早朝と孤独
森本 晃次
第1話 いろいろな怒り心頭の話
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和三年十二月時点のものです。それ以降は未来のお話です。いろいろな事例があるが、あくまでもフィクションだと思ってください、ただ、怒りだけが事実だということになります。
一人の男性が、まだ早朝の、まだ夜も明けていない状態の道を歩いている。歩く人はまばらで、通りの入り口のところにあったコンビニのライトだけが、眩しく感じられた。
大通りに面してはいるが、通りを行き交う車は、まだ早朝と言っていいので少なく、そのほとんどはタクシーだった。
この一帯は、夜中の一定の時間は、タクシーによる、
「客の乗車」
は許されていない。
確か午後十一時から、二時の間くらいであっただろうか。もし、客が手を挙げて、タクシーが止まってしまったら、そのあたりに隠れている覆面パトカーがサイレンを鳴らして飛び出してくるという仕掛けになっている。
この大通りに面した地域は、この地方では最大の歓楽街になっていて、夜の時間になると、客待ちのタクシーが、片側二車線の道の一車線を完全にふさいでしまうことで、夜中とはいえ、渋滞を巻き起こしたり、何かあった時など、緊急自動車が入れないという問題も起こっていたのだ。
特に、救急車や消防車が入れないと、致命的あことになり、大問題になるだろう。そのため、県の条例で、歓楽街であるこのあたりの深夜におけるタクシー待ちは、制限されることになったのだ。
深夜になると、乗車できない時間帯にタクシーを見ることはなくなった。
見るとすれば、通り過ぎていく車か、それとも、このあたりまで客を乗せてきて、客を降ろすタクシーくらいである。
だが、タクシーのそんな情報を知っている人は少ないのではないか。たまに深夜の時間帯、客をここまで運んできたタクシーを見て、降ろした後に乗り込もうとして、
「すみません、この一帯は、この時間、乗車はできないことになっているんですよ」
と言って、断らなければならない。
それを思えば運転手も、このあたりまで客を乗せなければいけない状態になったことに、行き先を聞いた時、苦虫を噛み潰したことだろう。
かといって、載せないわけにはいかないからだ。
もし、行き先を聞いて、そこで断ってしまえば、完全な乗車拒否となってしまい、問題になる。それだけはしてはいけないことだった。
タクシーというのは、この一帯の深夜の問題とは別に、一般市民の知らないいろいろなしきたりなどがある。
たとえば、これはしきたりというわけではないが、タクシーメーターの話で、
「タクシーメーターは基本的に、進んだ距離でメーターが上がるが、停止している時間が一定を超えると、一歩も進んでいなくても、メーターが上がるのをご存じの方は、どれくらいいるだろうか?」
ちょくちょく利用している人が、普段は、夕方のラッシュが終わってから、深夜帯の二割り増し料金に変わる前に乗っている時は意識していなかったが、普段は、九時くらいに乗車する場所で、ちょうどラッシュの一番ひどい、七時前くらいに乗車すると、ほとんど前に進まないという状況に追い込まれる。
急いでいるわけではないが、逆にそんな時の方がイライラしてくる。頭の中で何も考えることがないからだ。
最初であれば別にイライラしないが、我に返ると、そこから先の時間の感覚が、なかなか進んでくれないと思うと、一気にイライラが募ってくる。きっと表の車の密着度にいらだちを感じているからに違いない。
中には、イラついている気持ちを、自分の中だけに抑えて置けなくなり、意味もないのにクラクションを鳴らす、無駄なことをする輩がいる。それで、人にも自分の苛立ちを感じさせようという自己中なやつなのだろうが、すべて自分だけだと考えてしまう、一番厄介な奴なのだった。
また、今度は、警察との関係ではないのだが、この街の玄関駅となる大きなターミナルがある。
ここは、新幹線の駅も併設されていて、さすが、地域ナンバーワンの駅であった。
駅までにはタクシー乗り場のターミナルがあり、そこには、常時タクシーが出入りしていた。
今回のお話は、タクシー協会と、駅との関係のようだった。
タクシー乗り場の向こうには、大型バスが入るところになっていて、観光バスや、修学旅行のバスなどが、ひっきりなしに出入りしていた。
そんなバスの入り口あたりに、タクシーが客待ちで待機しているのが、かなりあるようで、その間にバスが入ってくるので、歩行者などが、バスの影で見えないなどということで、危ないといって、かなり苦情が来ているようだった。
