あなたのヒロインになりたくて

赤髪命

あなたのヒロインになりたくて

 私には昔から一つの夢がある。


 私がまだ幼かったころ、家族に連れられて観に行った演劇の舞台で見た光景は、高校生になった今でも鮮明に覚えている。


 スポットライトに照らされた女優の演技、その一つ一つの美しさに、私は釘付けになっていた。


 それ以来、私は女優になりたいという夢を持ち続けている。


 高校に進学してから一ヶ月が経った。演劇部が休みの日に、私は階段の踊り場で自主練をしていた。


「あれ、君って演劇部の……」


と後ろから声をかけられた。私は驚いて振り返り、


「わ、私、一年の島野美加ですっ」


と答えた。目の前にいたのは演劇部の先輩だった。


「驚かせちゃってごめん。俺は杉下悠馬、演劇部の脚本担当だよ」


 そう言われて、確か部活にそんな先輩がいたような気がした。


「それで、ここで何してるの?」


と聞かれて、


「今日は部活が休みなので、ここで一人で練習してるんです」


と答えると、先輩は、


「それじゃ、これからは俺も来ていい?」


と言うので、私は頷いた。


「ところで、先輩はどうしてここに来たんですか?」


「俺はたまたま通りかかっただけだよ」


 そう言って、先輩はその場から去っていった。


 翌日、私が階段の踊り場に行くと、杉下先輩が待っていた。


「島野さん、すごく熱心だけど、もしかして女優を目指してるの?」


 私が練習を始めようとすると、先輩が私にそう尋ねた。私は、


「はい。小さい頃に見た演劇の女優さんの演技が忘れられなくて。杉下先輩は、何か目標はあるんですか?」


私がそう聞くと、先輩は、


「俺はやっぱり、脚本家かな」


と言って、私に紙の束を渡した。それが演劇の脚本であることはすぐにわかった。


「それ、俺が書いた脚本。ちょっと読んでみてよ」


 と言うので、私は先輩の書いた脚本を読んだ。先輩の書いた脚本は、今までに読んだことが無いくらいとても良くできていた。


「あの、杉下先輩、私、この脚本、演じてみたいです」


 私がそう言うと、先輩はにこりと笑って、


「それじゃ、今度部活で相談してみよう。俺は、島野さんがこの脚本のヒロインに向いてると思うよ」


と言ってくれた。


 その日の夜、家で先輩の書いた脚本を読んでいると、その脚本に未完成の部分があることに気づいた。そして、そこは私がアドリブで演技しなければならないことに気づくまでに、さほど時間はかからなかった。


 私はアドリブで演技をすることがとても苦手だ。


 小学校の時、学芸会の劇で主演を務めたことがあった。その時、始めは台本にアドリブで演技をするように書かれていたが、私のアドリブでの演技が下手すぎて、最終的に先生たちがその部分の台詞を考えることになってしまった。


 それ以来、アドリブで演技をすることがとても苦手になってしまった。アドリブで演技をしようとすると、どうしても小学校の時のことが頭をよぎってしまい、上手に演技をすることができない。


 本当はこのままじゃいけないと分かっている。でも、変われない。どうしても弱気になってしまう。


 翌日、私は先輩に、


「ごめんなさい。私、この脚本、演じられないです」


と言った。先輩は不思議そうな顔をして、


「どこか直すべき場所でもあった?」


と私に尋ねた。


「そうじゃなくて、私、アドリブがとても苦手で、下手なんです。だから、私は杉下先輩の素敵なシナリオで導いて欲しいです」


 と私は答えた。


 こんな弱気なことを言っちゃいけないと分かっている。でも、私にはこの脚本を演じられないと感じてしまう。


 そんな私に、先輩は、


「分かった。アドリブの部分は少し減らしておくよ。でも、少しだけ、頑張ってみても、いいんじゃないかな」


と優しく言って、


「俺は島野さんの演技、好きだよ」


と言ってくれた。


 その言葉を聞いて、私のなかで、不安な気持ちが少し消えた気がした。


 それから毎日、私は先輩とアドリブで演技をする練習を続けた。


 そのなかで私はいつしか、杉下先輩のことが好きになっていった。


 やがて文化祭が近づくに連れて、私と杉下先輩が練習で二人きりになることが多くなった。そして、私の想いも、日に日に強くなっていった。


 そして文化祭前日、


「ずっと好きでした。だから、私と、付き合ってください」


私がそう言ったところで幕が下りる。まだリハーサルだが、アドリブの告白シーンも練習のおかげで何とか上手く演じられていると思う。


 リハーサルが終わると、私の周りに演劇部の先輩たちが集まって、良かったよと褒めてくれる。それが落ち着いたところで、杉下先輩が、


「アドリブの所、すごい上手くなったじゃん。明日も頑張ろう」


と言ってくれた。


 その日の夜、私は鏡の前で最後の告白シーンの練習をしていた。ただ、いつもと違うのは、その練習が、演劇のためだけではないことだ。私は、文化祭の後に杉下先輩に告白すると決めた。


 文化祭当日、私は出番の直前まで杉下先輩と練習していた。


 そして出番の直前になると、杉下先輩が、


「島野さんならきっとできるよ。頑張って」


と言ってくれた。そして幕が開いた。


 順調に劇は進み、最後の告白シーンを迎えた。


「ずっと好きでした。だから、私と、付き合って、ください」


 会場から拍手が起こり、幕が下りる。杉下先輩のことを意識してしまったせいか、少し言葉に詰まってしまったが、何とか演じきることができた。


 舞台袖に戻ると、部活の先輩たちが昨日と変わらず褒めてくれる。もちろん杉下先輩も、


「すごく良かったよ。俺の脚本をこんなに上手に演じてくれてありがとう」


と言ってくれた。その言葉を聞いて、私は少しドキドキしてしまう。


 文化祭が終わってから、私は杉下先輩を階段の踊り場に呼び出した。そこで演技の出来のことを少し話した後、


「あの、先輩、その……」


繰り返し覚えたはずの言葉が声にならず、恥ずかしさで杉下先輩の目を見ることもできなかった。それでも、


「ずっと、好き、でした。だから、私と、付き合って、ください」


何とか伝えた、私の本当の想い。


「もちろん、これからもよろしく」


 杉下先輩は優しく微笑んでくれる。


 ずっとただの後輩を演じていた私が、この時、一つの物語のヒロインになった。

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