アイを唄う人魚と鏡の魔法 ⅩⅥ

 硝酸銀の鏡面がバラバラに砕け散り、魔女めいた装飾の鏡台も既に消え去っています。しかし、ぽっかりと空間に空いた鏡は凪いだ海のような静けさとともに“こちら側”と“向こう側”を映しています。

 もう、世界の境界は薄皮一枚すらよりも薄くなっていました。

 ああ、自分の愚かさが本当に恨めしい!

 白亜がここにいれば思いっきり横っ面を殴られたい!


「―――ほう、殊勝な心掛けだな。新米支配人代理兼館長代理のあなたにも『責任』という概念があるなんて初耳だわ」

「白亜!? 生きていたんですか!?」

「勝手に殺すな!? というか、あんたが忘れ物を取りに行くように指示したんでしょうが!?」


 私の横にはあの銀髪の副館長さんが立っていました。

 もっともいつもの容姿端麗な姿は何処へやら、大和撫子よりも似合っていた着物エプロンは消え失せ、「リトル☆ウィッチーズ 神推し」と印字された安物のTシャツと便所スリッパの色をした公立中学のジャージの組み合わせが最高にダサいです。そして、中身も更に輪をかけて残念で銀髪はボサボサで月下美人のような双眸は泣き腫らし、小さなお鼻もトナカイのように―――。


「へーくしゅん、へーくしゅん、あーくそー! へーくしゅん」

「ぷ、ぷぷぷ……、は、白亜、く、くしゃみに品がないです、ですよ」

「それもおまえのせいだろ! 後で絶対に覚えてなさいよ!」


 実はここだけの話だけなのですが、白亜は極度の猫アレルギーなのです。その精度はすさまじく、猫がちょっとでも歩いていれば、くしゃみと目の強烈な痒みとなって反応してくれます。掃除をするときとても役に立つのですが、それを言うともれなく殺されますのでみなさんも気をつけましょう。


「それはそうと指示したものは持ってきてくれたんですか? えらく遅かったじゃないですか!? そのせいで透火さんがアレになって、世界がちょっとしたピンチになっているじゃないですか!?」


 白亜はまだむずかる鼻をティッシュで抑えながら、まるでやっと気がついたように少し前まで舞台だったものをつまらなそうに見つめます。


「あー、えらいことになっているなー」

「えらいも何も大統領ぐらいえらいことになってますよ! 世界と世界が融合して新世界が生まれかけていますです、ですよ!」

「…………『鏡』の魔女は120年ぶり、か」

「…………“黒”の方は、ですね」


 魔女因子を持つ者は遺伝上の繋がり、つまりには血縁関係とは関係ありません。

 突然生まれ、突然いなくなる。

 魔女と魔法の歴史はそれなりにありますが、それらの因果関係は正確には解明されていません。しかし、あくまで感覚的なものですが、周期性を感じさせるものもないわけでありません。 そして、透火さんとよく似た「鏡」の因子を持つ魔女は120年前にもいたのです。

 ちなみに魔女の才能タレントは大まかな単語で定義づけられる一方でその強さは色によって区分されます。最低は「白」から始まり、最高位は「黒」になります。


「まさかあの地元中学生女子が『鏡』の魔女だったとはね、それも『黒』とか…………」

「どうです? 前回の『鏡』の魔女の面影はありますか?」


 白亜は少しだけ黙って『鏡』を見ていましたが、小さなくしゃみを一度すると肩をすくめてしまいました。


「さあね。透火ちゃんは透火ちゃん、よ」

「そうですか」


 ―――La-La-La-LAAAA


 もうまもなく世界の境界は無くなり、舞台は無事通り世界そのものと化すでしょう。そして、その中心で「鏡」の魔女は歌を高らかに謳うのです。


「それでどうするの? 支配人代理兼館長代理」


 今度は私は肩をすくめました。どうやらすくめる肩は残っているようです。まあ今更泡になって溶けなくても世界の方が溶けてしまえば同じことですし。


「どうするも何もお手上げですよ。白亜には申し訳ないですが、せっかく取ってきてもらったものもこうなってしまえば効果はないでしょう。せいぜいこの異変に気がついた魔女協会WAが1秒でも早く介入してくれることを祈りましょう」


 しかし、いつもは小言ばかりの生真面目すぎる副館長は私の目をじっと見つめたまま黙っていました。それを見て、私はなんとなく嫌な予感を覚えたのです。


「あなたがどうにかすればいい」


 ほら、やっぱり。


「あはは、白亜も変なことを言いますねー。もう魔法を使えない魔女に何を期待しているんですか」


 冗談めかして言いましたが、やはり白亜は目を逸らしません。ますます嫌な予感がしました。


「違う」

「何がです?」

「あなたは魔女。そして、魔法は今だって使える」

「使えませんよ。それはあなたが一番よくわかっているじゃないですか」

「…………」


 白亜は少し息を吸うと瞼をぎゅっと閉じました。

 彼女が瞼の裏で何を観ているのか。もし『鏡』の魔女の魔法が最初に思っていた通りの“想い”を具現化する方だったら。私たちは何を話したのでしょうか?

