キヨコ

和響

第1話

『自動水拭き機能』が追加されたことを元アイドル女優が笑顔で語り、彼女の細くて長い足の間を鈍く光る銀色のお掃除ロボット『KIyoCOキヨコ』が通り抜ける。


 パタパタ動く小さな箒が前方のチリやホコリを掻き出し、本体がそのゴミを吸い上げると、本体後方に付いているモップがフローリングを美しく拭きあげる。前後左右に動き、時折床用洗剤をぴゅぴゅっと吹き出しながら、お掃除ロボット『KIyoCO』は家中を綺麗にしていく。


『家にいない時間もアプリで遠隔操作。本体に専用タブレットをセットすれば本格的な床掃除も! それにカメラ内蔵で留守中のペットの様子だって見れちゃうんです! この感動体験をぜひ、あなたの家でも!』


 最新型全自動お掃除ロボット『KIyoCO』のテーマソングが流れ、コロンと丸くてどことなくSFチックな『KIyoCO』のボディがアップで映し出される。『今ならお試しキャンペーン中!』と画面に出たところで、十五秒間のテレビCMはバラエティ番組へと切り替わった。


 カラフルでポップなスタジオセット。数年前のお笑いコンテストで優勝した二人組の漫才師が司会を務める『タノモースのキラキラデイズ』が軽快なリズムのオープニングミュージックもなしに始まる。


 漫才コンビ『タノモース』の二人が、いつもの椅子に座った状態で膝に手を置き、神妙な面持ちで「えー」と声を発した。


『先日、僕たちのこの番組レギューラーメンバーである望月健斗もちづきけんとさんが二十五歳の若さでこの世を去りました。いまだ僕たちも信じられない気持ちでいっぱいです』

『彼とは、この番組が始まってから一緒に仕事をしてきました。本当に心の優しい青年で、親子ほど歳が離れた僕たちのことを、いつも気遣ってくれていました。心よりお悔やみ申し上げます』

『いまだ信じられない気持ちでいっぱいですが、今日は番組の内容を一部変更して、望月健斗さんのご活躍された企画を振り返り、健斗くんを皆さんと共に忍びたいと思います』


 ——健斗。わたしの健斗。


 何度も心の中で呟く。テレビに映し出される望月健斗の姿を滲む視界に入れて、わたしはテレビ画面にかじりついた。もちろんテレビの録画ボタンを押している。テレビ画面の下で赤く小さな丸い光が問題なく録画していることを教えてくれて、わたしはいま、全身全霊で生きている頃の健斗の姿を網膜に焼き付けている。


 ——健斗。わたしの健斗。


 目が滲んでいては健斗の姿がぼやけてしまうと、洋服の袖で水分を吸い上げ、健斗を見つめる。


 レジャー施設をめぐる企画で、大きな池に飛び込むように落下してびしょ濡れになっている健斗。SNS映えすると話題になっているお店の取材で、激辛カレーを食べて顔を真っ赤にしている健斗。ごくごくっと水を飲み干し、ぷはぁと息をつき大袈裟に顔を歪める健斗。


「健斗……。わたしはそれ以外の顔も知ってるよ。健斗の全部全部をわたしは知ってるよ。健斗、わたしだけの健斗だよ——」


 四人組男性アイドルグループ『ムーンデイズ』の望月健斗が亡くなったと報道されたのは、サッカーワールドカップで日本がドイツに勝った日から数日後のことだった。日本がドイツに勝つなんて、歴史的勝利。日本中が、いや、世界中の日本を応援していた人々がその勝利に歓喜の雄叫びをあげ、テレビでもSNSでも、その功績を大興奮なテンションで取り上げていた。


 その数日後、誰もが勝てると信じていたコスタリカに日本が負けるまでは。


 コスタリカに1点差で日本が負け、その瞬間からテレビの中でのサッカーの話題は暗くて重い空気感をなんとなく醸し出していた。最初は残念がる声で、そのうち誰が悪かったとか、もっとこうした方が良かったとか、そんなことが街頭インタビューや解説者の声から漏れ出てきて、一喜一憂とはこういうことを言うのだとぼうっとスマホを見ながらわたしは思っていた。この後のスペイン戦次第では決勝リーグに進めず、そこで敗退となってしまうのだとか。連日その話題がどのワイドショーでも取り上げられていた。


 もちろん、生放送である『タノモースのキラキラデイズ』でもコスタリカ戦の翌日にその話題は取り上げられていて、熱狂的なサッカーファンの健斗は番組内で、『日本を最後まで応援してますよ! スペインに勝って決勝リーグに絶対行けますよ!』と前向きな発言をしていた。そんな健斗がわたしは大好きだった。彼は該当インタビューで悲観的なことを言う人のように絶対批判的なことは言わないし、全力で日本代表を応援していた。例えそれがどんな結果であっても、だ。


