第8話 転落

「うおぁぁっ! やべっやべええっ!」


 叫びながら佐々木は、崩落から逃れようと両手両足を我武者羅に動かす。が、頑張りもむなしく周囲の土砂ごと宙に放り出された。


 それでも佐々木は諦めない。必死に首と目を動かして現在の位置や速度を確認し、落下地点を見極める。幸いというよりも必然の結果だろう、必死の抵抗により崩落した多くの土砂よりも佐々木の体の方が上にある。土砂に埋もれる心配はないことがまず分かる。


 次に必要なのは受け身だ。着地の衝撃をうまく横に逃がしてやらねば、大けがを免れることはできない。数メートルを落下する間に腕と足を振り回して体勢を整えると、左手の指先から着地する。


 穴の底に積もった土砂の上をゴロゴロと文字通り転がり落ち、止まってから五秒ほどして佐々木は身を起こす。


「う、うおお。た、助かった。やべ、やべ、マジやべぇええ。うわ、血が」


 息を切らせて言葉にもならない声を発しつつ、佐々木は指先から順に動かしたり触ったりしながら怪我のほどを確認する。

 助かったとは言うが、無傷ではない。手で額をぬぐえば血塗れであることも分かる。


 それでも大きな怪我はなく、立ちあがることも歩くことも可能だ。


「おーい、大丈夫かー?」

「なんとか生きてる。高橋は絶対近づくな!」


 余計なことをしても怪我人が増えるだけだと断じ、佐々木は周囲を見回して登れる個所を探す。穴の底から脱出できるのであれば、とにかくそれが最優先だ。他の者を救助するなんて余裕は佐々木には既にない。本人もそれを自覚しており、自分が無事に助かることを最優先に動こうとする。


 見つけたのは、中学校側からも見えた斜めに走る線だ。佐々木の位置からでは上の方は見づらいが、底から伸び壁の中ほどまでは続いているのは確かである。


「あれが、登れれば良いんだけど」


 ひとり呟き、佐々木は斜めの線の下の端へと歩いていく。そして、線の正体を知り頭を抱えた。


 確かに、上へと続く坂がそこにあった。

 ただし、幅は五十センチもなく見上げてみると角度はかなり急だ。横から見て三十度程度であることは分かっていたが、スキー場で三十度の斜面は上級者用の急斜面である。階段であれば普通であるが、ここには滑落や転落を防止するための設備は一切ないどころか、登っている途中に崩落する恐れすらある。


 いけるのか? 

 やめた方が良いか? 

 他にもっと安全に登れそうなところはないか? 

 それとも救助を待つ? 

 でもロープを垂らされても辛くないか? 

 いや広いしヘリなら下まで降りられるんじゃないか? 

 何時間かかけて、重機で道を作る方が確実か? 


 そんなことを考えながら周囲を見回してみるが、この坂よりも安全に登れそうな箇所は全く見当たらない。どんなに目を凝らして探してみても、土砂の壁が続いているようにしか見えない。


 おそらく、ヘリに来てもらうのが最も確実だろう。穴の上からロープを下ろなどでは崩落のリスクは免れない。


「ええい、ままよ!」


 ひとり呟き佐々木は足を踏み出した。

 一歩、二歩。その程度であれば、滑っても崩ても大した問題ではない。悪くて尻もちをつく程度だろう。しかし、五十歩も進めば五メートルほどの高さになる。そこまできたら、転落した場合には間違いなく怪我が増える。


 より慎重に、ゆっくりと登るがその状況は高橋には分からない。


「佐々木ーぃ、大丈夫かーー?」

「今登ってる」

「手ぇ貸すか?」

「近づくなって! いま崩れたら俺死ぬぞ⁉」


 声とともに足音が聞こえると、佐々木は怒鳴り声をあげる。

 本当に命に係わるような場面では、悪気がないだの善意での行動だのに意味はない。重要なのは事態の打開に効果的であるのか、あるいは逆効果であるのかだ。ほとんどの人間は他人の馬鹿なミスで死にたくはないし、この佐々木篤史にも自殺願望のようなものはない。


 十分以上もかけて斜めの線の上まで登りきると、そこは先ほど崩落した場所だった。


 佐々木がやっと姿を見せたことで高橋が駆け寄ろうとするが、「来るなっつってんだろ!」とマジギレで返す。それもそうだろう、ここまで登ってきて再び転落したのでは、本当に命を落とす可能性が十分にある。先ほどと違って、全身傷だらけの上、体力も相当に消耗している。同じように着地するのも難しいだろう。


 体の向きを変えて這い上っていくと、佐々木はやっと平らなグラウンドに辿り着く。


「だ、大丈夫かよ?」

「高橋さ、マジでさ、危険かどうかを考えて動いてくれ? 思い付きで動こうとするな? 落ちたら本当に死にかねないんだって。分かる?」


 佐々木の返答は説教である。そして、一通り言いたいことが終わったら仰向けに寝転がる。


「マジきっつ、マジやべえ」


 息を切らせ、佐々木は仰向けに寝転がる。飲み物のひとつでもほしいところだが、生憎とそこにそんな気の利いたものはない。

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