その場所は駅の構内ではないのだが、タクシーが、駅構内に入りすぎ、ロータリーを一杯にするので、入れない運転手が、ホテルの前などで客待ちをしているようだ。
確かに、駅前にはビジネスホテルなどが多く、そこから出てくる客がバスに乗ったりもするので、バスがいる分にはいいのだろうが、タクシーは問題になったようだ。付近の店や、ビジネスホテルからも苦情がきたに違いない。
客が苦情を言えば、ホテルが苦情をいうのは当たり前のことである。
駅からあふれたタクシーが起こしている問題なので、駅も、
「知りません」
とは言えない。
近隣の人たちと駅の方もトラブルを起こすわけにはいかない。特に旅行関係ということで、ホテルとは、よしなにしなければいけないだろう。
そこで、駅とタクシー協会の間で、ある決め事を定めたようだ。
「一日交代で、ナンバーの末尾が奇数偶数で、ターミナルに入れる車を制限しよう」
ということであった。
もちろん、ホテル前に停車するのも、罰金扱いで、さらに繰り返せば、出社停止などの刑罰が科せられることになった。
タクシー会社は、タクシー協会には逆らえないので、決まったことは守るしかないのだ。
さらに、これは他の地区でも同じなのかも知れないが、
「ロータリーの降者専用のところで客を降ろしたタクシーは、一度ロータリーを出ないといけない」
というルールを定めたのだ。
もちろん、他にタクシーが一台もおらず、客が乗り場で待っている場合はしょうがないだろう。
何と言っても、客にはそんなことは関係ないからである。目の前で待っている客を放っておいて出てしまうと、客はきっと駅に、
「乗車拒否された」
と言って、クレームをいいに行くだろうからである。
そうなってしまうと、駅の方も困るわけで、そのあたりは運転手の臨機応変にやってもらえるように対応しているのだ。
また、これはタクシー一台と客とのトラブルであるが、あれは、ちょうど、早朝の四時半くらいのことだったという。
その人は夜勤で仕事が終わり、次の日が休みだったこともあって、
「今日くらいはタクシーで帰ってもいいかな?」
と考えたようだ。
その時、ちょうど、世の中が緊急事態宣言などという厄介なものが出ていたので、人も歩いていない。タクシーは少ないが走っているという状態だった。一日、売り上げが数千円なんていうのがざらだったに違いない。
その時、大通りの反対車線を知り合いが歩いていて、向こうからUターンをして走ってくるタクシーがあったという。
こっちは手を挙げたわけでも何でもないのに、わざわざ来てくれたということで、
「せっかくだから乗ってやろう」
と思い、席に座り、行き先を告げたのだという。
すると運転手は、
「そこまではいけません。降りてください」
と言って、客を追い出したというのだ。
腹が立って、文句を言ったが、相手は誤りもしない。こっちが悪いのかと思い、せっかくなので、ナンバーだけは控えておいたが、何かの時は文句を言ってやるつもりだったという。
たぶんであるが、行き先が遠いことで、五時を回ってしまうというのだ。そうなると、残業になり、それが続くと、国からの指摘で、出社停止になってしまうというのだ。
つまり、タクシーの昼と夜の交代時間は、午後五時だということなのだ。
そのために、知り合いは、
「明らかに悪質な乗車拒否」
をされたのだ。
「どんな理由があるにせよ。そんなのは、客に関係ない」
というのが、最終的なことであるが、それまでにも突っ込みどころは満載なのだ。
さて、もう一つ考えられることとして、
「その運転手は、誰かほかの予約客、たぶn日ごろの馴染客なのだろうが、その客との待ち合わせに間に合わない」
と考えたのではないかということだ。
要するに、自分を贔屓にしてくれる客と、通りすがりに過ぎない自分とを天秤にかけたというわけだ。
ただ、それもタクシーの運転手なら考えどころであろうが、前述の、交代時間の問題というであるにしても、どちらも、分からなくもないが、それはあくまでも、
「客がタクシーを拾った場合」
のことであれば、百歩譲ることもできるが、何と言っても、相手は、こちらを、
「狙い撃ち」
してきたのである。
「会社に帰る前に、ちょっとした小遣い稼ぎ」
あるいは、
「次の客の前の小遣い稼ぎ」
とでも思ったのか、どうせ、
「遠くだと言えば、断ればいい」
とでも思ったのだろう。