 ——それなのに、どうして……。


 健斗が亡くなったのは、スペイン戦が開催される前の日、十二月一日だと言われている。だと言われていると言うのは、事務所からの正式な発表がまだないからで、死亡推定時刻とやらが公式で報道されているわけではなく、わたしたち一般人が知る由もない。


 自殺だと言われている。


 待ち合わせの予定時刻になってもマンションのエントランスから出てこない健斗を不審に思ったマネージャーが、部屋の鍵を開けると、健斗はすでに息絶えていたそうだ。前日は仕事がなく、健斗は久々のオフだったそうで、実際の死亡時刻はわからないとのことだった。と、これはSNSに誰かが書き込んだニュース調の記事で読んだだけだが。


 健斗たちが入っている男性アイドルグループ『ムーンデイズ』はまだまだ売り出し中の若手——と言っても平均年齢が二十五歳——で、仕事が毎日あるほど売れっ子というわけではない。菓子メーカーのCMに猫の着ぐるみを着て出演していたり、メンバーのそれぞれがラジオやバラエティ、ドラマなどにピンで出演している。そのメンバーの中でも健斗はいわゆる真面目キャラで、最近出演した連続ドラマの彼氏役が健斗の外見とマッチして人気が出始めてきたところだった。


 学園ものの純情ラブストーリー。真面目な健斗は優しい美術教師役で、主役の音楽教師の彼氏役——と言っても、ドラマ開始後三話目で主役にふられてしまい、早々に物語からフェードアウトした——が、どハマりしていた。色白でどこか儚げな表情が似合う、眼鏡をかけた美術講師。西陽のさす美術室でカンバスに鉛筆を走らせたり、真剣な眼差しで女子高生の指導をしている光景が尊くて、そのドラマで健斗を知ったという新たなファンも増えていた。


《火曜ドラマ『ハイスクルールソング』美術の先生役で出てる望月健斗に最近沼ってる》

《あの眼鏡越しの消えそうな眼差しがやばい》

《健斗くんまじかっこいい。毎週火曜日楽しみだったのにもうフェードアウトだなんて。元彼健斗の復活願う!》


 SNSの投稿で健斗の名前を見るたびに、嬉しいような嬉しくないような複雑な気分になった。正直健斗のファンが増えるのはわたしの健斗が減ってしまうみたいで嫌だと思った。みんなの健斗じゃなくて、わたしの、わたしだけの健斗でいて欲しかった。それでも、健斗の人気が出てもっと活躍の場が増えるのは喜ばしいことだと思うようにしていた。もちろんわたしも毎週欠かさずドラマを観て、SNSで健斗にメッセージを送った。


《今日の健斗も、カッコ良かったよ》って。


 アイドルグループ『ムーンデイズ』の公式アカウントや、健斗個人の公式アカウントのフォロワー数も、あのドラマ出演以降、急激に増えていった気がする。


 ——本当に、これからって時になぜ自殺なんて。


 十代からの下積み時代を経て、ようやく世にで始めたところだったのだ。もうバックダンサーで踊らなくても、子役のチョイ役でドラマ出演しなくても、デビューできないまま終わるんじゃないかって悩まなくてもいいようになったのに。


『健斗くん、いつでもどんな時でも笑ってますね。なんだかまだ嘘みたいです。それではここで、一旦CMです』


 健斗の思い出に浸りながらテレビを見ていると、スタジオにいる男性MCの声が聞こえ、画面が切り替わり洗濯用洗剤のCMが始まった。一日中いい香りが続く柔軟剤が入っているのが売りだというその洗剤は固形のもので、何種類かの洗剤や柔軟剤が混ざってできているカラフルなものだった。


 ——健斗、この洗剤使ってるって言ってたな。


 自分が出ているバラエティ番組のスポンサー企業の洗剤。CMに起用されているのはあざとかわいい元アナウンサー女優だ。自分が出演しているCM商品ではないのだけれど、番組のスポンサー企業ということもあって宣伝に一役買おうと思ったのか、健斗のSNSには、今しがたCMでやっていた洗濯石鹸を使っている旨が書いてあった。あれは多分、わたしが健斗の家に行く前のことだったと思う。


 そうなのだ。

 

 若手アイドルグループ『ムーンデイズ』の望月健斗とわたしはただのアイドルとファンという関係ではなかった。


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