第十五話 ローリンローリン
外は相変わらず曇りだった。雨の降りそうな天気というより、晴れを嫌う何者かが薄いベールを張って無理やり予報を外したような、そんな作為的にも見える天候。
奉司は校門の前で待っていた。錆の目立つママチャリを携え、前かごに鞄を入れている。その鞄の中から何か取り出した場面をぼくは一度も見ていなかった。
「お前、電車通学か?」
「そういう君は自転車通学」
「おう。つっても別に徒歩でも来れるくらいだが」
奉司が歩き出す。駅へ向かうのと同じ方角だった。ぼくは彼の左横に並ぶ。
「けっこう近所に住んでるんだね」
「まあ、それなりに。つーか、近所だからこの高校を選んだ」
「それで七宝高に入れるんだからすごいよ。その気になれば上を目指せたってことでしょ」
「……そんなわけねーよ。普通にガリ勉して、ギリギリで受かった」
奉司の声がくぐもったように聞こえるとき、その言葉は正直な感情から来るものだと分かる。なるべく聞き逃してほしい、でも応えないのは不誠実だからと口には出してみた――そんな心の動きを感じる。
教室の中で彼がまとっていた威圧感も、外では少し和らいでいるように見えた。
「不良なんて言われてるみてえだけどよ、オレだって多少は真面目に勉強してんだ」
「野生動物扱いされてるって夕奈に言われてたね」
「ほんと意味分かんねー。オレがいつ誰に噛みついたってんだよ」
「噂に尾ひれは付き物だからね」
今日のマダミスでもそうだった。噂の出どころは些細なもので、そこに誇張が重なって誤った事象が膨らんでいく。出発点にあった情報のほうが正しさの密度は高かったのだ。
だからといってすべての過程が無駄だったとはぼくには思えない。話し合いの中で見えた人となりは、必ず次の機会でも役に立つはず。
「奉司は今日のマダミス、どうだった?」
自分以外の感想を聞いてみたい。素直な動機だった。
「最初はだりーと思ってた。人と喋るのもだりーのに、騙し合いとか考えることだらけでめんどくせえなって。自分の秘匿HOだって早いうちに諦めちまったし」
エンディングまで触れることすらなかった奉司の秘匿HO。それも選択したルートによっては重要な意味を持っていたのだろうか。あのときの反応の理由はなんだったのか。
染み出してくる探求心を抑え、今は奉司の話を聞くことに集中する。
「やらされてる感じはずっとあった。けどお前みたいにちゃんと考えて、他のやつらを説得するためにしてる話を聞くのは面白かった。ショーを観てる感じ、つったら怒るかもしれねえけどよ。そのショーにオレの
自転車のハンドルを握る奉司の手に力がこもる。
「同盟なんて組んでも、オレにできたのは精々腰巾着くらいのことだった。夕奈の指示に従って一回目の投票では無投票、二回目では夕奈の一回目の意見に合わせただけ。んなもんガキでも言われりゃできる」
「そんなことないよ」
あれは重要な過程だった。三対二の構図に持ち込んだからこそ、二回目で反対派が上回ることができた。
「たとえ簡単なことでも、君がやってくれたから成立したんだ。ただ夕奈の作戦を信じて実行しただけだと君は思うかもしれないけど、その『信じる』行動には大きい意味があった」
第一セッションは、それを考えさせるためのゲーム。
綺麗事を貶したりせず、信じて突き通すことができていれば必要のない過程だった。それができなかったぼくらだから、こうして時間という代償を払いながら学んだ。
奉司の感じる無力さだって、誰しもが感じていたはずなのだ。
「信じたかったんでしょ? その気持ちを、簡単なことみたいに言わなくていい」
今なら分かる。初めの議論フェーズで亜月を庇ったのは、彼女の提案した方法を信じてみたかったから。その提案をことごとく否定されることが、奉司には耐えられなかったのだろう。
