レンズ越しの金魚
まやひろ
二人の自撮り
「あの、これってボス……じゃなくて、
私が
──またかぁ。
何度目か分からないため息が漏れる。
喫茶店でシロウトポーズの私が恥ずかしげもなく笑っているタウン誌の表紙。正直もう見たくない写真だ。
「それであ」「悪いけど一回撮影したっきりだよ。次の予定も無いし、芸能人にも会ってない。他の子のモデル勧誘の話も聞いてない」
職員室に呼び出されているかのように緊張している美夜の言葉を遮るように返す。
『写真撮らせて』。声をかけられたあの時、大型犬と陰口されていたうすらでかい私でも、表紙になればもしかして見直されるかもと考え二つ返事してしまった。
後から後悔するがどうせ候補だし落ちると思っていた。なのに選ばれてしまった。最近はウェブ版に押されて部数が減っているらしいから選考基準が下がっただけ、とも考えられるけど、やはり選ばれたのは嬉しかった。でも実際にかけられた声と言えば打算を含んだ鼻につく褒め言葉かナンパ目的ばかり。だから私はあんたはそれだけ可愛いのにまだ何か欲しいの? なんてちょっとスレかけた考えをしていた。
だけど美夜は意外な言葉を返す。
「違うの! 撮った人……
美夜は子犬が唸るような仕草で口をへの字に曲げながら声を上げた。
「ボディラインと爽やかボブが生きてない! 光源もダメ。表情にも影が落ちてもったいない!」
背が高いのは言うに及ばず、髪を短めにしているのも伸ばすと跳ねるクセっ毛が嫌なだけ。声は犬が唸るようなだみ声。父さんも母さんも小さめなのになんで私はこうなの? と
「ポーズは自分で決めたんだよね? でもこの笑顔が違う! ただ笑って、とか言われて作った笑顔だ。ボスの本当の綺麗さの三割も出てない!」
見てたの? ってくらい当たってた。驚くと言うかちょっと引く。元気な子ではあったけどこんな風だっけ?
「あ、急にごめんなさい。でも、この写真が残念すぎて……」
美夜は私の戸惑いを感じたのか、急に怯えるような仕草で肩をすぼめた。
「そ、それであの! 私ならもっとボ、千坂さんを魅力的に撮れる自信あるの!」
美夜はアルバムを差し出す。ページを開くと、クラスの子や動物、風景の写真があった。ボケたりブレたりとシロウトっぽさアリアリだけど見ていて楽しい写真だと思った。
この子が撮る側なのは意外だ、と顔を上げると、私と美夜の視線が合う。ぱっちりして、でもどこか眠たそうな潤んだ瞳。ありふれた言葉しか出ないのが悔しいんだけど、水晶のようなきれいな瞳だと思った。
「どうかな? みんなは褒めてくれるんだけど……」
「ん、面白い写真だと思うよ。楽しく見えるし躍動感がある。シロウト意見だけどね」
「ありがとう! そうなの! 写真は見て楽しくならなくちゃ!」
ぱぁっと顔を明るくして声のトーンが上がる。
「だから私にボスを撮らせてください! タウン誌が投稿受け付けているからリベンジしよう!」
美夜はもうどこで撮ろうか、と話を進ませていた。止めようとも思ったけどこの小さな子が私のために一生懸命なんだと思うと無下に出来なかった。
「あのさ」
「何? あ、ボ……千坂さんの都合はちゃんと優先するから迷惑は……」
ボス。それは私のあだ名。一応頼りがいがあるから親愛を込めて、ということなので不本意だけど放置している。でも、私はこの子からは名前で呼ばれたいと思い始めていた。
「
美夜は一瞬呆け、それから花が咲くように笑った。
「うん! 彩梨さんっ!」
この子、女子からみてもカワイイ系だ。
「さんもいらない。同じクラスじゃん。ええと……」
「
くそう、あだ名までかわいいか。
「分かった、美夜」
「うん! 彩梨!」
笑顔が眩しすぎ、私の影が強く浮き出た。そんな気がして怖くなる。私は見た目は大型犬だけど心は骨と皮しかない駄犬なのだ、と久しぶりに思い出した。
光る花が澱んだ沼に舞い降り、
「いや待って。さっきの話、やっ」「週末から夏休みだから、下見にいこうね! アドレス教えて!」
「う、うん……」
「ボスが押されてるよ」
「噛まれなきゃいいけど」
