第二章

第十七話 掌錐


 修学旅行三日目。ぼくらからすれば、居残り補習三日目。


 天気は昨日に引き続き曇り。夜までには一度雨が降るかもしれない、との予報。


 今日のぼくの制服は、スカートだった。


「おはよー」

「おはようございます……ってなんですかその格好!」


 教室に入って最初にぼくの変化に気がついたのは亜月だった。


「あなた柊木千明さんですよね!? どうして女子の制服を!?」

「そうか、九条さんは初見か。同学年の間では有名な話なんだけど」

「有名ってこの人の制服がですか!? えっ、でもこうして見ると千明さん男子にしては髪長いし、顔もなんかカクカクしてないというか……もしかしてこっちが正装で昨日が男装!?」


 亜月は軽くパニックに陥っていた。何らかの反応はあると思っていたが、ここまで良い反応をしてくれると少し嬉しくなる。


 さっきからバグったみたいな挙動をしている亜月への説明は雄星に任せて、ぼくは昨日と同じ窓際の席に座り、鞄を置く。


 奉司はまだ来ていないようだった。昨晩のお礼も言っておきたかったのだけれど、朝は弟妹たちの朝食を作ったりとかで忙しく、いつも遅刻スレスレになると話していたのでこれはやむを得ないだろう。


 他にも昨日のことを思い返していると、右斜め前からの熱い視線に嫌でも気づく。ひめりだ。


「ちょっとちょっとちょっと、千くん大胆にイメチェンしちゃってどうしたのー!?」


 朝からにこにこ元気なひめり。動くパワースポットみたいな女の子だ。


「それじゃちーくんじゃなくて、千明チアキンじゃん!」

「いやあんたの命名基準とか知らんし」


 ぬるりとひめりに突っ込みを入れたのは夕奈。今来たばかりのようで、朝に弱い彼女らしく顔は青白くてまぶたも重そうに見える。


「てかあんま面白がって触れんなよー。今は性別もグラデーションなんだから。男だろーと女だろーと、本人が着たい制服を選べるのが良い社会ってもんなんだぜ。知らんけど」

「そうなんだぁ……素敵だね!」

「ほんとに分かってんのかな、この脳内ガーデニング女子は」


 ぼくが話すのを待たずに勝手に話が進む。かといっていちいち説明するのも難儀なので、ありがたいといえばありがたいのだけれど。


「ま、いいんじゃない。あんたはあんただし、その制服も似合ってるし」

「……ありがとう」


 こうして面と向かって褒められるのは少し照れる。さすがは夕奈、言うこともクール。


 動揺していた亜月もしばらくすれば落ち着いたようで、何事もなく席に着いている。ひめりは昨日のセッションを経てマダミスに興味を持ったのか、ネットで一般的なルールの予習をしてきたようだ。隣の席の雄星を相手にいろいろ話しているのが聞こえる。


 マーダーミステリー。


 これが騙し合いのゲーム、というのは少し違う気がしていた。同調するふりをして自分が犯人であることを隠す、ということなら他人を欺く場面もあるだろうけれど、そうでない人からすれば偽る必要がない。


 そしてもうひとつ、ロールプレイングの要素が前回のセッションにはなかった。行方先生の話では初心者向けに役になりきる必要のないシナリオを選んだとのことだった。演じる要素がないマダミスは、そもそもマダミスとして成立するのだろうか。


 いや、定義を考えても仕方がない。単にゲームの名前を借りているだけだったとしても、これが推理を楽しむ遊びであることには変わりない、はずだ。


 ちょいちょい、と右肩を指でつつかれる。振り向くと夕奈がこちらを見ていた。


「どうしたの?」

「あー、うん。先に言っとこうと思ってさ。昨日はいろいろ、世話んなったなって」


 随分と殊勝だ。昨日残って話す機会もなかったから、今のうちにということか。


「こちらこそ。夕奈のおかげでシナリオクリアできたと思う」

「そっか、そう言ってくれるんだね。慎み深くて助かるわ」


 夕奈は椅子を寄せ、耳元でささやく。


「うちがオタクっていうのも、内密に頼むよ」


 なんだ、そんなことか。と口にしたらまた怒られるだろうか。なんにせよ、ぼくには何の利益もないことだ。


「言われなくとも勝手に話したりしないよ」


 そう言うと思った、と夕奈はほっとした表情になる。わざわざ釘を刺さないと安心できないくらい、オタバレというのは恐ろしいものなのだろうか。だとしたら、後々それがぼくの計画に支障を及ぼす可能性もなくはない。