客にタクシー会社の事情も分かるわけもない。腹は立つかも知れないが、これが乗車拒否だとは思わないだろうと思ったとすれば、実に軽率なことだろう。
何と言っても、その運転手は、一度も、
「すみません」
という一言もなかった。
明らかに高圧な態度で、
「お前なんかに乗ってもらわなくたっていい」
とでも言いたいのか。
だとすれば、なぜ、自分を捕まえたというのか、
「どうせ、小遣い程度のものだから、会社に収めずに、俺のポケットに入れてしまおう」
と思えば、分からなくもない。
行き先を聞いて、
「しまった」
と思ったのだろうが、あとは開き直りで何とかなるとでも思ったのか、その心境は分からないが、本当にタクシー協会に連絡してもよかったのではないかとは思ったのだった。
以前に似たような時間に乗った運転手も、
「五時に交代なので、そこまで行くと、少し問題があるんですよ。じゃあ、最寄りの駅のロータリーまでいけば、そこにはタクシーが並んでいますので、そこまで無料で送迎いたしますので、そこで乗り換えていただけませんか?」
と言われたことがあった。
その時の運転手は、ちゃんと、謝罪をしたうえでの申し出であったので、こちらとしても、ただで送迎してくれるというのは、数回分のメーター分、安くなるわけだから、願ってもいないことだった。
交渉は成立し、お互いに笑顔で、別れたことがあっただけに、今回のタクシーの露骨なやり方は、許せないほどだった。
そんなタクシーもいるかと思えば、今度はそれから一年後くらいに、やはりタクシーに乗った時のことだった。
路上でタクシーを物色していると、信号の向こうから、空車がこちらに向かってやってくるのが見えた。ちょうど赤信号で停車しているので、それの乗ろうと待っていた時のことだった。
そこに右折してこちらの方に曲がってきた一台の空車タクシーがいた。
早朝で真っ暗な時間帯だったので、車の屋根の上の明かりと、車内の、空車、賃走のランプで判断するしかなかったのだが、それは明らかに、
「空車」
を示していた。
しかも、左折してきて、ゆっくりと進行し、少し前で停車し、後部座席の扉が開いたのだ。
「こちらは手も挙げていないのに」
と思って、おそるおそる近づくと、何と中から客が降りてくるではないか。
信号が青に代わり、最初に目をつけていたタクシーに急いで手を挙げたおかげで、止まってくれて、事なきを得たのだが、危ないところであったのは、間違いないことだったのだ。
タクシーに乗り込み、事情を運転手に話してみた。
運転手も、こちらの様子を見ていて、
「お客さんが乗ってくれると確信していたんですよ」
と言って、こちらを気にしていたようだ。
「そうすると、一台が曲がってきたでしょう? 上を見ると、空車のようだったので、こっちは、やられたと思ったんですよ。でもお客さんの様子をじっと気にしていたので、急いでこっちに向かって手を挙げているのを見て、事情をこちらも分かったというわけですね」
というではないか。
「ええ、そうなんですよ。僕はあのタクシーに手を挙げたわけではない。きっとあなたが、自分を見てくれていると思ったから、こっちもおかしいなと思ったんです。何しろ扉があきましたからね。それで近寄ったら、降ろそうとしているじゃないですか、こっちもやられたと思いましたね。去年嫌なことがあったので、その記憶がよみがえってきて、もし、その人が客を降ろした後で、こちらを乗せようという魂胆だったのだとすれば、絶対に、そんな魂胆に乗る気はありませんからね」
と言って、昨年の話をしたのだ。
「そうですよね。ちょっと悪質かな? とは私も思いました。明らかにあなたを狙っているというのが、信号待ちをしていて分かりましたからね」
というので、
「そうでしょう? 少し手前で止まったのも、きっと中の客が見られるのを警戒してのことだったのではないかと思ったんです。その間に少し時間稼ぎをして、信号待ちをしているこちらのタクシーが行き過ぎて、こちらが、身動きが取れない状態にすれば、乗るしかないだろうとでも思ったんでしょうね。それを考えると、あまりにも露骨なやり方に、自分は、そのタクシーに乗る気はなかったですよ。次に通りかかるタクシーを待ってもいいと思うくらいだからですね」
と言った。
「お客さんの気持ちはよく分かります。深夜を流しているタクシーには、少なからず、そんな露骨なやつもいますからね。それを思うと、私もお客さんには謝罪しかないと思うんですが」
というので、