視界の端でクラスの女子たちが話している。子猫が大型犬を押し倒しちゃう動画みたいだ、とか言いたい放題だ。だが実際私と美夜はそんな状態だったのだろう。見上げた美夜のまんまるな瞳、そして胸をいっぱいにする甘い匂いで背中が痺れ、動けない。その感覚はしばらく忘れられなかった。
心の壁、距離感はその時の人の気分次第だ。本人だけでなく、相手の気分でも距離は容易に変化する。その日以来、私に話しかけてくる他の女子の距離が以前より近く感じたのは私の気分というよりも、私に対するその子たちの気持ちが違っていたのだろう。美夜は表紙写真で少しおかしくなっていた私と女子たちの距離感にも変化を与えてくれたらしい。
その夜、私は言われるがまま持っている服全てを撮って送る。見せたのは服なのにまるで丸裸にされるような気がして戸惑ったが美夜は最高の写真のために、とそこは譲らず、私は一人で顔を赤くしながら写真を送り続けた。
十分後、美夜は昼よりさらに高いテンションで髪型から服の種類、靴、何故か下着まで事細かに指示し、週末の私の格好はあれよあれよと言う間に決まった。
その後しばらくとりとめない話をした後、最後に美夜が言った。
『彩梨のキレイをサイコーに引き出してみせるから! お天気だといいね! おやすみ!』
澱んだぬるい沼に立つ案山子はやがて自らもヘドロの底に飲み込まれるのだろう、と泡が浮かぶ水面を眺め続けていた。だが沼底から突然、冷たくて勢いのある湧き水が吹き出し、瞬く間に水が入れ替わってゆく。沼は泉に変わり、まばゆい花がまた舞い降りる。それはもう一度金魚となって悠々と泳ぎだす。もう案山子はその金魚を追い出そうとはしなかった。
夏休み最初の週末。私は待ち合わせ場所のアクセ屋に来ていた。美夜曰く、そこならおかしなのに絡まれる事はないそうだ。なるほど。小物に縁のない私には思いつかない。
上着も下着も、ペディキュアまで指定どおり。どれも持っているものを着ているだけなのに、指定されたコーディネートと言うだけで新鮮な気分だった。
でも、自惚れるなと何度言い聞かせてもなお感じる視線が居心地悪く、背中が丸まりそうになる。キラキラな店内でさぞ自分は異質なのだろうと落ち込み始めていた時、お店のディスプレイが歩いてきた? と思った。顔を見て私は息を呑む。それは美夜だった。優しげなパステルカラーの薄い布を羽衣のように
ふと風が
「な、何? やっぱり似合わない?」
黙っている美夜を見て怖くなった私に問うと美夜は首を振った。
「逆! 大丈夫とは思っていたけど、やっぱりその組み合わせすごくいい! バエなんて浅いもんじゃない。組み合わさった必然の美しさだよ!」
美夜は一を五にも十にも膨らませて褒めてくれる。私は自分の容姿ではなく、美夜が見繕ってくれた姿で褒められる事に喜びを感じ、素直に嬉しいと思えた。
美夜は白いデジカメを大切にしていた。聞くと十年近く前のモデルだが、写した絵の雰囲気がとても好きなのだそうだ。画質の事は良くわからないけどフィルムカメラのような優しい絵が撮れるらしい。試しに、と一枚撮った写真の私はまるで数年後の自分のようにも見え、時間の感覚がおかしくなりかける。それとこのカメラには一枚、大切な写真が残っているらしい。それを見ていると初心忘るべからず、で気が引き締まるのだと言っていた。
私は美夜も撮らせて、と言ったけどカメラマンは撮るのが使命で撮られるのは違うし、何よりこのカメラはたとえ彩梨でも預けることはできないのだ、と断わられてしまう。その代わり、と私はそのデジカメで数えきれない写真を撮られた。
レンズの向こう側には無数の世界がある。その世界で私は無数の誰かに見られるのだ。怖い気もした。だけど美夜が私を魅せてくれるのなら嫌じゃない。美夜の目線を通して私は輝ける。私の笑顔は美夜への笑顔。私の心をレンズの向こうの美夜へ捧げよう。その瞳に映る私はあなただけのものなのだ。
どーん。
空気を震わせる音と光が夜空を照らす。
夏休みが始まり半月が過ぎた頃、美夜が花火を見にいこう、と提案してくれた。
蒸し暑くて粘着く空気は不快だけど、その空気を洗い流すように輝く花火を見ていると胸の中がすぅっと通り、心地よかった。美夜は本当に金魚のような愛らしい浴衣に身を包みながら私を撮っている。本当なら美夜が撮られる側なのに。
