一章 不名誉な解雇と再就職 (6)

 ──魔法使いは長生き。

 コルテスさんが教えてくれた情報をはんすうしながら帰り道を辿る。

「魔法使いねえ」

 正直なところ、私はそれすらも疑問に思っている。何せ、いまだ先生が魔法らしきものを使ったのを見たことがないのだ。

 街の皆が先生と呼ぶからには、確たる何かがあってそう呼ばれているのだろうけれど私にはまだ雇い主が「きつめな白髪のおじ様(危うくお爺ちゃん)」にしか見えない。

「……」

 その日の夕食時。気が付くと、先生がこちらを睨んでいた。

(まずい)

 あからさまに凝視し過ぎた。先生が居心地の悪さを目で訴えてきている。私はサッと視線を外した。すると、小さなため息の後に、食事を再開する音が聞こえた。

(ぐうう……だってコルテスさんが気になること言うから)

 かの人を恨みながら、仕方なく今日は食事中の観察は諦め、お持たせ用の飲み物を用意することにした。

(今日はドレッシングの味が不安なのに……)

 味見をし過ぎて段々よく分からなくなってしまった。塩味がきつ過ぎるかもしれない。

 がっくりと肩を落としてティーポットを取り出すと、テーブルの方から「待て」と声をかけられる。

「はい!」

 突然の声かけに驚き、裏返った声が出た。

(ドレッシングか、やっぱり辛かったか)

 内心ビクつきながらテーブルの方を見ると、プレートの上は綺麗に片付いている。

(あ! 食べた! 良かった食べた!)

 心の中で歓声が上がった。

 しかし。声をかけられた理由がドレッシングでないとすると、別件な訳で。

「何でしょう」

 心配だったドレッシングが大丈夫だったという内なる喜びを抑え込み、神妙な顔を作った。予想外の駄目出しということは十分あり得る。

「飲むものは自分で作る」

「……はい」

 危うく、ショックで手に持っていたティーポットを落としかけた。


   ◇◇◇


「カルダモン」

「はい」

「クミン」

「はい」

「はちみつ」

「はい」

 骨張った手がスプーンで材料をグラスに入れていく。先生がひとつひとつ挙げる名前に私は返事をしつつ、その所作を見つめた。

 先生は食事を終えるとキッチンにやってきて、食器棚からグラスをふたつ取り出した。私は目を点にした。

 てっきり「貴様の作る飲み物はいらない」と言われたと思い、完全に意気消沈していたのだが、どうも様子が違う。

 二杯分作っているようなので片方くれるつもりなのかと期待しているが、とても聞く勇気がない。違ったらどんな目で見られるか分からない。

「炭酸水」

「はい」

 先生は普段通りの何ともない顔で最後にグラスに炭酸水を注いだ。しゅわしゅわと小気味良い音が立つ。「ひと混ぜでいい」と言うと、先生はくるりとグラスの中をスプーンで一周した。

「……はい」

 私の気のせいでなければ、多分、これは作り方を教えられているのだろうと思う。唐突に始まったので、正直最初のカルダモンの分量なんて覚えていない。どうしよう。

 先生は私の胸中を分かっているのだか分かっていないのだか分からないが、私の返事にこくりと頷くと、二つ並ぶグラスの片方を持ってキッチンを出ていこうとする。

(待て待て待て待て)

 これは流石に待ったをかけていいだろう。残されたグラスはどうしたらいいのか。貰っていいのかいけないのか、それだけは意思表示していってほしい。十中八九、私用だとは思うけれど、流石に勝手には頂戴しかねる。

「先生!」

 普段、必要最低限にしか言葉のやり取りはしない。先生が私に声をかけることは殆どないし、私の方からも滅多に呼ばないものだから、先生はげんな顔でこちらを振り返った。

「あの、これ」と残されたグラスを手に掲げれば、先生は紫色の瞳を柔らかく細めた。

(!?!?)

「どうぞ」

「ッ!」

 それはほんの一瞬だったけれど、私の動揺を誘うには十分な破壊力があった。

 ここに来て、初めて見た先生の笑った(ような)顔。いつもは厳しさを強調してばかりいる目元の皺がどうしたことか柔らかな印象を与えた。

「びっくりした……」

 何事もなかったようにスタスタと自室に上がっていってしまった先生を見送り、私は一人でほうけたようにリビングに佇んだ。

 細かな泡がグラスを昇る。

「うわ……おいしい」

 先生が作ってくれたスパイスのドリンクは初めての味がした。


「ふむふむ。こういう味ね」

 私は今、あの夜先生が作ってくれたドリンクに触発され、早速食料庫で飾りになっていたいくつかのスパイスを味見している。正直「初めまして」にあたるものが多く扱いに困っていたが、ようやくどうにかしてみようと気になったのだ。あのドリンクから、料理の幅を広げる可能性をいだしたのである。