その提案が正しかったことが明かされても、否定された感情だけは残存し続けている。
「やっぱお前、いいやつだな」
ぼそりと奉司はつぶやく。
自転車の車輪が回る音だけが、しばらくの間の沈黙を埋めていた。
もうすぐ駅の改札というところで奉司は反対方向へ曲がる。駅前スーパーの前にある駐輪場に自転車を停め、店の中へと入っていく。立ち止まるぼくに、奉司が振り返る。
「どうした?」
「いや、どうしたって」
「夕飯食うって話だっただろ。お前の分も買い足さねえとな」
仕方なく奉司についていく。奉司は慣れた様子でカートを曳き、野菜や精肉を次々とかごに入れていく。
「量多くない?」
「何言ってんだ、このくらいないと足りねえだろうが」
どうやら認識の齟齬があるらしい。ぼくはただ夕飯を一緒に食べるとしか聞いていなかったのだけれど。
スーパーでの買い物は十数分で終わり、奉司の手には食材等で丸々と太ったエコバッグが提げられていた。そのエコバッグもかなり使い古されており、底のほうには何度か穴を裁縫で塞いだ跡があった。
自転車を回収し、今度は駅から離れて住宅地へ。もうなんとなく察したぼくは何も尋ねずに奉司の横を歩く。かごがエコバッグで埋まっていて、鞄が奉司の左肩に提がっている分、さっきよりも微妙に彼との距離が開いていた。
着いたのは絵に描いたような古いアパートだった。砂利の駐車場の隅に自転車を置いた奉司は、そのままぼくをアパートの一室へと招いた。
「おーい、帰ったぞー」
「兄さんおかえりー」
「ごはん! ごはん!」
「うわーにぃにが知らない人連れてきてるー!」
怒涛の勢いで出迎えに来る子どもたち。小学校低学年くらいの男児と女児。奥のほうから遅れてセーラー服を着た少女が現れる。
「兄さんがお友達連れてくるなんて珍しいね。何かあった?」
「いろいろとな。細かい話はあとで、先にこれ冷蔵庫入れといてくれ」
「食材ね。りょうかーい」
エコバッグを受け取った少女が奥へと戻っていく。
「兄ちゃん! 今日のごはんは!?」
「野菜のオイスターソース炒め」
「やったー! レバニラ! レバニラ」
「レバーは買ってないっての」
はしゃぐ男児に、柔らかく笑う奉司。
「とにかく一回中入れお前ら。狭くて靴も脱げねえだろうが」
「はーい」
とたとたと走って部屋の中へ戻る子どもたち。奉司は小さく息を吐いた。
「こいつらがオレの家族。もうひとり叔母さんがいて、家の主兼オレらの保護者をやってくれてる。それで……」
家族については見せたほうが早いと思って家に招いたのだろう。そこから先、見ても分からない事情について彼は言葉を選んでいるようだった。
「オレは、こいつらの兄貴だ」
言葉にするのを諦めたのか、それとも一番重要なことだけは言葉にしておきたかったのか。悩んだ様子からすれば、多分後者なのだろう。
奉司が自分のパーソナルな部分をぼくに見せるのは、信頼の証であると受け取ってもいいのだろうか。少し能天気すぎる気もするし、単に夕飯を食べる約束を果たそうとしているだけかもしれない。どういう意図であれ、彼の口から聞くしかないだろう。
靴を脱ぎ、御先宅に足を踏み入れようとしたとき、奉司の末の妹がぼくをじっと見つめていることに気がつく。
「……えっと、何かな?」
ぎこちない笑みを作ったぼくに、おずおずと女児は口を開く。
「あなたは、にぃにのかのじょさんですか?」
「ううん、違うよ。普通のお友達」
「おともだち。そっかぁ」
人好きのする笑顔を見せて、末の妹は去っていく。
可愛いものだな、とぼくは素直にそう思った。
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