第四章 夜会 (3)

 アッシャー家の馬車を見つけ出して乗り込もうとしたら、御者が心配そうに私に尋ねる。

「会場が騒がしいようですが、何かございましたか?」

「ちょっとね。もう収まったわ。途中で着替えたいから南区のどこかでお店に寄りたいのだけど」

「かしこまりました」

 家に帰るだけなのになぜ着替えを? と思っただろうに、さすがは伯爵家の使用人。余計な口出しはしなかった。

 私は南区の手頃な洋品店の前で御者に声をかけて降りた。

「もうここで帰っていいわ」

 御者は何か言いたそうだったが心づけを多めに渡して帰ってもらった。久しぶりにあんなことをしたのだ、このまままっすぐ帰ってノンナと顔を合わせたくなかった。あの子はそういう気配に敏感な気がする。

 平民用の洋品店で地味な濃紺のワンピースを買って着替えた。ドレスは明日取りに来ると告げて支払いを済ませた。


 洋品店がある通りから一本入った裏通りに酒場があった。ドアを押して入ると、幸い店はいていた。薄暗い店内の目立たない席に腰を下ろし、注文を取りに来た店主らしい男性に「お勧めの蒸留酒があればそれを」と頼んだ。

 心地よい充足感があった。

 展開を予想し、先回りして制圧したときの達成感。その時だけ周りの動きがゆっくりに見えるような緊張と興奮。どれも久しぶりだった。

 テーブルに置かれた強い酒を一気に飲んで背中を向けたばかりの店主に「お代わり。同じのを」と声をかけた。短い黒髪とあごひげの店長が振り返り、一瞬で空になったグラスをチラリと眺めてから「はい」と返事をした。

 (私は家族とランコムのために働いていると思ってたけど、あの仕事が好きだったのね)と思う。

 もちろん今更工作員に戻るつもりはない。今の私にはノンナがいる。あの子と暮らしたい。

 二杯目は味わいながら飲み、少し気分が落ち着いてから代金を支払って店を出た。顎髭の店長は「またどうぞ」と渋い声で送ってくれた。

 歩きながらさっきのことを思い出した。

 男の邪魔をしたのは殺人を犯させたくなかったからだ。

 狙われた人物が悪人か善人かなんてあの場ではわからない。だけど殺人が起きそうなことに気づきながら知らん顔をして、後日『善人が殺された』と知れば精神の図太い私でも後悔する。後悔によって心が強くさいなまれるのは経験済みだ。

 それに素人が殺したいと思うなら大抵はえんが原因だ。その私怨を生んだ過去の事実は殺人を成功させても記憶から消えやしない。『憎いアイツを殺したからひどい目に遭ったことはすっかり忘れた』なんて人はいないだろう。私怨で殺人を犯した人を何人か知っているが、皆暗い目で生きていた。


 男を逃さなかったのは自分のため。

 あの庭はとても高い塀から少し離れた場所に一本だけ高い木が生えていた。身軽な男ならあの木に登れば高い塀を飛び越えられそうだった。塀の向こうは別棟の区域だ。夜会中ならそこに人は少ないか全くいないかだろう。着地に失敗すれば両足骨折だが、さえしなければ逃げおおせる可能性が少しはある。

 しかもあの場所は行き止まりだったからか、衛兵は配置されていなかった。あの男は素人ながらよく考えていたようだ。

 もし男が逃げてしまったら男の正体を洗い出すために参加者の調査が行われるはず。初参加の外国人で平民なのに貴族と偽り、身分証まで偽造してる私は、詳しく調べられたら大変に都合が悪い。私が責任者ならとことん私を調べる。

 だが男が捕まって犯行の動機がわかれば無関係な私の身元が詳しく調べられる可能性は低くなる。

 そんなことを考えながら歩いて帰った私はヨラナ夫人に

「なぜ一人で歩いて帰ってきたのか」「なぜこんなに早い帰宅なのか」「なぜドレスじゃないのか」

 と質問攻めにされた。

 いろいろと濃い夜だった。


   ◇◇◇


 ジェフリーは国王陛下が招集した緊急会議に参加していた。

 参加者は国王、コンラッド第一王子、セドリック第二王子、宰相、第一騎士団団長、人事責任者、狙われたマッケナー侯爵、第二騎士団長ジェフリーの八人である。

 まず今夜の事件についてひと通り説明された。場を仕切っているのはコンラッド第一王子である。

「マッケナー侯爵、犯行の理由は思い当たるか?」

「それが全く何も思いつきません。男は誰かに雇われたのでしょうが、恨みを買うようなことは何も思い当たらないのです」

 マッケナー侯爵は五十代。堂々たるたいの背筋をビシリと伸ばし、困惑気味に答えた。

「しかしながら陛下が主宰された夜会に大変なご迷惑をおかけしたことを深くおび申し上げます。第二騎士団長が駆けつけてくれなければ今頃は……」

「死んでいただろうな。男は毒を塗った細身のナイフを持っていた」

 第一王子の言葉に参加者全員の顔が険しくなる。

「ジェフリー、お前はいつあの男に気づいた?」

「最初に気づいたのは私ではなく、本日同伴した令嬢です。『さっきから仕事をしていない接客係がいる』とダンスの最中に言われまして。見ると確かに不穏な動きで会場内を突っ切っているのに気づき追いかけました」

