サクラの飼い方
三斤
第1話
「――から引っ越してきました、加藤さくらって言います。皆さん、ぜひ仲良くしてください」
「うわ、かわいい」「すっげえ都会じゃん」「これからよろしく」
ふう、どうやら自己紹介は上手くいったみたい。緊張したなあ。
「えっと席は……」
担任の田、田……、担任教師が教室を見渡す(ごめん、まだ名前覚えてなくて)。
手をひさしのように額に置く姿は、まるで遠くの風景を眺めてるみたいに大げさだ。
「ああ、そこだ」
先生が指さしたのは教室の窓際後方席。アニメの主人公が座っていそうな一等地だ。
「(中々日差しが強い……)」
「おっす、ドモドモ」
席に着くやいなや、隣の男子が声をかけてくる。
中肉中背、癖のない声。
「俺、日笠っていうんだ。君、高校二年のこんな時期に転校してくるなんて珍しいね」
「確かに転校シーズンと言うには少し遅いかも。……あ、ホームルーム始まるよ」
「あれ、雑談はもう終わり?」
分からないことが有ったらなんでも聞いてよ、そう言って日笠と名乗る男は身体を教師へと戻す。ただ、視線だけは机の下に潜ませたスマホに向いていた。
私は学校の指定鞄から筆箱を取り出し、背筋を伸ばす。
「んえ、高槻さんにいやがらせされてるって?」
「ええ、そうなの……」
誰もいない放課後の教室で、すこし上ずったような声の日笠くんがこちらを見つめる。
段々と紅くなりつつある陽射しは、滑り込むように教室に差し込んでいる。
転校してから二週間が過ぎた。段々と授業スピードには慣れてきたが、まだ世間話をするような学友は少ない。その中でプライベートの話が出来るのは、隣に座る彼だけだ。
日笠くんはまるで柳のようで、なんだか口を開きたくなる不思議な波長を持っている。
「そりゃまたいったい、どうしてだい?」
「わたしが無許可でバイトをしているのが気に食わないみたい。ほら、うちの学校ってバイトは申請が必要だからさ」
「バレないように上手くやってる奴はそれこそたくさんいるけどね。そんなの彼女は承知の上だと思うけどなあ」
彼は軽く首をひねる。
「とにかく、目を付けられてるのは本当なの。皆やってるのになんで私だけ……。転校生だからって理由で目を付けられるのは困るよ」
続けて伏し目がちに。
「それに私、転校生だから相談できる相手が中々いなくって。だから――」
そう言って、私は彼の手の甲に肌を重ねた。
最近気が付いたのだが、どうやら日笠くんは私に少し気があるらしい。今だってほら、華の下があからさまに伸びている。
小狡い気もするが、相談できる相手が彼しかいないというのは本当のことなのだ。
「ヘムヘム‼ ようっし! いっちょやってやりますか! ……とはいってもなにすればいいんだろ。直接高槻さんに話をつける?」
「ま、まってよ。それは少し直線的すぎない? それに高槻さんってクラスでもかなり発言力のある感じの人だよね。私に味方してるって知られたら日笠くんも目を付けられるかも」
そっかあ、と日笠くんは困ったように小さくほほ笑む。
「……ねえ、私に考えがあるの」
手首を返して腕時計をみやる。もう約束の八時だ。ちょっと準備に時間をかけすぎてしまった。
早足気味に目的地まで向かう。急がなければ日笠くんを待たせることになる。
この角を曲がってあと道一本向こうに――。
「いてっ」「むっ」
強い衝撃が身体に響き、そのまま腰をついてしまう。
電信柱? いや、コンクリートに声帯があるはずもない。
「すまない、けがしていないか?」
差し伸べられた手は大きくごつごつしている。
その手の先に視線を向ける。整った顔立ちに似つかわしくないたくましい体躯。長い黒髪は女子のように一つに結ばれている。
だが大事なのはそんな特徴的な外見じゃない。
彼がまとっている制服は、まぎれもなく同じ高校の男子生徒のものだった。