 薄々感づいてはいた。先生が香草やスパイスの類が好きなことは。この眼前に広がる調味料たちは全部先生の趣味だ。最初は使いこなせる自信がなく、現実逃避をして新しく来る家政婦のために適当に揃えたものかもなんて考えたが、やはりその説には無理がある。

 私はまだ封の切られていない小瓶を手に取り、軽く振った。新品という点については、新参家政婦への配慮だったかもしれない。

「こんな超マイナーな調味料まで、一斉に切れることなんてないだろうし」

 先生の傾向や行動を推理しながら小瓶の封を開けてみる。ふわりと不思議な香りがした。少量を小指に取り、味を試す。私は無言で小瓶を棚に戻した。

 そうやっている内に何がどんなものかが少しずつ分かってきた。どういう草なのかと不可解だったものも、どうやら香草らしく、庭にちゃんと植えられているものだった。

 私は決意した。この食料庫こそが先生の食の好みの縮図だ。ならばそれに応えるのが、この家の家政婦というもの。

「うあああ」

 格好良く気合を入れたそばからうめごえを上げた。初めて目にしたラベルの読めない調味料を試してみたら、予想外の味がした。きつい風味に涙がにじむ。

(生臭い! 何これ!? 油? 何の油!?)

 前途は多難な気がしたが、こうして新たな可能性を探るのは面白かった。スパイスの瓶を鍋に向かって振っていると、何かを調合しているような気分になった。

「ふふ、私も魔法使いになったみたい」

 結局魔法使いが如何なるものかさっぱり分かってはいないけれど、あんな素敵な飲み物が作れてしまうのだから、先生は魔法使いだ。異議なし。

 自分も先生と同じことをしているのかも、と思えば鍋をまわすのが特別楽しいものに感じた。

「ゴホ! かっらい!」

 ただし、私が魔法使いになるには相当修業が要るだろう。


   ◇◇◇


 私がスパイス料理にハマって、もとい研究を始めてから数日が経ったある晩。

「眠れない」

 心当たりはあった。寝る前、実験的に作った数種のスパイスを混ぜたものを飲んだ。味わったことのない刺激的な味だった。混ぜたものの中に眠れなくなる作用があるものがあったのかもしれない。

(困ったな。明日も朝早く畑に水をやるのに)

 ゴロゴロと寝返りを打っても一向に眠気が訪れない。

「お手上げ!」

 何とか目がえてしまう効果を中和できないかと思い、キッチンへ出て水を一杯一気飲みする。

「はーーーー」

 人に聞かれては恥ずかしい声を豪快に上げ、コップを置いた。

 昼間と印象が違う部屋の中。ひっそりと静まったリビングのカーテンの隙間から月明かりが差し込んでいる。どうせまだ眠くないのだからと開き直り、私は夜の庭をのぞいてみることにした。ここは森の中だ。夜行性の動物が見られるかもしれない。

 閉じていたカーテンを開き、ガラス戸から庭を眺め、私は息を飲んだ。

 庭に降り注ぐ月明かりがこんなに明るいとは知らなかった。草木が照らされて暗闇の中でささやかに光っている。夜に咲く花が昼間見せない姿を堂々と。神秘的で、美しい光景が広がっていた。

 感動してしまった私は、庭に出たい衝動に駆られた。

 リビングのガラス戸を開くと外の生温かい空気が部屋の中に入ってきた。植物の色んな匂いをはらんでいる。

もったいなかったな。いつも早く寝てしまっていたから)

 私はこっそりとガラス戸から出て、数歩庭へと足を進めた。昼間とは違う匂いが貴重なもののように感じられ、贅沢に深く吸い込んだ。

 耳が痛くなるような静寂の中、ふいにカラカラカラ、と引き戸が開けられる音が鳴る。自分一人の世界に浸っていた私は思わず叫びそうになった。

(先生……?)

 私でないのだから、先生しかいない。私は頭上にせり出すバルコニーを見上げた。先生も眠れないのだろうか。それとも、いつも遅くまで起きているのだろうか。

 姿が見えない分、余計に先生がどうかしたのかと気になって仕方がない。私は盗人ぬすっとの様にコソコソと移動し、先生の部屋のバルコニーが辛うじて見えるところまでやってきた。

 先生はバルコニーで佇み、ジッと外を眺めていた。月明かりに先生の白い髪が輝いている。

 普段と違うシチュエーションだからか、その姿がとても特別なものに見えて、胸の中が騒めいた。

 夜の中に佇む先生は、何だかふくろうみたいだと思った。

 今夜はいよいよ、眠れそうにない。

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