第46話:エマと初めての営業活動

 印刷業者に発注した数日後。販売促進用のポスターとパンフレットが届くと、私はエマと一緒に店の制服を着て、営業に出かけようとしていた。


 今日の店の営業は、お父さんとノエルさんに任せることにしている。


「じゃあ、行ってくるね。昼頃には一回帰ってくるから」

「わかった。各店に、よろしく頼むと伝えてくれ」

「わかってるって。エマも忘れ物はない?」

「大丈夫。言われたものは、全部持った」


 二人で手提げ袋を持ち、ポスターとパンフレットだけでなく、新商品の大人のどら焼きも用意している。


 今までも取引先や同じ自営業者にお願いして、店内にポスターを飾ってもらったり、パンフレットを置いてもらったりしている。チェーン店でも理解のある店は、パンフレットを置いてくれたりしていた。


 どこまで宣伝効果があるのかはわからないが、新商品が出たと知ってもらわないことには、商品を買ってもらえない。


 大きな反響を得やすい新商品を発売する時は、ネットだけに頼らずに、自分の足も使うようにしていた。


 お父さんの知り合いが多くて、取引先に若い人が少ない、というのも影響している。


 令和の時代なのに、みんな機械音痴なんだよね……。


 今は余計なことは考えないようにして、異世界の文化が抜けないエマを注視しないといけないけど。


「収納魔法を使ったら、両手で袋を持たなくていいのに」

「誰も人がいなくても、日本では魔法禁止だよ。どこに監視カメラが設置されているのか、私にもわからないんだから」

「むぅ……。いつも持ってるロッドより重い」

「新商品が売れたら、おいしいものがもっといっぱい食べられるようになるよ?」

「急に軽く感じてきた」

「はいはい。じゃあ、頑張って営業に行こうねー」


 エマのエルフ耳が三角巾で隠れていることを確認した後、私は気を引き締めて営業に向かう。


 一方、エマは外に出ることを楽しみにしていたのか、荷物の重さを嘆いていた割には上機嫌だった。


 最近まで日本の光景に馴染みがなく、車や景色に怯えていたエマだったが、今は違う。


 日常系の漫画を読んだことが大きく影響しているみたいで、興味深そうに周囲をキョロキョロと見渡しながら歩いていた。


「ねえ、胡桃。知ってる? あそこにあるのが、信号だよ」

「うん、そうだね。信号だね」

「信号が赤になると、止まらないといけないの」

「う、うん。そうだね」

「横断歩道もあるよ」

「……今日はあそこを通っていこうか」

「うん!」


 どうやら信号を体験してみたかったらしい。目的地まで遠回りにならないのであれば、これくらいの小さな願いは聞き入れてあげよう。


 わざわざ信号のある大通りに出た私たちは、歩行者用の信号が赤になっているため、横断歩道の前で止まる。


 目の前で車が走っていても、エマは怯える様子を見せない。逆に車用の信号が黄色になり、ぶつからないように止まるところを見て、興奮しているみたいだった。


 そして、歩行者用の信号が青になると、周りの人たちに合わせて、一緒に歩き進める。


「ねえ、胡桃。どうしてこんなルールがあるの?」

「車は便利なものだけど、ぶつかったら命を失う危険があるからね。安全に過ごすために決めたんじゃないかな」

「ふーん。すごいね、みんなちゃんとルールを守ってて」


 エマはルールを守る人たちは褒めてくれるが、信号無視する歩行者とか、道路交通法を守らない運転手もいる。


 感心してくれているので、今はそういう悪い部分は教えないようにしよう。


 大きな建物が並ぶ大通りを歩き進めると、すぐに小さなクリーニング屋さんにたどり着いた。


 うちの店の制服を綺麗にしてくれている取引先であり、私も付き合いが長い。親しみやすい女性が営んでいる店で、互いにお得意先でもあった。


 そのため、営業中ではあるものの、遠慮なくお邪魔させていただく。


「すみません。ちょっとだけお時間いいですか?」

「あら、胡桃ちゃん。朝に来るなんて珍しいわね。どうしたの?」

「いつもの販促用ポスターと新商品を持ってきたので、またお願いしたいんですけど」

「あー、はいはい。そういう感じね。全然いいわよ」


 私がポスターを渡した後、エマが恐る恐る新商品を差し出した。


「……ど、どうぞ」


 薄々と気づいてはいたけど、エマは重度の人見知りである。


 今まで過ごした世界が違うこともあり、完全に自分の殻に閉じこもっていた。


「この子も胡桃ちゃんの店で働いているの?」

「そうなんですよ。お父さんが再婚したら、大きな妹ができたので、あいさつ代わりに連れてきました」

「えっ! そうな!? あら、まあ……国際結婚なんて、勇気のある決断ね!」


 本当は国際結婚を通り越して、異世界結婚なんですけどね、と思いつつも、余計なことは言わない。


 クリーニング屋さんの話に合わせて、近況報告がてら、軽い世間話をしていた。


「……」


 なお、エマはかなり緊張しているみたいで、目を合わせる度に黙々とペコペコと頭を下げている。


「すみません。日本語はできるんですけど、まだ新しい環境に慣れないみたいで……」

「日本語がわかるだけでもすごいと思うわ。外国語の中でも、日本語は難しいってよく聞くもの」


 翻訳の魔道具を使っているんですよ、とも言えないので、こちらも黙っておく。


 このままうちの事情を話していると、エマが話さない分、私がボロを出してしまいそうだ。向こうも仕事があるから、早めに切り上げさせていただこう。


「まだまだ日本の生活に慣れない部分が多いので、どこかのタイミングでコーヒーとかこぼして、お世話になると思います。その時は優しくしてあげてください」

「いつでも大丈夫よ。シミ抜きや汚れを落とす仕事なら、任せといて」

「今度、店の制服もクリーニングに出しますね。あっ、新商品は今度の木曜日から発売しますから――」

「ええ、わかっているわ。その日に貼り出せばいいんでしょう?」

「はい、よろしくお願いします」


 軽くお辞儀をして、クリーニング屋さんを後にすると、エマが大きなため息をはいた。


「ふぅー。初回にしては上出来」

「満足そうな顔をしているけど、最低限の範囲内だと思うよ。緊張して全然話せてなかったからね?」

「大丈夫。こういうのは、千里の道も一歩から、っていうらしいよ?」

「おおー……よく知ってたね。そんな難しい言葉を」

「漫画に書いてあった。よし、次に行こう」


 大丈夫かなーと思いつつ、私は自信満々のエマと一緒に次の場所に向かっていくのであった。

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