第一章

第一話

 僕、美刻みこく高天原たかまがはらから追い出された次の記憶……。

 それは視界いっぱいに広がる黒色だった。


 何も見えない……。

 ぱち、ぱちと目をまたたかせているつもりだが、暗闇が晴れる事はない。意識があるかないかすら曖昧になってきそうだ。

 危うく、今までの記憶が混濁しそうになる。

 ゆっくりと頭を振った。

 整理しなければ。


 高天原から追い出されたところまでは覚えてる。ということは、今自分がいるここは此岸か?

 確か、ここの物質を依代よりしろにする、と言われたような……。

 今自分の体は、高天原にいた時のような人型じゃないってことか。


(そう言われても、違いはいまいちわからないけどな……)


 自分の目で確認もままならないからかもしれないが、違和感は全くない。

 手を動かして自分の座っている、床であろうものを押すと、なぜかふわ、ふわ、と軽い感覚が返ってきた。

 床じゃなさそうだ……。

 触った感じ、布団か何かに近い気もするが。

 頭にも、柔らかい布のようなものが当たっていた。ま


 そのまま手をついて、ゆっくりと立ちあがろうとしてみる。

 だがその瞬間、ぽすっと尻餅をついてしまった。

 うまく足が動かない……。


「……」


 新しい身体に入った反動だろうか。

 足に手を伸ばして確認しようとも思ったが、怖くてやめておいた。

 仕方なく、手を下につき、這って脱出をこころみる。


 だが、なぜか体が動かなかった。


「……?」


 あれ、と疑問に思いつつもう一度試すが、それでも動かない。

 何やら、体の中に重い、倦怠感けんたいかんのようなものがあるのだ。

 それが物理的なものではなく、虚無感からくるものだと気づいた時、僕は思い切り体を下につけるように倒した。

 急激に、高天原での記憶が蘇ってきたのだ。


 自分が鎌で切り捨てた者達。


 削れる城の壁。


 血が飛び散る光景。


 蘇るにつれ、無気力感は酷くなっていく。

 そのまま体を包み込んでしまうようだった。

 いよいよ動けなくなる。

 ここで生涯を終えてしまうのではなかろうか。

 そうとまで思考が働いた時、


 あの子の笑顔が脳裏をよぎった。


 そうだ。

 僕はここで、此岸でやる事がある。

 ここで、こんなところで、立ち止まっている場合ではない。

 無理矢理、体を這わせた。

 ふわふわしている中を進んでいく。

 上の布を払うのは容易だった。


「っあ」


 それは唐突だった。自分の右手が、布の切れ目に触れたような気がしたのだ。

 目を向けると、そこから光がれでている。

 出口なのか。

 急いで左手も出し、一気に頭をそこに突っ込んだ。


「っ!!」


 眩い光が目を差した。無意識のうちにぎゅっとつむってしまう。

 手でこすりながら、なんとか光に目を慣らそうとする。


 まず目に入ったのは、机にクッション。それにテレビだ。

 少し離れたところには本棚もある。

 ここは誰かの部屋のようだ、と感じた。

 そして下のふわふわした感覚を確かめようと下を向き、


 ひゅっ、と息を呑んだ。


 ちょうどそこに着けていた自分の手は、見知ったそれではない。

 少し丸くて、小さくて、質感も全然違う。

 なんだか布の様な感触だ。


 ばっ、と後ろを振り向いたら、そこにも巨大な布が広がっている。

 大海原おおうなばらのようだ。

 いや、これは……布団?

 ここは、もしかしてベッドか?

 もう一度下を向くと、紫色の何やらふわふわしたものに手を当てている事が分かった。自分のいるところから少し離れたところに何か模様の様なものがある。

 僕の体が埋まってしまうのでは、と思う程の大きさだ。

 反対側を見ると、全く同じ模様がもう一つ、まるで対照的になるように設置されていた。

 これ模様じゃないな。目だな。

 てことは僕がいるのは、ベッド……に置かれた、ぬいぐるみ……の上か?

 僕の手は、それと同じようなものに見える。

 恐る恐る手を顔に当てると、人間のそれより明らかに柔らかい物を感じた。

 ぬいぐるみの無機質な目を見る。


「まさか……」


 嫌な結論に至りそうになる。

 このベッドから見るに、僕は大分小さい身体になっているようだ。

 それだけでも望ましくない話なのに……。


 ガチャ


 僕の思考を乱したのは、ドアが開くような音だった。

 咄嗟とっさに体を前に倒し、動かないように固まらせる。

 この部屋の主が帰ってきたのだろうか。

 体を倒しつつも、目はしっかり音がした方を向けた。


 開いたドアから入ってきたのは、一人の少女だった。

 少し幼さが残る顔で、長い髪を下の方で結んでいる。

 ラフな格好をしていた。

 遠いからか、身長がどれくらいかはわからない。逆にいうと、自分が彼女と比べて小さいという気もあまりしなかった。

 彼女は本棚の前を通り過ぎて、机の前のクッションに座るのかと思ったらそうでもなく、こちらにやってきてベッドに腰掛けた。


 やばい。自分がどんな姿をしているのかなんてまだよくわかっていないが、異質な存在には間違いない。

 いや、そうか、そうだな、彼女からしてみればこんなの立派なプライベートの侵害だよな……。

 申し訳ない。

 目を瞑るのは……。自分がさっき思い至ったことに則れば、少しまずい気がする。

 せめて目線を外して、息も極限までひそめておく。

 バレませんように……。

 内心汗をかきながら、祈るような気持ちになる。

 そうしていると不意に、ギシッと、何かがきしむような音がした。

 え?

 彼女がこちらに身を乗り出したような気配がする……。

 やめて、見ないでくれ。

 だがそんな、伝わるはずのない抗議も虚しく、胴体にぎゅ、と捕まれるような圧迫感が襲った。

 見なくてもわかる、恐らく少女に掴まれている。

 緊張感で体に冷たい感覚が走る。

 彼女は僕をつかみ、ぬいぐるみの上からおろして、座らせるように置いた。

 時間からしてみればそれ程ではない、しかし二度と味わいたくない緊迫の時間だった……。

 思い切り体を弛緩させたいが、それをしたらいよいよバレる。

 ぎしっ、という軽い振動。

 布団がこすれるような音。

 その後で急に静かになった。


 もしかして、とそろそろと横目で確認してみると、布団の塊が目に入った。

 やっぱり、彼女は布団をかぶって寝てしまったらしい。

 明かりはついたままなんだが……。消し忘れたのかな。

 寝たといえど、まだまだ油断はできない。

 動き回るのはしばらく我慢だ……。


 それにしても。

 さっきの予想は正しいかもな。

 僕、ぬいぐるみになってしまったんじゃないだろうか……。

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ノーマル•ミーズ〜俗世に追放された神様と幸せを掴む話〜 あざっす @azaaaaaaaasu

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