すっかり被写体として慣れた私は花火を背負い、綿あめをそれらしい角度で喰む。美夜はわぁ、とはにかみながらシャッターを切り続けた。
時折刺してくる視線にも慣れれば慣れるもの。大型犬の滑稽な姿だと笑わば笑え。私は美夜が喜んでくれればそれでいいのだ。
「お疲れ様」
「わ、ありがとう! ……甘い!」
美夜が流石に暑さでヘタってきた頃、私はチョコクレープをおごり二人並んで花火を見る。
小さな口でクレープをほおばる美夜はずっと見ていたい気になるけど、今がチャンスだ。この日のため、私は小さなサプライズを考えていた。
「彩梨?」
ふと振り向いた美夜から一歩離れた私は「ほら、きれい」と空を見上げる。つられて顔を上げた美夜の頭をわし掴む。美夜が捕食? と戸惑う。私は逃げられる前に懐からかんざしを取り出し、素早く、丁寧に、最大限怪我に注意しながら綿のような髪に差し込んだ。鏡を見せると美夜は私を見上げ、固まった。
「こんなモノでしか返せないけど、美夜への感謝の気持ちだよ」
「……」
「あの、美夜?」
「もう、先にやってくれちゃって」
何も言ってくれないので不安になった私に今までに無い真面目な顔で言う。
花火の光で美夜の目が光った気がして一瞬怖かった。
「な、何? やっぱりこんなのじゃ……」「リベンジ、成功しました!」
美夜は目元でぶい、と茶目っ気たっぷりの笑顔をほころばせ、スマホのメールを差し出した。
「うそ?!」
今日の昼に連絡があったらしい。同じ人を表紙にはしないという方針があり表紙にはならなかったけど、それが無ければ選ばれていた。せっかくなので不定期ではあるが紙面内のモデルをやってくれないか、と提案があったそうだ。美夜は自分が写真を撮っていいのならと条件を取り付けたと胸を張った。
「すごい……! おめでとう。はは、私の安物のプレゼントなんて霞んじゃうね」
「そんなこと無い! 私こそサプライズするつもりだったのに先を越されちゃった。これ一生大事にするから! ああ、今日はいいことが二つもあった! 夏休みサイコー!」
美夜は浴衣をはひらひらと浮かせて喜んだ。
思えばつま先ばかり見て生きてきた気がする。
そんな私に美夜は上を見よう、と明かりを向けてくれた。高校一年生の夏休み、美夜と一緒の私は文字通り輝いていた。
この時が私と美夜と一番幸せな時期だったのかもしれない。
目の覚めるようなまばゆい時は瞬く間に過ぎ、夏休みが終わる頃、私と美夜は友達から親友以上の関係に昇華していた。
その年のクリスマスには互いのプレゼントを探しに街を歩き、歓談に明け暮れた。翌年のバレンタインにはチョコを一緒に作りその場で同じものを交換しあう。
ささやかだけど充実した日々が続き、私と美夜は手を取り合い、同じ道を歩み続けるのだと思って疑わなかった。
だが、そんな幻想は一グラムの重さも無い数字という化け物によって崩壊しようとしていた。
高校二年の春。私は二人で一緒の大学にいこう。いっそルームシェアをしないか、とそれなりに覚悟を決めて美夜に告げた。だけど。
「無理だよ。バカだもん」
美夜は成績が芳しくなかった。偏差値は一年の頃から低めで、二年最初の模擬試験、基礎学力テストともに私とは差が広がっていた。
美夜はいくら頑張ろうと言ってものらりくらりと話をそらし続ける。その姿はかつての私を見ているかのようで、不安と不満は日にゝ増していった。
漠然と解決策を考える日々が過ぎる中、ある日美夜がデジカメを抱えて私に泣きついてきた。とうとうデジカメがおかしくなり、ほとんど写せなくなってしまったそうだ。
「いい機会なのかも知れないよ」
カメラを眺めながら呟いた私の言葉に美夜が目を見開く。
「何か目標が、道標が必要だよ」
「道標……」
「勉強しよう。一緒に。それでも駄目なら、私が美夜のいける大学にいく」
このまま夏休みを迎えたら、下手をすると一度も会えないままになってしまう気がしていた。思いあまった私は発作的にそう告げる。美夜は酷く動揺し、それは絶対に駄目だと拒絶した。
「どうして? そうすれば私たちずっと一緒だよ? 同じ道を進める」