 第一王子が両手の指先をトントンと合わせている。

「なるほど。女性の指摘か」

「はい」

「あの男は一年も前から城で働いている。あの男の紹介状を書いたエルド男爵に兵士を送って召喚しているところだが、男爵の身内という触れ込みはおそらく、金で手に入れたのだろうな」

 それを見抜けなかった人事責任者の壮年の男は冷や汗をハンカチで拭いている。

「実はね、最初に庭に飛び出した警備兵はかなり夜目が利く男だった。倒れた男のところに到着したとき、走って去っていく女性の後ろ姿を少しだけ見ているんだ」

「女性?」

「女性があの男をこんとうさせたのですか?」

 全員が驚いて場がざわついた。

「女性が男を倒すところを見たわけではない。会場からテラス、そして庭へと警備兵が追いかけていた。男が視界から消えたのは庭に飛び降りたあとの数秒間。なのに見つけたときはもう男は失神していた。そんな一瞬で男を失神させるのは男でも難しい。だからその警備兵の見間違いということもある。それともたまたまその場にいた女性が驚いて逃げたのかもしれない」

「だが男を倒した人間は間違いなくいるわけだろう?」と国王。

「女性の特徴は?」と近衛騎士隊長。

「走り去った女性とはすでにかなりの距離が空いていたし、暗かったのでドレス姿ということ以外詳しいことは何も」

 コンラッド第一王子が残念そうに答えた。

 ジェフリーは口を閉ざして聞いていたが、ビクトリアの顔が浮かぶ。男の動きに気がついたのは彼女だ。そしてノンナを背負ってひったくり犯に足を出したときのすきがない様子が思い出される。

「まずは男の背景を探らねばなりません。マッケナー侯爵、もう少しお話を聞かせていただけますか」

「もちろんだ」

 近衛騎士団長である第一騎士団長の呼びかけにマッケナー侯爵が答えた。

 これ以上の情報が無いので会議は解散となり、数名が自分のすべきことのために足早に部屋を出ていった。部屋に残ったのは国王、二人の王子、宰相、ジェフリーの五人。ジェフリーは第一王子の目くばせで残った。


 口火を切ったのはコンラッド第一王子。

「ジェフリー、僕はどうもその女性は君がエスコートした女性のように思えるんだよ。他の者の前では伏せたが、目撃した警備兵は女性のドレスの色をどうにか視認していた。薄紫か薄い水色のドレスだったそうだが、どちらだったかは自信がないということだ。だが君のパートナーは薄紫のドレスだったな? しかも男の動きに早い段階で気づいているのだろう? その令嬢はどんな人物だい?」

「最近知り合ったばかりの女性で、ビクトリア・セラーズという令嬢です」

「どうやって知り合ったか聞かせてくれるか」

 ジェフリーは正直に話すほうがビクトリアのためと判断して、平民の彼女を貴族として参加させたことをまず国王陛下と二人の殿下に謝罪した。

「この際それはいい、気にするな。出会いの詳細を聞かせてくれるか。彼女が君になんらかの目的を持って近づいた可能性はないのか?」

 国王の求めに応じてジェフリーは休日のあの日のことから順番に説明した。

 少女を背負った状態でひったくり犯に足を掛けたことから始まり、伯父の家で再会し、今夜の夜会に誘ったことまで。


 第一王子コンラッド殿下が「ふむ」とうなずく。

「なるほど。聞く限りは偶然の出会いだな。言い寄ったのはジェフリーの方からか。お前を狙って近づいたわけではないようだ」

「言い寄ったなど」

「誰がどう聞いてもジェフリーが言い寄ってるじゃないか。珍しいな。なぜだい?」

「……私に不愉快な視線を向けない人でしたので、気が楽でした。何より女性の身でありながら人に頼ることなく生きていて、他国の捨て子を拾って育てようという彼女の気概に……」

れたのか?」

 言葉を挟んだ国王の率直な物言いに正直にうなずいてしまう。

「……はい」

 「ふうぅぅ」と深いため息をついて第一王子がジェフリーを見据える。

「私が持ちかけた縁談はどんな良縁も全て断ってきたのに、また厄介な女性に惚れたね、ジェフリー」

「その節は大変申し訳なく。しかし彼女は厄介な人物などでは」

「兄上、僕も一度その女性に会ってみたいです。もしその女性が男を倒したのなら、実に素晴らしい腕前の持ち主ですからね」

 そう言ったのは体術、剣術に自信があるセドリック第二王子だ。

「会ってどうする? お前は関係ないだろう」

「腕前だけでも知りたいではありませんか」

「やめんかセドリック」

「おやめください殿下」

 国王とジェフリーが同時に止めに入る。

「陛下、コンラッド殿下。ビクトリアをどこかの手の者とお考えかもしれませんが、彼女がその手の者なら仕事の足手まといになる子供を保護したりするでしょうか」

「それはまあ、確かにね。ジェフリー、僕は君がその女性と親しくすることに口は出さないよ。だが万が一怪しい点があったら僕に報告してくれ」

「……はい」

「団長が嫌なら僕がその役を引き受けますよ」

「それはお断りしますセドリック殿下。私が彼女を見守りますので」

 そこで五人も解散となり、ジェフリーは退出した。

 国王陛下は自室に戻りながら後ろを付いてきた宰相に小声で命じた。

「ランダル王国にいる者にビクトリア・セラーズについて調べさせよ」

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