#5B タイトル未定

「――あれ」

 

 玄関扉で、足止めを食らう。夜の校舎への潜入作戦は一瞬で頓挫した。

 そういうわけで、校舎には入れない――もう、大人になってしまったし。


「ま、そりゃな」

「分かってた?なら、先に言ってくれても、よかったのに」

「……もしかしたらキリエなら行けるかもって」

「なに、それ」


 失意に見上げる、四階建ての校舎。ここから、あのペントハウスは見えない。

 私とキリエの、はじまりの場所。


――折角なら、あそこで出来たら綺麗だったんだけど。


「……ねぇ、キリエ」

「ン。帰るか?」

「――ごめん」

「いいって、アタシも母校に――」

「ごめん。やっぱり……やっぱり、私。ナシに出来なかったみたい、でね」


 噛み合ってない会話。身体の内側、何かが軋むような音がする。このまま全部吐き出したら、その瞬間に身体がばらばらに吹き飛んでしまうかもしれない。


「私。キリエの、特別に……キリエの、恋人に、なりたくて」


――いっそ、本当にそうならよかったんだけれど。


 勝算のない、記念受検のようなもの――なのに、喉は名残惜しげに言葉を引き留める。そのせいで嗚咽混じりになった言葉は、まるで、まだ、本気みたいだ。

 キリエの表情は、見えない。代わりに、その息遣いがやけにはっきりと聞こえた。


「……アタシの方こそ、ごめんな」


 永遠いっこぶんの時間のあと、キリエはそう言った。

 「ごめん」の三文字が無限に反響する。去年、二人で行った鍾乳洞みたいだった。空気が重く、地面はどろどろになって……上下を忘れて、倒れるからだ。


「たくさん待たせちまった」


 痛みはない。代わりに、よく知っている平熱35度5分。

 キリエが私を抱えていた。誕生日祝いの花束みたいに。


「……ようやく、返事するよ。アタシと一緒に生きてくれ、ホトリ」


――あれ?

 瞳に溜まった涙を吸い上げて、頭のてっぺんから花が咲いた。


「えっ……え、え、え、なんで?」

「なんで?なんでって……なんだ。お互い好きで、成立で――じゃなくて?」

「だって、言われたんでしょ?付き合って、って。三年の……先輩、から」


 言ってから気付く、真偽がなんであれ――今持ち出すには無粋な話題。けど、吐いてしまった言葉は今更呑み込めなくて、真相究明。


「――え、いつ言った?」

「えっ?ほら、この前のライブの、打ち上げのあと」

「……マジか、記憶がない」

「じゃあ。されて、ない?」

「された」

「――なら!なんで、私を」

「あん!?そりゃあ、先輩よりホトリが――」


 そこまで言って、キリエが静止した。私を抱きしめていた手を解いて、ひとつ息を吐いて。そうして玄関扉に座り込んで……ひとつ、長い息を吐く。それは映画で見る末期のマフィアにも、いま切腹に臨む武士にも似て。シュールに頬が緩む。


「なぁ、ホトリ」

「どうしたの、キリエ」

「……本当に、長く待たせちまった。言い訳を、させてくれるか」

「――うん」


 促されて、傍らに腰かけて。

 深夜の校舎、二度と開かない玄関扉にふたり寄り添う――見上げれば、月。過去と現在が絡まってねじれて、今ここには時間が無いように錯覚をした。


「――二年前。ライブ帰り。ホトリからの告白……嬉しかったんだよ。でも、アタシには即答出来なかった。ホトリみたいに突っ走ることが、出来なかった」

「……そんなの。私だって、あれは弾みみたいなものだったし」

「ホトリのことは好きだ。ずっと前から、大好きだった――けど、恋人同士になれるのか?だって、アタシたちは女同士で。それ抜きにしたってお互い、なんでもなくて――リスクが百個は思いつく。だから今日まで、ずっと、考えてた」

「そっか、そうなんだ」


 キリエはあれから今日まで、私の告白に対する答えを真剣に考え続けてくれていた。傲慢な言い方をすれば……キリエの世界の真ん中に、ずっと私は居られたんだと思う。けれど、それだけ悩ませてしまっていたと考えると。いたたまれなくなる、罪悪感。悲喜の板挟みになって、味気ない返事ひとつ出すしか出来なかった。


「先輩。鮫島先輩って言うんだけどな。少しだけ、いいと思ったんだ。……悪い」

「それは、いい、けど」

「――でも、それが最後のピースだったんだ。アタシよりギターが上手くて、頭がよくて、気が利いて、ぐらついて。あー、これが恋なんだって、分かってさ」

「……うん」

「こんなの、ずっと感じてたんだよ――ホトリ、お前に」

 

 お前に。なんて言葉を吐きながら、力なく垂れる頭。メッシュの入った黒髪は枝垂れて、視線は無骨なアスファルトに落ちる。

 まるで、懺悔みたいだった。


「でも、私。私なんて、ギターなんて弾けないし。キリエより、ぜんぶ、全然」

「勘違い」

「え?」

「勘違いは、もう終わりにしようぜ」


 今日何度目か、私とキリエの視線が重なる。ぴったり寄り添っているせいで、ほとんどゼロ距離になって……恥ずかしいけれど、逸らせるような局面でもなくて。


「ホトリの絵は、ちゃんとプロで通用するくらい上手くなって。依頼人とのやり取りも一人でこなせるようになった。上京してこっち、家事も上達して。今のホトリはもう、高校生のホトリが妄想してたよりもずっと、天才なんだよ」

「でも、だって、まだ――これは、キリエが、引っ張ってくれたから、で」

「なら、今日も一緒だ。ホトリが信じる天才キリエが、丸二年かけて導き出した結論――倉橋ホトリも……いや、倉橋ホトリは、天才なんだよ」

「でも――」


 でも、もし、たら、れば。脊髄反射で噴出する否定語のすべてが。

 キリエの、柔らかな唇に堰き止められる。


「んぅ――」


 そのまま、キリエは糸が切れたように倒れ込んできて……私は、下敷きになる。

 もう、何百日と一緒に生きてきたはずなのに。

 その日、はじめて。倉橋ホトリは――筧キリエの細さと軽さを確かめた。

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