第49話 「民百姓より奪ったものは戻してやるが道理」新九郎は徳政を説いた

「ま、待ってくれ。シンクロー」


 ミナが気遣うように口を開いた。


「シンクローとサイトー家の勲功に異議を差し挟める者などいない。遠慮なくもらって欲しい。その……シンクローが――サイトー家も困っているようだし……」


「弾正が首実検の折に申したこと、気に留めてくれていたか?」


「せ、世話になったからな! 気に掛けるのは当然だろう?」


「そうか。お主は辺境伯に口添えしてくれたのだな? 礼を申す」


「あっ! いや……その……」


 話すつもりはなかったのだろう。


 言い当てられたミナは上手く言葉が出ない。


 嬉しい事をしてくれる。


 だが――――、


「――――気持ちだけ受け取っておこう」


「シンクロー!」


「他に成すべきことがあるのだ。辺境伯、進言申し上げたきがござります」


 辺境伯は戸惑いつつも頷いた。


「ゲルトめが如何にして蓄財に励んだのか、詳しくは分かりませぬ。ただし、斯様かような蓄財をしたからには、民百姓を苦しめたことに疑いはござらん。ゲルトめの悪政あくせいに、民百姓の鬱憤うっぷんは大いに溜まっておりましょう」


 ゲルトの財物には、大量の銀貨や銅貨が含まれていた。


 木箱や革袋に雑然と詰め込まれ、まるで何処いずこから、手当たり次第に掻き集めて来たかのようだ。


 誰かの財布と思しき布包みが、中身もそのままに放り込まれたものさえある。


 民百姓からさい穿うがってむしり取った銭を、そのまま横領して溜め込んだのではないか?


 俺は左様に疑っている。


 事の仔細しさいは、左馬助率いる忍衆と、弾正率いる倉方くらかたの者達が細大漏らさず調べ上げるであろうが、行儀の良い税の取り立てが行われたとは、到底考えられぬ。


 民百姓は悪政に見舞われたに相違あるまい。


 悪政の根源はもちろんゲルトであろう。が、しかし――――、


「――――悪政の責めはゲルト一人いちにんに帰するものではありませぬ。致し方無き事とは申せ、辺境伯ご自身にもゲルトの専横を許した責めがござります」


 ミナが何かを言おうとしたが、辺境伯が止める。


「ゲルトの蓄財は周知の話。ゲルトが排されたとあらば、奴めが溜め込んだ財物の行方に、否が応でも衆目は集まりましょう。始末の如何によっては、ゲルトに向かっていた鬱憤が辺境伯へ向かいかねませぬ」


 そして、ゲルトの財物を恩賞として受け取れば、斎藤家にも鬱憤が向きかねぬ。


 俺が言わんとしていることを悟られたのか、辺境伯は厳しい顔付きになられた。


「では、如何にすべきとお考えですか?」


「辺境伯はゲルトの悪政を正し、天道てんどうもとらぬ徳あるまつりごとを成すお方であると、民百姓に知らしめるのでござります。財物はその為にこそ、お遣いになられるべきと存じまする」


 父上が「徳政とくせいじゃな……」と呟いた。


 日ノ本では、天変地異や飢饉ききんによって民百姓が甚だしい害が被った時は、年貢の減免、借銭しゃくせん借米しゃくまいの棒引き――『徳政とくせい』が行われる。


 時には大名の当主が一切の責めを負い、家督を譲って隠居する事すらある。


 こうして鬱憤が溜まった民の心を慰撫いぶするのだ。


 ゲルトの悪政も、民百姓が害を被った点において天変地異や飢饉と変わるまい。


 辺境伯は小さく頷き「続けて下さい」と申された。


「民百姓より奪い過ぎたのならば、民百姓に戻してやるのが道理にござります。ただし、誰から如何程いかほど奪ったか、正確に知る事は出来ませぬ。ならば、領民が等しく恩恵を受けるようにしてやればよろしいかと」


「なるほど。具体的な方策は?」


「ネッカーの町や領都で目に致しましたが、ご領内におかれては、町の門や主要な街道に関所が設けられ、人や馬、荷を対象に関銭せきせんを取り立てておられるようにござりますな?」


「『セキセン』? ああ、通行税のことですね。主要な税の一つです」


「関銭は関所を設けるだけで取り立てることが出来申す。諸役しょやくの内、最も手間を要さず、しかも人や荷の通りが絶えぬ限りは確実に手に入りまする。取り立てる側にとっては実に都合がよろしゅうござる。ながら、関所を通る度に関銭を取り立てては、物の値は上がり、人や荷の行き来は滞り、民百姓を大いに苦しめまする」


「その通りです。故に財政に窮した領主は言うまでもなく、人材や経験……徴税能力の欠如した領主ほど、これに頼ろうとします。ゲルトのように蓄財に励もうとする者にとっても、大いに利用しがいのある税でしょうね……」


 苦々しい顔の辺境伯。


 調べは済んでおらぬが、ゲルトが関銭を厳しく取り立てていたことに疑いはない。


 ぜにが唸る程に蓄財したのだ。


 関銭以外も大いに取り立てておろうがな。


 民百姓の鬱憤のいくらかは、関銭に根差すものに相違あるまい。


 まつりごとが辺境伯の手へ戻るに当たり、斯様かように都合良きものは他にない。


「辺境伯はゲルトと逆の行いをなさればよろしゅうござります。領内の関所は全て開け放ち、期日を定めて関銭を免除するのでござります。さすれば商いは盛んとなり、物の値は下がり、領民は上下悉く恩恵を被りましょう」


「そうしてゲルトの悪政を正すことを民に知らしめるのですね? 確かに効果がありそうです。分かりました。やりましょう」


 強く頷く辺境伯。


 さらに、「他には何かありますか?」と俺を促された。


「此度の戦では、ネッカーの町と周辺の村々が甚だしき迷惑を被りました。迷惑料代わりとして、今年の年貢を免除しては如何かと」


 戦で村々が荒れ果てたにも関わらず税を取り立てたとあっては、民百姓の欠落かけおち逃散ちょうさんを招きかねぬ。


 村々は荒廃に任せるままとなろう。


 領主自身の行いが、領主自身の懐を痛める結果を招くのだ。


 だが、民百姓に心を致してやれば――――、


「――――さすれば民百姓は辺境伯に感謝申し上げ、元いた土地に戻って生業なりわいに就き、働く気力を漲らせ、やがてはこれまで以上の利を産むようになりましょう」


「……よく、分かりました」


 辺境伯は何度も頷いた後、「サコン殿」と父上に視線を向けた。


「返す返すも、良き御子息をお持ちになりましたな」


「不甲斐ない親でも子は育つ者でござりますな」


「真に」


 辺境伯は笑みを浮かべた後、俺に向き直った。


「良いご助言をいただきました。感謝致します」


「考えを申し上げたのみにて、大した事はしておりませぬ」


「そうですか。ならば、戦に続いてその『大した事』を引き受けてはもらえませんか?」


「は?」


 辺境伯は悪戯っぽい笑みを浮かべた。

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