――マズい。
「わ、私は大丈夫ですので。それじゃあ……」
「そうか、……いや待て」
「な、なんです?」
そのまま進もうとした背中に向けられた声に、振り返らずに返事をする。
「夜道には気を付けろよ。この先は街灯も少ない」
そういって彼は後ろ手に離れていく。どうやらただ忠告をしてくれただけのようだった。
忠告を片耳にそのまま歩を進め、集合場所の公園までたどり着く。
「こんばんは、時間通りだね」
公園の端に一本だけ伸びた電灯の陰からぬるりと姿を現したのは日笠くんだった。目立たないような私服で来てくれと彼には告げている。
「ごめん、遅くなっちゃって。とりあえず目的地まで行こうか」
放課後に作戦会議をしてから二日経った。
日笠くんの下調べの結果、高槻さんは毎日この時間、街の裏手の路地裏を通ることが分かった。場所が分かったのなら後は少し準備をするだけ。
「……よし、じゃあ後は手筈通りにお願いね」
「それにしてもよくこんな方法を思いつくねえ。あ、一応聞いておくんだけど、その恰好ってまさか俺に会えるからとかじゃ……」
「あはは、それ聞いちゃう?」
「ですよねー」
残念そうに首を振る日笠君を後目に、私は街の方角からこちらへ向かってくる人影を見つける。高槻さんだ。
そしてその路地の反対側からは――。
「君が
路地の陰から顔を出した中年の男の額には、脂汗が滲んでいる。うん、上手くいってる。
「え、違います、けど」
「やっと会えた全然返信してくれなくなったと思ったら突然こんな薄暗い場所に来てくれだなんて中々焦らしプレイが上手だね写真とは少し雰囲気違うけどそれでもすごくタイプだよスタイル良し器量良しなんでこんな子がパパ活なんてやってるのか分からないけどそれでも君が望んでやってるんだからこっちが遠慮する必要はないよねえっとそれじゃあ……」
「っつ!」
にじり寄るように男が高槻さんに近づいて行く。一歩、また一歩と、得物を射程圏内に居れるように。
逃げ出そうと思えば逃げ出せる。だって相手は運動すらしていないような中年男だ。健全な女子高生が明かりのある場所までに逃げこむなんて容易い。でも怖いときって、冷静な判断力なんてなくなるよね。素性の分からない相手なんて何してくるか分からないし。
……まあ、ちょっと早いけどこんなもんか。
私はスマホの発信ボタンを人差し指で押す。
「そ、そこまでだァ!」
突然、上ずった声が路地を取り囲む建物の壁に反射して響く。
日笠くんってば、緊張しすぎだよ。
「くそ、男連れかよ! は、嵌めやがって!」
突然の闖入者に及び腰になっている中年男はもはや足元すらおぼつかない。
捕食者だと思っていた状況から被捕食者へ。もはやあの男は、この場に居続けることすらできない。
後ろ向きに駆け出す男の姿を確認して、ポケットからスマホを取り出す。
……っと。よし、やっとあいつの
「オッスオス」
「お疲れ様。あ、高槻さんは?」
路地の方に目をやると、すでに高槻さんの姿はない。
「うん、家はすぐそこだから問題ないってさ。はは、自作自演でも感謝されるっていうのは悪くないもんだね」
背伸びをしてから静かにはにかむ彼の表情には先ほどの上ずり声に見られるような焦りがない。強がるのは中々上手みたい。
「じゃあこれ手伝ってくれたお礼」
私は軽く膨らんだ封筒を彼に手渡す。
「学生がポンと出せる金額じゃないね」
彼は封筒から数枚の紙幣を取り出して口にする。
「これがパパ活ってやつ?」
「流石に気づくよね。誰かに言う?」
「まさか、趣味じゃないよ」
やっぱり思った通りだ。だからこそ彼をこの作業の相棒に選んだんだけど。
「あーあ、高槻さんもこれに懲りたら私のバイトの邪魔をしないで欲しいな。誰も損してないんだしさ」
「彼女にも何か理由があるんだよ」