「いやいや、運転手さんのようないい人だといいんですけどね。私も長距離なので、さっきのタクシーにしてやられていれば、どんな車内になるか、想像は尽きますからね。それを思うと、絶対い乗りたいなんて思わないですよ。針のムシロに乗せられて、さらに金をとられたんではたまったものじゃありませんからね」
と言った。
「本当にそうですよね。私が客の立場なら同じことを思いますよ。だから、我々もたまに客の気持ちになってみるというのが大切なことではないかと思うんですよね」
といったのだ。
「なかなか、運転手さんは分かっておられると思いますよ。だから客もなるべくタクシー会社や協会のことを知っておくのも悪くないと思うんですよ。何しろ、いろいろなタクシー関係者だけで決められたしきたりのようなものが多いですからね」
というと、
「ええ、お客さんの立場からすればそうでしょうね、タクシー関係者からすれば、当たり前のことだと思っていることも、実際にはそうではなく、これが当たり前のことなんだって思っていますので、それって、完全にこちら側のエゴでしかありませんからね。そういう意味では、お客さんには悪いなとは思っているところなんですよ」
というのだ。
ここまで、恐縮に話をしてくれると、乗っていても、あっという間に目的地に着くというもので、数千円はかかったが、先ほどの、酷い運転手に比べれば、マシであった。
もしあの運転手から、
「ただでいい」
と言われたとしても、
「誰がお前なんかに乗ってやるか」
というほどの怒りがあったのだ。
「でもお客さんは、そこまで怒りをあらわにしないから大人の対応ができていますよね。これが酔っぱらいの客だったりすれば、殴りかかる人だっているかも知れないのにと思いますよ」
と言われた。
「私だって、怒ることは結構ありますよ」
と言って、一瞬考えたが、それは、数年前のことだったのだ。
あれは、自分が急いでいて、会社が入っている雑居ビルの入り口を出てから、少し買い物を済ませて、ビルの前に戻ってきた時、一台の自転車が、いかにも入り口に入るのを邪魔するように止まっていたのだ。
当たるつもりはなかったが、身体のどこかに触れたのだろう。自転車は転倒した。だが、こちらとしては、
「こんなところに止めているから悪いんだ」
という意識があったので、そのまま放っておいてビルに入ろうとすると、後ろから声を掛けられ、
「おい、自転車ひっくり返しておいてそのままかよ」
と、持ち主が近くから現れた。
どうやら、近くで買い物をしていたようだ。
「お前がこんな邪魔になるところに置いておくから悪いんやろう」
とこちらは、完全に自分に否はないという思いで、完全に頭に血が上っていたのだ。
こちらからの完全な怒りの暴言だったのだろう。その男は冷静に聞いていたので、こっちが我に返って、
「言いすぎましたが、あんたが悪いことに変わりはない」
というと、
「じゃあ、警察に届けよう」
というので、警察が来るのを待って、事情聴取を受け、警察からは、
「弁償ということになるでしょう。お互いに連絡先を交換してください。物損事故として警察に記録されることになりますが、民事不介入なので、そこから先はそれぞれで相談してください」
と言われたので、
「会社の名刺をください」
と相手がいうので、
「ええ、でも、会社に事情をいうのだけはやめてくださいね。お互いに個人でのことですから」
というと、
「ええ、言いませんよ。そんなこと。ただ、こっちは弁償してくれればそれでいいので」
ということだったので、とりあえずは金銭的なことだけで、一安心だった。
しかし、それから数日後、その男は約束を反故にして、会社に文句を言ってきたのだ。
「お宅の社員から「自転車をひっくり返されて、罵声を浴びせられた。夜も眠れないくらいに、ひどい」
という因縁を吹っかけてきたのだ。
そうなると、こちらは会社の人の指示に従うしかない。こちらの事情を聴かれて、ちゃんと話をしても、自分が罵声を浴びせたことに変わりはないので、何を言っても言い訳になる。自転車の位置を問題にしても、会社の人は聞いてくれない。後は任せるしかなかったのだ。
それでも、会社の人は、うまくまとまるように仲介をしてくれ、最後には示談書を書くことで収まった。
社長などからは、当然、注意を受け、訓告を受けはしたが、減棒になることもなく、ましてや、懲戒処分ということもなかった。
それだけでもよかったと思えばいいのだが、何と言っても、相手の男が、数日でまったく裏を返して文句を言ってきたのは、開いた口がふさがらなかった。
どうせまわりの人からそそのかされたのだろう。自分に都合のいい言い方をして、聞き手に大胆な発言をさせる。実に露骨で汚いやり方だ。