 しかし、白亜は言葉の代わりに背中に背負っていた鞄を床に下ろしました。その際にTシャツの背中に見えた「Magic ☆ exists! (魔法はあるんだよ!)」の文字がやけに印象に残りました。あれは「リトル☆ウィッチーズ」の今年のツアータイトルだったはずです。


「…………それは、」

「…………」


 白亜が床に下ろしたもの、正確には床に下ろしたケースの中のものを見たとき、私は言葉を失いました。それ以外に言いようがありません。絶句です。


「彼方、“これ”を使って」

「白亜! あなた、何を考えているんです、ですかっ!?」

「“これ”であなたは魔法を使えるわ」


 頭がくらくらしてきます。この最低な気持ちに比べれば、今起きている世界の危機など取るに足らない些事でしかありません。勝手すぎる? 勝手で結構。だって、私は魔女ですから。


「使えるわけない。使えるわけがない! 白亜、あなた……“これ”を手に入れるためにどれだけ代償を支払ったんですか!?」

「大したことないわ。せいぜい、よ」

「ああ、なんてことを…………」


 白銀のケースにこそっと仕舞われていたのは古ぼけたヴァイオリンでした。

 魔力めいたものは全く感じません。しかし、逆にそれがひどく禍々しい。古いもの、だいたい100年以上経過したモノには大抵人の想いや記憶が溶け込み、魔力あるいは魔力に近いものを宿しているものなのです(日本における「付喪神」も大体これと同じ理屈です)。

 でも、このヴァイオリンにはそういうものが一切ない。

 なぜなら奏者や聴衆はおろか、周囲一帯から魔力や霊力を吸い取り、一つの方向に導くための純粋たる機械だから。

 その機械の名は―――“魔導器”。

この世界には魔女以外にも魔法を使える人間たちがいます。

 かつては錬金術師と呼ばれた彼らは現在は“魔導師”と呼ばれていて、魔女のように直接魔法こそ使えませんが、自らが制作した“魔導器”を用いることで魔法に準じる力を使うことができます。

 魔動器は一見すると楽器にしか見えません。というか、楽器です。それもそのはず、魔女が自らの歌や踊りで世界に干渉するように、魔動器はその音色で世界に干渉するので基本的に原理は一緒なのです。そのため著名な魔動器のなかには楽器の名器として世界に知られているものも少なくありません。

 そして、そのなかでも特に優れた魔導師が制作した魔動器は魔法とほとんど変わらないと聞いています。そのため協会や有名劇場に厳重に管理されているので本来であれば私たちのような貧乏劇場の魔女は触ることはおろか、見ることすら叶わないものなのですよ。


「ブリアン・デルラポルタの《exspectatio》シリーズの第5番よ。これなら役不足と言わせないわよ」


 しかし、白亜はそんなことなど一向に気にせず、まるで部活動の後のスポーツドリンクのような調子で投げてきたので目を剥きました。私、いや大抵の魔女や魔導師には聖剣エクスカリバーを子供同士のチャンバラに使うよりもひどい蛮行です。

 ブリアン・デルラポルタ―――自然科学と混在となった錬金術から魔導という純然たる神秘を独立させた、祖にして最高の魔導師。彼の造った陰陽2対の魔動器は魔法世界にとって至高の二文字を冠する唯一無二の名器なのです。


「ふん、ただの魔動器でしょ。所詮は猿真似しかできない可哀想な男どもが慰みに作ったガラクタよ。魔導師なんて千年かけて河原に石を積んでも、魔女見習いの魔法一つ再現できない能無しどもだわ」


 …………やれやれ、魔女至上主義の白亜にかかっては「至高の名器」もこの調子です。しかし、普段は猫が香水を嫌がるよりも魔導師を毛嫌いする白亜と魔動器の組み合わせは全く予想外でした。


「まあ、あのろくでなしどもも百均の毛玉取りぐらいには役に立つときもあるのね。長生きはしてみるものだわ」

「…………それは貶しているんですか、褒めているんですか」


 私の問いに答えずに宝石のような瞳が私をじっと見つめました。世界がまるで琥珀色になったかのような錯覚を覚えました。そして、いよいよ嫌な予感は確信に変わったのです。


「それでもう一度歌って、彼方」

「…………白亜。あなた、透火さんが魔女であることに最初から気づいていましたね?」

「違う、わ」


 それから数秒間、私たちは睨み合っていましたが、先に視線を逸らしたのは白亜の方でした。


「…………」


 はあー。この世の終わりのようなため息が漏れます。まあ実際、この世の終わりなんですが。真犯人がわかったところで今更どうしようもありません。

 元はといえば悪いのは私です。白亜も私が魔法を使えなくなったことを彼女なりに責任を感じていたのでしょう。それに気がつかずに呑気に支配人代理兼館長代理の生活を満喫していた私の責任でもあるのです。ということは、本当の黒幕は私? いやだー。


「…………はあ、まったくもう。世界を中学生女子に滅ぼされるわけにはいきませんからね。世界を滅ぼすのは構いませんが、彼女は舞台人生をまだ十分に楽しんでいません。透火さんにはまだまだ食べるべきケーキもタルトもガトーショコラもあるのです」

「彼方、あなた…………」

「何ですか、その顔は。チラシ10枚分の貸しですからね!」


 こうして私の楽しかった支配人代理兼館長代理の日々は終わりました。

 そして、これからは支配人代理兼館長代理兼魔女の日々が始まるのです!

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