「あ、そうだ。あんたら昨日はすぐ帰ったじゃん。あの後行方先生が大事なこと言ってたから、それも共有しとくわ」


 何事もなかったように席を戻し、夕奈は話を続ける。


「昨日のリザルト――結果発表は今朝やるってさ。シナリオクリアの功労者と使命達成者に個別で評価点をやるから楽しみにしとけ、だって」

「そういえばそういう話だったね」

「ね。ぶっちゃけプレイ中はそれどころじゃなかったし。うちは今も脳の筋肉痛」


 それはあんまり賢そうな表現じゃないな。


「心配なのはさ、評価点が加わると全員フェアってわけにはいかなくなることだよ。一位を独走されたくないメンバーがこぞって邪魔してくる可能性もある」

「確かにそのほうが合理的ではある、か」


 昨日時点で使命の達成が判明しているのはひめりと夕奈。ぼくの使命は内通者の発見だから、ひめりというA班との内通者が明らかになっている以上条件をクリアしたとみていいだろう。


 そうなると今回もぼくは夕奈と手を組むべきなのかもしれない。誰が功労者認定されるか次第ではあるけれど、同じ評価点なら早めに協力関係を結んだほうがいい――


 なるほど、と舌を巻く。三話一組の形式によって生じたゲーム外の要素が、こんな形で絡んでくるとは。


「ま、うちは評価点なんてどうでもいいけどね。純粋にマダミス楽しむために、余計な茶々が入るのは若干だりーなってだけ」


 そこで夕奈は話を締めくくった。ぼくと協力関係を結びたいというよりは忠告のつもりだったのだろう。そもそもぼくは秘匿HOを開示していないわけだし。


 見方を変えれば、あの後も教室に居残った夕奈たちは他の秘匿HOや評価点の入り具合も把握している可能性があるということだ。そこでまた差がついてしまわないよう、行方先生はリザルトを翌日に持ち越したのかもしれない。


 今日はちゃんと感想戦にも参加しよう――そう心積もりをしたとき、ちょうど行方先生が教室に入ってきた。昨日のように画用紙を小脇に挟んでいるということもなく、荷物は少ない。


「おはよう諸君。今日も絶好のマダミス日和だな!」


 笑っているのはひめりだけだった。それもそのはず、前日からの彼の軽薄な言動に不信感を募らせているメンバーは少なくない。


 当の行方先生はやれやれと首を振る。


「ったく、そこまで人を嫌うもんじゃねえぞ? 俺だって教師の前に人間なんだからよ」

「……教師の時間外労働って、普通の企業だったら違法なレベルらしいですね」

「人間扱いされてないって? 怖いこと言うなあ九条は」


 亜月のジョークも笑えないが、それでヘラヘラ笑える行方先生も相当おかしい。


「俺はいいんだよ、非常勤だから。他の正規の先生方も一応人間だ。仕事ぶりは超人じみてると思わなくもないけどな」


 そんなことより、と行方先生は教室内を見回す。


「御先と数久田が居ないな。数久田のほうは連絡があったが、御先はどうした」

「御先くんなら家の用事で遅れるそうです」


 ぼくが告げると、行方先生は笑みを浮かべた。順調に親睦を深めていると判断したのだろう。


「ほーん、そうか。普通はアウトだが、柊木に免じて今回はお咎めなしにしといてやるか」


 不気味だった。お咎めがあったら評価点の剥奪くらいやってきそうなものなのに、今の行方先生は満足げに笑っている。


 ぼくがちゃんと思い通りに動いているのを確認できて、嬉しいのだろうか。


 だとしたら不愉快だ――ぼくは行方先生の操り人形になったつもりなんて毛ほどもない。秘密を握って言葉巧みに誘導すれば役目を果たしてくれる、そんな都合の良い役割ロールを請け負った覚えなどないのだ。


 思い通りになんてなってやらない。笑ってられるのも今のうちだ。


 手のひらの上で踊るふりして、その手に風穴を開けてやる。


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