「そんな事しちゃ駄目! そんなの、私がますます惨めになる……」
「惨め? いや、そこだって滑り止めに選ばれる程度にはそこそこの大学だし」
「やめて! もうほっといて!」
美夜が私から逃げていった。デジカメを残したままで。
その後美夜は私を避け続け、終業式が終わっても話す機会が訪る事はなかった。
泉の底がまた濁り始めていた。金魚は底に潜り姿を潜めていた。言葉は声帯が発するただの空気の振動。単語を並べて美しい文章を構築してもそこに心は無く、鼓膜をいくら震わせても電気信号が脳を巡るだけ。思いは見えない。届かない。案山子は百の言葉より千の笑顔より、ただ金魚に寄り添ってほしかった。泉に住んでほしかったのだ。
夕方、美夜からのコールが響く。私はそれを取るのが怖かった。取ればもう後戻りできない何かが動き出してしまう。そんな漠然とした、しかし確信できる不安が着信音と一緒に濁っていた泉を波立たせる。
それでも案山子は手を伸ばさざるを得なかった。水の底で金魚がもがいている気がしたから。苦しみを放っておけるものか。
『あの、美夜がどこにいるか知りませんか? そちらに伺っていたりは……』
初めて聞いた美夜の母親の声は狼狽していた。
私は街を走る。闇雲にではない。今まで私がモデルになった場所が近ければ覗きはした。だけど美夜はきっとあそこにいる、と確信を持って走っていた。
そして美夜は思った通りの場所にいた。電車に一時間乗り、降りた駅から更に一時間も歩いたそこはとある高原の牧場。日は暮れ、半月の空の下。草原に美夜が小さく生えていた。
「……なんで?」
「伊達に大型犬とあだ名されてないからね」
「……」
「ウソ。デジカメの写真にGPS情報があったの」
私は白いデジカメの一番古い写真を見せながら言った。それはこの牧場で小さな美夜がひまわりを手に、おひさまそのもののような笑顔で写っている写真だった。
「メモ取った直後にデジカメがまた調子悪くなっちゃって、危なかったよ」
美夜がそうなんだ、とほんの少し笑った。私が横に座っても美夜は逃げないけど、にじり寄るとにじり逃げる。まるで慣れかけの野良猫のようだ。私たちは微妙な距離のまま黙って夜空を眺めていた。遠くの道路を車が走る音が聞こえ、美夜が驚いて私にしがみつく。私はすかさず美夜の肩を抱いて捕まえる。
「ひきょうだ」
「ひきょうだよ」
美夜の頭を抱く。上気した頭髪のにおいが心地よい。鳥肌の立つような気持ちさに身震いがした。
「へんたい……」
だけど美夜はそのまま私の胸元に顔を埋め、静かに嗚咽を漏らしはじめた。
泉にこぼれたしずくは波紋と共に水を清め、ゆらめきの中から光が再生する。水の底から蛍のように弱々しく、しかし暖かな光が浮き上がる。案山子は何週間ぶりかで太陽の光を浴びた気がした。案山子は両腕を泉に漬けて光を覆う。手の中の光は金魚となり、案山子の顔を見つめていた。
「私、彩梨といるのが、苦痛になっていたの」
私は総毛立ちそうになりながらも拳を握り言葉を待つ。美夜は全部自分が悪いのだ。側にいる資格など無い。それなのに側にいることが心地よくて必死にすがりついていた。それが申し訳ない、苦しい。そんな自分が嫌だ、と私にしがみつきながら言った。
「昔、子役モデルしていたの。それがデジカメの写真」
子役モデルの期限は短かいそうだ。最後の仕事を残そうとデジカメで撮ってもらった。そのあと思い出を、と撮った写真が褒められ、それが嬉しかった。認められるのはもうこれだけだと写真に傾倒し始めたそうだ。
私を撮るのは自分が満足するため。自分が私を輝かせている。自分だけが私を理解している。導いている。それが自分の存在理由になる。それだけのために私を撮り続けたのだと言った。
「……彩梨じゃなくても、誰でも良かったのかも知れない」
美夜は震えながら顔を上げて言う。
「でも、例えどうでもやっぱり私は駄目だったんだろうな。最近は私、彩梨の腰巾着とか言われているんだよ。導くどころか……金魚のフンだよ」
その言葉に驚き、そして自分が恥ずかしくなる。やっぱり美夜のことを分かってなかった。守れてなかった。おおらかなんかじゃない。空気の読めない朴念仁なのだ。ただ大きいだけ。中身は骨と皮の駄犬なのだ。