「ふーん、……あ、そうだ。これから次のお客さんに会うんだけどさ。うちの不良生徒とか先生が寄り付かない飲食店知らない? 前回は適当に店選びしちゃってその結果高槻さんに帰り姿見られちゃったし」
そういえば彼女、なんであんな時間にいたんだろ。そんな逡巡をする暇もなく、彼は私のLIMEに位置情報を送ってくる。
「このBARがおすすめかな。生徒はおろか、先生だって絶対に寄り付かない隠れ家的な店だよ。出てくる料理もおいしいし」
「へー、確かに人目に付きにくそうな場所にあるね。使わせてもらうね、あり――」
ありがとう、と感謝の言葉を告げる間もなく、日笠くんは路地の闇に消えていった。
篠突く雨が窓を打ち付けていた。
ここは全校生徒三千人を超えるマンモス高校のどこかの一教室。
客人用のソファにもたれかかる男の視界は天地が逆転しており、その視線は小上がりで座禅を組んでいる上裸の男に向けられている。彼の手入れされた黒髪は、後方高い位置で束ねられている。
「このソファ、中々良いね。なんというかこの沈み込む感じが」
「だろ? お前のノーセンス競馬で溶かすより何倍も有益だ」
返事をしながらも、男は座禅の姿勢を崩さない。
「それにしても、相変わらず性格が悪いな。お前が加藤何某に紹介した店、ありゃ
「人聞きが悪いことをいうなあ、織田は。別に嘘はついてないって。生徒の家族が経営している店なんて、補導が怖い不良生徒はいかないだろ。教師だって、保護者に見られながら酒を飲みたいわけないしさ。彼女が求めていた条件にぴったりだよ。……まあ次の日から加藤ちゃん、目も合わせてくれないけど」
織田は小さくため息を吐いて集中を解くと、椅子に掛けられたYシャツを手にする。
「そういえば高槻が加藤に警告をした理由はなんだったんだ? 家庭の為にバイトをしているような奴だが、悪はなんであれ許さない、なんて柄でもないだろ」
「ああ、それは単純な理由だよ。パパ活をしてることが学校にバレるのは、普通のバイトが露呈するのとわけが違う。もしかしたら現状の校則がさらに厳しくなって、ちゃんと許可を取ってる自分にまでとばっちり。大方そんなとこだろうね」
「なるほどな」
腑に落ちたような表情を浮かべた織田は机の上に置かれた鞄を手に取る。
「あーあ、俺も加藤ちゃんを好きに出来るぐらいの金持ちだったらなあ。結構タイプなのに」
「適当言ってろ。ったくじゃあ俺は帰るから。戸締りは頼んだぞ、サクラ」
「あいさー」
日笠倉之助。間を取ってサクラ。
女みたいな呼び方だが、本人はどうやら気にいってるらしかった。
用は済んだ、とドアノブに手を回した織田は突然立ち止まり、口を開く。
「……最後に聞かせてくれ。物知りなお前なら、加藤の真の目的に合致する店を紹介することが出来たはずだ。いや、正当な報酬をもらっていたのだから紹介するべきですらあった」
「物知りだなんてそんな」
「茶化すな。それにあの日、俺は道場の帰り道であの路地の近くを通っていた。まるで、加藤が高槻へ向けた粛清のリスクを最小限に抑えるかのようだ」
「うーん、織田は結局何が言いたいの?」
「なぜ加藤の活動を邪魔するような真似を? 高槻に決定的証拠を押さえられただろう加藤は、もうリスクを負っての派手な活動は出来ないはずだ。だがそんな懲罰的な結果、それこそお前の柄じゃないだろうに」
「さあなんでだろうね。そうだね、あえて言葉にするなら『汝の隣人を愛す』ってとこかな」
「……長い付き合いだが、俺にはお前のことがさっぱりわからんよ」
そう言って彼は扉を開く。
空を覆い隠すような分厚い雨雲は、いつの間にかその姿を消していた。
サクラの飼い方 三斤 @yakinori6mai
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