会に合わぬ花
黒本聖南
第1話
「あいつは来ねぇ。もう絶対に来ねぇんだ」
庭を眺めながら、言い慣れた言葉はするりと零れ、耳に届いたはずの弟子は何も返さない。それを良しとして、俺は続ける。
「来ねぇんだ、二度と来ねぇ。あのツラを俺に見せてくれることはねぇんだよ、二度とな」
記憶の中の美丈夫は、今日も俺に優しく笑んでくれるが、それをこの目で再び見ることはきっと叶わない。
あいつは行った。
あいつは来ない。
──時間切れはすぐそこだ。
「まだ、待てるはずです」
珍しく弟子から話し掛けてきた。今にも泣きそうな顔と声。辛気臭いからやめろと言っているのに弟子はやめねぇ。三つ子の魂百までってか?
「師匠は、まだ待てますよ」
「んなわけあるか、もう無理だ。明日にでもぽっくりよ」
「なら、今日は大丈夫ですね」
減らず口を。
庭を眺めるだけなのも飽きた。敷きっぱなしの床に横たわり、気持ち強めにゴドーと呼ぶ。
それだけで我が弟子ゴドーは、今やっていることをやめ、紙と筆を持って俺の元に侍る。
「……カランコロンと響く音、少女は一人、螺旋を降りる」
口を閉じると同時、ゴドーの筆も止まった。
「……」
「続きをお願いします」
「……追うべき兎は何色か。白か黒か。敵か味方か。その手に持つは網でも人参でもなく、一振りのナイフのみ」
この与太話、終着点は決まっていない。
語りながら考える。どう締めたらくだらない?
悲しい話はもう飽きた。
「兎の姿は見つからず、少女は腹立ち紛れにナイフを投げる。垂直に飛ぶはずのそれは、ぐるんぐるんと曲がり落ち、しばらくすると『ぐぇ!』なんて、世にも醜い声が辺りに響く。ナイフは刺さった。刺さったのは何にか?」
この与太話はいつだって、喜劇に劣る。
喜劇の天才に勝てるわけがない。
──あの人の代わりになんかなれるわけもない。
「声はそれっきり。何も続かない。苦悶の声は何も。では刺さらなかったのか。いや刺さった。あれは刺さったに違いない。いや刺さるだけでは意味がない。兎に刺さらなければ、何も」
空白は、未だ、埋まらない。
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