だけど──。
「カメラもやめろって言われているの。頭悪いから少しは真面目にやれって。でも、カメラを取り上げられたら私に何が残るの? 私なんて……」
「私がいる」
美夜の言葉を遮り、私は小さな体を抱きしめた。
「やっていたことは全部美夜自身のため? 全然構わない。私は美夜がしてくれたことが嬉しかった。褒めてくれたことに感動した。側にいてくれて楽しかった。だから美夜が好き」
「でも……!」
「最初は何を企んで近づいてきたんだろうって思ったよ」
美夜の指に力がこもった。
「このでっかい体の後ろに隠れられれば色々便利だから、なんて素直に言って友達になった子もいる。雑誌に載った後は特に多かった」
美夜が服を握りながら震えている。
「でもね、私だって美夜が写真を撮るために色々やってくれる事を便利、なんて思ったこともある。都合がいいからとか楽だからとか、自分のために相手を利用するって、珍しいことじゃない」
顔を覗けば、美夜の瞳に星空が映っていた。
「電車の中で私必死に考えた。どうすればずっと一緒にいられるだろうって。何が言いたいかっていうとつまり私たちまだ高校生だよ。完璧に出来る事なんてきっと何もない。愛が何かなんて分かるわけがない。いや、そんなもの分かってたまるかー! ……って結論に達しました」
大きな声に美夜が目を丸くした。
「だけど、これだけは分かる」
美夜の顔を両手で持ち上げる。美夜は今度こそ捕食される? と思わず身を捩る。
「いいから目をとじて」
「う、うん」
目を閉じた美夜の顔を寄せ、私は深呼吸。
「私は美夜が好き。エゴで好きだとしても好きは好き。無償の愛とか知らない。好き。愛している。ええと、二人で愚かになりましょう。見つめ合うのもいいけど、同じ方向を向いていこう。それから……二人っきりだね?」
「それ、私が殺されるやつ」
美夜がようやく笑ってくれた。嬉しかった。笑顔が消えないうちに抱き寄せ、唇を重ねた。美夜はもう逃げようとしない。むしろ押し倒されてしまった。体重が心地よい。心臓の鼓動が愛おしくて涙が出て、美夜は涙を唇でぬぐってくれた。
二人で仰向けになりながら眺める夜空には時折流れ星が見える。星座は数え切れない。この世界どころか宇宙が私たちのものだった。
「彩梨、私、馬鹿だからいっぱい、理不尽な事言っちゃうと思うよ」
「大丈夫。きっと私も言う」
「別の大学なのにルームシェアって大丈夫なのかな」
「知らない。だからやってみよう」
「じやあ、大学を卒業したら……」
「まず、入学しないとね」
「そっかぁ」
美夜は情けない顔で笑うけど、その瞳には空にたゆたう月明りが輝いている。瞳は泉のように揺らぎ、私が瞳の中に浮かんでいた。
「あの、もしかしたら、もしかしたらだけど、私、彩梨と同じ大学、目指せないかな?」
「やってみよう」
「うん!」
根拠なんて無い。でも美夜はきっともう挫けない。やっとひとつ、美夜のためになることが出来た気がする。
今なら本当に迷いなく自分は美夜を愛している。愛されていると言い切ることができる。
私は美夜を抱き寄せ、自撮りモードでレンズに収めてシャッターを押す。
撮れているかどうかなんて、どうでも良かった。
今レンズに写っている私たちの笑顔。それ自体が未来への一枚なのだから。
金魚が跳ね、案山子の顔まで飛び上がり羽衣のような尾びれで顔を撫でる。案山子は見守るだけの自分をやめた。両手を下ろし、腰を曲げ、泉にその体を浸ける。案山子は水に溶けて金魚となった。もう見ているだけではない。どこまででも一緒に泳げるのだ。泉に二つの波紋が浮かび、幾重にも重なる。波は泉の縁を越え、どこまでも広がっていった。
──どこへいく?
──どこへでも。
果てしない星の大海を金魚たちは泳ぎはじめる。
前だけを見つめ、どこまでもどこまでも。
道標なんて私たちには不要だった。
完
レンズ越しの金魚 まやひろ @mayahiro
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