ただ、自分も悪いのだ。
相手が悪いと思うと、すべてこちらの思い通りになると思い込んで、怒りに任せて、状況判断ができないほどに、怒り狂った。それが、問題を大きくしてしまった自分の悪いところであると、感じた。
あれから、なるべく、怒りを顔に出さないようにしようと思っているが、ここまでできてしまった性格をなかなか変えることも難しいだろう。
それを思うと、いろいろ考えさせられるところはあるのだった。
彼は、舐めを鏑木正嗣という。年齢としては、三十歳を少し超えたくらいで、これまで自分のことを、
「結構、怒りをあらわにする方だ」
と思っていた。
しかし、それは生まれ持った性格というわけではない。元々性格的にはおとなしく、人と喧嘩することを避けてきた方なのだが、内気な性格だといってもいいだろう。
だが、それはあくまでも自分に自信がないからであって、一旦何かに自信を持つようになると、まわりに対して、その性格が強く押し出されるようになっていた。
だから、自転車の事件の時もそうだったのだが、逆にいうと、怒りをあらわにする時の方が、自分に自信を持てる何かの実績がある時だということになる。
それは彼にとって悪いことではないし、一つの性格だということであれば問題ないのだが、自転車事件のように、たちの悪い人間を相手にしてしまうと、
「俺の性格が災いしたのかな?」
と感じられる。
一応、事件は最後に示談書でうまく解決できたが、精神的には違和感があった。理不尽だといってもいいだろう、元々の現認を作った相手が、あくまでもこちらが悪いとばかりに罵声を浴びせてきて、会社という立場から文句が言えないということを狙った悪質な言いがかりは、まるでやくざ顔負けだといえるのではないか。
ただ、こちら側にも悪いところがなかったわけではない。
一番の問題は、最初にこちらに落ち度がないと思い込み、それを過信したことで、罵声を浴びせてしまったことだろう。
途中で我に返ったが、自分が罵声を浴びせているのに、相手は我慢していたのである。その瞬間、
「これはまずい」
と感じ、自分の絶対的な立場の悪さに気づかされたのだった。
そのため、相手が何を言ってきても、
「はいはい」
と言って、言うことを聞くしかできなくなってしまったことを感じ、劣勢に立たされたことで、自分がいかに愚かだったのかということに気づいたのだ。
だから、相手が、会社に文句を言ってきた時、
「やくざか、チンピラみたいなやつだ」
と思ったが、それだけに逆らえない立場を自らが作ってしまったことに後悔した。
確かに昔から、
「お前は、後先考えずに逆上することがあるから、気を付けないとな」
とは言われていたが、それも、こちらに落ち度がないとハッキリわかっている時だけだという意識もあった。
だから、自転車の止め場所が悪かったということで一気に攻め立てたが、考えてみれば、ひっくり返したことに対して、一切の話もしていなかったのだ。
この状態をまわりが見ていれば、こちらが悪いというのは一目瞭然だっただろう。
たとえ、自転車の置き場が致命的に悪かったとしても、まわりの人は、
「そこまで言わなくても」
と、相手に同情的になったに違いない。
ここで、勝負はついてしまったのだろう。
我に返ったところで遅かった。相手は冷静になって考えて、そして時間を置くことで、こちらを脅してやろうという、あくどい気持ちが芽生えたに違いない。
お互いに刻々と立場が変わる中で、暴言を吐いたという致命的なことをしてしまった自分が悪いのだが、実際には、どちらが悪いのかは、今から考えると、
「俺がもう少し、冷静でいられたら、こちらの勝ちだったんだけどな」
と感じるのだ。
そんな状態を思い出していると、世の中の理不尽さもこみあげてきた。
「どうせ誰も最初から俺たちのことを見ていたわけではないので、こちらが、罵声を浴びせた時から気にした人は、皆相手の味方になってしまうんだ」
と思うと、自分の行動をさておき。いかに相手がうまかったのかということであり、問題は、
「一番肝心な時、どれほど冷静でいられるか?」
ということになるのであろう。
冷静になれば分かることなのに、果たしてもう一度同じ場面になれば、今度は冷静になれるかと言われれば自信がない。それだけ、自分がその時になってみないと分からないということになるのであろう。
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