千代が怪しげに笑み浮かべているのが気に掛かった。

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