第36話

(これは……麻痺毒? いや、神経毒か? なるほど、身体の色が変わったのは毒属性に変化したからか)


 異世界でも毒を持つモンスターは多い。被害に遭ったことも、死にかけたことも何度もあった。


 身動きの取れない日門に対し、巨大ナメクジはさらに手を緩めずに、触手で無数の殴打を繰り出してくる。顔や腹など全身に衝撃が走る。その威力で背中の土壁にどんどん亀裂が入っていく。もし生身の人間ならすでに内臓破裂くらいはしていることだろう。


 そして十数秒後、攻撃が止み、一度の沈黙が漂う。

 磔のままぐったりと項垂れている日門を見て、巨大ナメクジが勝機を確信したかのように気味の悪い奇声を上げる。


「――――んだよ、もう終わりか?」


 日門は意識を失っているわけではなかった。さらにいうなら、あれだけの暴力をその身に受けてもなお、ほぼダメージもなかったのである。

 顔を上げて不敵に笑う日門に対し、巨大ナメクジが今度も粘液を飛ばしてきた。それが全身に付着すると、今度は皮膚が溶け始める。


(なるほどな。今度は溶解液ってわけか)


 溶解液、毒液、粘着液、触手、小ナメクジの生産と、随分と多岐に渡る手段を持っているものだ。それぞれが汎用性もあるし、戦い方によっては無双することも可能だ。


 実際に異世界でも、これほどの強さを持ち合わせたモンスターはランクも上位に位置していたはず。


(大したヤツだな。それに……)


 皮膚が爛れる度に激痛が走る……が、日門が表情を歪めることはない。それは何故か。簡単だ。この程度の痛みなど、今の日門にとっては軽く抓られているのと同義。

 まあもっと分かりやすく言えば慣れているだけ。


 異世界で自分に戦う術がないことを知った時、自分の取れる選択肢は二つあった。厳密にいえばもう少しあるだろうが、日門にとっては二つの中から選ぶしかなかったのである。


 一つは、戦うことを拒絶し、異世界のどこかで平和を願い過ごすこと。

 しかしこれは当然、元の世界に戻ることはできず、かつ異世界を侵食する厄災によって、いずれ異世界もろとも滅ぼされる可能性が高い。けれど辛い思いをすることなく、幾分かの平和は満喫することができる。


 そしてもう一つは、戦うことを選び異世界を救うこと。当然この道程には考えられないほどの試練が山ほど待っている。

 戦えない人間が、ゼロから学ぶには途方もない時間を必要とする……普通は。それを短縮するには、当然ながら常識外の手段を講じるしかない。 


 それが《魔核》を埋めることや、魔文字を身体に刻むことなどだ。

 その過程で仮死状態にもなったし、激痛に苛まれることもあった。また短時間で力のコントロールを極めるために文字通り死ぬほどの修練を乗り越えたのである。


 その時に受けた様々な痛みに比べると、こんな胃酸のダメージ程度、笑って見守っていられるくらいのものだ。

 とはいっても放置しておいたら、身体の機能自体がダメになり構造的に動けなくなると困るのも事実。


(あまり使いたくはねぇけど、この状態ならしょうがねぇか)


 軽く深呼吸をして、そして始める――。


「――――――《外道再生げどうさいせい》」


 日門が呟いた直後、全身に広がっていた傷が徐々に治癒し始める。それを見た巨大ナメクジがギョッとした様子で、さらに溶解液をぶつけてくるが、やはり溶解速度を上回る勢いで治癒していく。


 それでは殺せないことを把握したのか、今度は粘液から触手を用いて日門の身体を締め付け始める。どうやら全身の骨を砕いて絞め殺す手段に変えたようだ。

 こうして素早い状況判断に的確な攻撃を選択できるのは見事としか言えない。もし相手が日門でなければ、この世を統べる存在にすらなれていたかもしれない。


「…………俺はよぉ」


 万力のごとく全身を締め付けられながらも、静かに口を開く日門。


「これでも結構温厚のつもりなんだわ」


 ギシギシと体中から音が響く中、それでも平静と日門を冷たい瞳で巨大ナメクジを射抜く。


「怒るって結構しんどいんだぜ? エネルギー使うしよぉ。だから大抵のことは笑って許すことにしてる。その方がこっちも楽だしな。……けどよ、俺にだって我慢ならねぇことがある。何だか、分かるか? なあ?」


 ギロリと殺意に満ちた眼差しを向けると、そこで初めて恐怖に怯えたように巨大ナメクジが身体を硬直させた。


「お前は俺の身内に手を出した。だから――――覚悟しろよ」


 刹那、日門の全身から業火が溢れ出し周囲を包み込む。触手は一瞬で灰と化し、巨大ナメクジや小ナメクジたちもまた熱さに気圧されるように後ずさる。


「――逃がさねぇよ」


 日門はナメクジたちが反応できないほどの速度で接近し、次々と小ナメクジを撃破していく。巨大ナメクジが何とか止めようと触手で捕縛しようとするが、まったく追いついていない。


 そしてあっという間に、小ナメクジの存在が焼失し、あとは巨大ナメクジだけとなった。

 このままでは自分も同じように焼失させられると察知したのか、穴を溶解させて地中へ逃げようとしてくるが、当然それを黙って見ている日門ではない。


「――《土の針山》」


 地面を殴りつけると、その衝撃が巨大ナメクジの下にある地面から、剣山の如く鋭くなった土塊が現れて串刺しにする。

 ただ単純な物理攻撃はダメージがないのか、痛みは感じていない様子だ。それでも針のせいで身動きができずにいた。何とか針山を溶解させようと体液を溢れさせるが、それに若干時間がかかるだろう。その間を逃すつもりなどない。


 再び全身から炎を噴出させる日門。その熱量は、溶解液のように周囲の地面を変形させていく。そして跳躍し、巨大ナメクジの頭上に辿り着くと、両拳を組んで天に掲げる。すると、全身の炎が両拳を伝って上空へ立ち昇り、巨大な拳の形を成していく。


「行くぜ――《炎武・巨転絶火きょてんぜっか》っ!」


 全力で両拳を振り下ろした瞬間、同じように上空に浮かぶ炎の拳が巨大ナメクジの頭上へ向かってハンマーのように落下していく。

 回避する間もなく、巨大ナメクジは炎塊の餌食となり、頭から一気に潰されると同時に全身を凄まじい熱量が襲い掛かる。


「ギリィィィィィィィイイイイイイイイッ!?」


 そこで初めて痛烈は断末魔のような鳴き声を上げ、その身体が徐々に崩れていき灰となり土に還っていく。

 降り立った日門は、敵が焼失するまでジッと見つめている。


 そして炎が消え、その後に何もない状態を確認した後、軽く溜息を吐いてから大穴の方へ向かおうとする――が、


「ぐっ……っ!?」


 突然胸の中に埋め込まれている《魔核》が大きく脈動し、日門は顔をしかめてた。

 そしてそれに呼応するかのように全身が淡く発光して――。





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