第42話
すずねとの話はそれほど長くはかからなかった。
彼女は自身が思っていることを素直に言葉にしてくれたのだ。
できればずっと一緒に過ごしていきたい、と。
その言葉はとても心が温かくなるような嬉々としたものだった。こんな世界で誰かに求められることは本当に貴重だと思うから。
ここに来て、大変な毎日ではあったけれど、その分充実していたと思う。前にいたところでは、嫌なことばかりだった。
暴力や恐喝が横行し、独裁政治のもと誰もが下を向いていた。旨みを与えられるのはほんの僅かの上に立つ人間だけ。小色や理九も搾取される側であり、特に理九は小色のために毎日疲弊していた。
だから彼に逃げようって誘い外に出たのである。しかしすぐにゾンビ犬に襲われ、自分の選択が間違っていたのではと後悔しそうになった。しかしそこで出会ったのが日門だったというわけだ。
そんな危険極まりない世界にいながら、ここは比較的穏やかな時間が流れていた。当主である時乃は優秀で、彼女は自他ともに厳しいながらも、ちゃんと働く者にはしっかりとした生活を保障してくれる。
人と人との繋がりも、そう固いものではないし、こうしてすずねという無二の友人とも出会うことができた。
だからそんな彼女からこれからも一緒にいようと求められるのは感動的なのは確か。確かなのだが……。
「…………ごめんね」
小色は自分で考えた結論を言葉にした。すずねはショックを受けつつも、どこか納得していそうな表情で「……そっか」と返事をしてくれたのである。
そして彼女から、日門のことを聞いた。こうして小色に本心を打ち明けられたのも、彼が背中を押してくれたからだと。
次いで、とんでもないことも言ってくれた。
「あーあ、やっぱり女の友情は恋には勝てないってことかぁ」
瞬間的に顔を真っ赤にして口をパクパクさせてしまった小色。そして意地悪気に微笑むすずね。そして二人して同時に笑い合う。
小色はこの先を決めた。ならばここでジッとはしていられない。まだ報告しなければならない人がいるから。
そこですずねにもう一度「ごめんね」と言った後、こうして時乃の執務室へとやってきたのだ。途中理九も探し回ったが、彼もまた時乃のところにいると聞いて都合が良いと思った。
執務室に入った小色は、理九の隣に立つとペコリと一礼をする。
「……どうかしたのかしら、小色?」
こちらの話なんて察してるであろう時乃だが、それでも形式を重視する彼女はそうして尋ねてきた。
「はい。わたしは…………日門さんについていきたいと思っています」
「!? 小色……そっか、決めたんだな」
「うん、ごめんねお兄ちゃん、勝手に決めて」
「いいや、別にいいって。僕としては……やっぱりホッとしてるしな」
どうやら彼は、日門を選んでほしかったことが、その言葉で理解できた。
しかしまだ終わっていない。険しい顔つきのまま、こちらを睨みつけているボディーガードの皆や、射抜くような視線をぶつけてくる時乃との話は続いている。
「……小色、それは本当に正しい選択なのかしら?」
「分かりません。けれど、わたしはそうしたいと思っているだけです」
「あの仮面の男が、本当にあなたたちをずっと守ってくれるかしら? あれほどの人外じいた力の持ち主よ。そのうち弱者であるあなたたちが邪魔になって捨てられるかもしれないわよ?」
「ひか…………あの人はそんなことはしません」
「まだ出会ってひと月も経っている相手に何故そう確信できるのかしら?」
どうやら理九から、日門についてある程度聞いているようだ。
「それは――――女の勘、です!」
その答えはあまりにも突拍子もないことだったのか、その場にいた誰もがキョトンとした表情で固まっていた。いつもクールな時乃でさえも呆気に取られている様子。
「当主様にはお世話になって、一方的に出ていくのは確かに恩知らずかもしれません。それでもわたしはあの人の傍にいたいって思いました。あの時……離れ離れになった時は、とても苦しかった。ここが……とても痛かった」
小色は自分の胸をキュッと掴むような仕草をする。
それはここに日門と一緒に来た時だ。何だかんだいっても一緒に過ごしていけるのではと淡い期待を持っていたからなおさら辛かった。
「だからもし次に会えた時は、今度は……離れたくないって思ったんです」
「小色……お前そこまで……」
小色の抱く気持ちの強さを改めて知った理九は、やれやれと諦めたような溜息を零した。
そしてしばらく沈黙が続き、口火を切ったのは時乃である。
「……どうやら決意は固いようね。仕方ないわ」
「!? お嬢、許可するつもりなのかよ?」
篤史が目を見開きながら声を発した。
「ならあなたが止める? どうやって?」
「そ、それは……」
「力尽くなんてもってのほかよ。そうやって人を縛っても良いことなんてないわ。特にこんな閉塞した世界なら猶更ね。それに……そんなことをすればあの男に滅ぼされかねないわ。まあ何より、そんな方法は美しくないもの」
「お嬢…………わかりやしたよ」
どうやら篤史や他のボディーガードの者たちは渋々ながら反論することを捨てたようだ。
「凛もあなたのことを気に入っていたんだけどね」
「その凛さんに背中を押してもらいました」
「……ったく、あの人は……」
不愉快そうながらも、どこか慣れ親しんだ様子の声音。恐らく凜ならそうしてもおかしくないと考えてのことだろう。それだけの絆が二人の間にあるということ。それは素直に羨ましいとさえ思った。
「了解したわ。けれど幾つか条件があるわね」
「条件……」
思わずごくりと喉を鳴らしたのは、声を発した小色だけでなく理九もだった。
「まずはここの情報を一切外部に漏らさないこと」
「そ、それはもちろんです! 当然だよね、お兄ちゃん!」
理九もどこかホッとした様子で「ああ」と賛同してくれた。
「それと……必ず生き抜きなさい。無様に死ぬことだけは許可しないわよ」
「「! ……はい!」」
二人して絶対に守るという気持ちを込めた返事をした。
「最後に………………いつでもいいから、また顔を見せに来なさい」
「え? ……い、いいんですか?」
時乃は「もちろんよ」と優しく微笑んでくれたのであった。
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