第55話
――【令明館大学】。
市内の中でも偏差値の高さではトップ3に入るエリート大学であり、その歴史も古い。規模こそそれほど大きくないものの、卒業生の中からは官僚や副総理まで上り詰めた人物だっている。
構内には大きな広場やスポーツ施設があり、また数年前に旧館をリニューアルしたカフェレストランや図書館などもあって、学生にとっては居心地の良い空間となっている。
またバス停や駅も近く交通の便も良いので、ここを受験する者は例年右肩上がりなのだ。
そんな構内には、A棟、B棟、C棟、D棟と名付けられた連立した建物があるのだが、その一つであるA棟の一室――【法務経済部室】にて、複数の人物が顔を合わせていた。
「――なあ、さっさとやっちまおうぜ」
その中で誰よりも体格が良い男性――熊野洋太は、その手にしているリンゴを頬張りながら自身の要求を口にした。
「相変わらずの考えなしだ。お前はただ暴れたいだけだろ、洋太」
「あぁ? うっせえぞ、圭」
熊野の凶悪なまでの視線の先にいるのは口田圭。眼鏡をかけた優男である。
「大体向こうは歯向かってんだぜ? そんな奴らはさっさと殺しちまえばいいんだよ」
「だから短絡的に行動すると意外な被害を受ける危険性があるって言っているんだ」
「んなもん、どうせやり合って死ぬのはどうでもいい連中じゃねえか」
「人材が減れば、それだけ物資調達や組織運営にも滞りが出るって言っている。まあ、脳まで筋肉に侵されているお前じゃ分からないかもしれないけどな」
「あぁ!? てめえ、喧嘩売ってんだな! だったら買ってやるぜコラ! 表に出ろや!」
「やれやれ。これだから暴力を振るうことしかできない奴は困る。本当に高校の時から何も変わってない」
それから二人はさらに言い合いを始め、それを不安な様子で周りにいる複数の人物が見守っている。
誰も止めない、いや、止められない。下手に介入すれば飛び火が自分たちに来ることが分かっているからだ。そうなれば口田はともかく、熊野の気まぐれで殺されてしまうかもしれない。
だがそんな中、室内の扉が開き、そこから女性二人を両脇に侍らせた男性が登場する。
「これは騒がしいですね。何かありましたか?」
丁寧な物言いをするその男性こそ、現在この大学内で最も権力を有する存在。
その名を――
「おう、お前待ちだっての鷹良」
熊野が不愉快そうに言うと、葛杉が微笑を浮かべながら「それはすみませんでしたね」と軽い調子で謝罪の言葉を述べた。
室内にある教壇の奥に設置された椅子に腰かけた葛杉に向かって、熊野がさらに声をかける。
「なあおい、そろそろ戦争をおっ始めようぜ!」
「そうですねぇ。圭、あなたはどう思いますか?」
「確かに戦力はこちらに分がある。人も武器も多い」
「だったら何も問題ねえってことじゃねえか! それに向こうは大した武器だってねえだろうが!」
「それでも不安要素があるから様子を見ると言っているんだ。向こうだってバカだけの集まりじゃない。クーデターをこの機に起こした理由には相応の考えがあってのことだろう。馬鹿正直に真正面から突っ込んでも被害が大きくなるだけだ」
「けっ、だから? 奴らが何を企もうと、圧倒的な力で押し潰せばいいだけだろうがよ!」
「そのために犠牲になる数が多ければ多いほど、後々の統治に問題が出ると言っているんだよ」
「そうなったらまたどっかで集めてくりゃいいだけの話だろうが」
「この世界で人員を集める難しさを理解してほしいな。それともゾンビを仲間にでもすればいいって言うのか?」
またも口論に火花を散らせる二人。そこへ葛杉が、腰に携帯しているサバイバルナイフを教壇に突き刺した。
言い争いに夢中になっていた二人も、葛杉の行為を見て口を噤んだ。同時に葛杉が侍らせている女性たちも顔を真っ青にして固まっている。他の者たちも同様だ。
「互いに意見を交わすのは良いことですよ。しかし少々熱くなり過ぎですね、二人とも」
糸目のように細いその目をさらに細める葛杉の眼力は強い。その奥に潜む瞳は、まるで死んだ魚のような不気味さを宿しており、その瞳からは何の感情も読み取れない。
「これ以上、僕の前で愚かな争いを続けるというのなら…………分かっていますね?」
「っ…………分かったよ」
「す、すまない。頭を冷やす」
熊野も口田も、まるで冷や水でもかけられたかのようにその熱が消失した。
「別に分かってもらえればいいんですよ。さて、それでは改めて会議を再開しましょうか」
その言葉で、多くの者がホッと息を吐く。まるで先ほどまで爆弾処理でもしているかのような緊張感だった。
「圭、クーデターの戦力はどこまで把握できていますか?」
「分かっているのはリストにしてある。これを」
そう言って口田は、彼自身が所持していたファイルから一枚の紙を取り出して渡した。それをサッと眺めた葛杉は眉をピクリと動かす。
「なるほど、やはり向こうのリーダーは彼、ですか」
リストに記載されたある者の名前に、葛杉の視線は向けられていた。
「ああ、藤木誠一。確か奴は前のリーダーの補佐役だったな」
「つーか副リーダーだった野郎だろ? 元プロボクサーって聞いたけどな」
「そうだ。まあボクサーといっても、もう引退して十年以上経ってるらしいが」
「クク、引退したボクサーなんて屁でもねえな。この俺がぶっ殺してやるぜ」
熊野は自慢げに指を慣らし鼻息を荒くしている。自分の勝利を欠片も疑っていない様子だ。
「それは頼もしいですね。ただ、もう一人気になる名前がありますが……」
さらに葛杉が注視した一つの名前。
「――大黒頭海彦。この名前、あの大黒頭財閥と無関係ではないでしょうね」
「あぁ? そんな奴いたっけか?」
「確か無駄にガタイの良い男だったような……」
熊野は見覚えがないようだが、口田は記憶の片隅にはいるらしい。
「……まあいいでしょう。財閥そのものを相手にするわけではなく、あくまでも相手は個人ですからね。あとは向こうの出方次第なんですが……圭、いつ動くと思いますか?」
「こちらは戦力が多いといっても、そのほとんどは脅して従わせてる連中ばかりだ。それを見越して早めに仕掛けてくる可能性はある」
「なら奴隷たちにはさらに強い首輪を嵌めておきましょうか。なぁに、こちらに人質がいる以上、裏切ることはできないでしょうし、見せしめに人質の一人を殺してみせれば言うことを聞くと思いますよ」
「……分かった、そのように手配しておこう」
「よろしくお願いしますよ、圭。さあ、いつ彼らが攻めてきてもいいように、こちらもさっさと準備を整えてしまいましょうか」
不敵な笑みを浮かべる葛杉の含み笑いが、室内に不気味に響いていた。
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