イアン爺さん


 サンザシ丘より北西の山地から流れ出て、薬草の丘の西側からサンザシ丘の麓をめぐるように走り、ワズ川に合流する支流を、サンザシ川という。


 丘一帯を占めるホーソンヒル牧場の敷地に入るための最初のゲートは、このサンザシ川に架けられた石橋を渡ってすぐのところにあった。




 石橋を渡る手前、左右を麦畑に囲まれた一本道を一両のホロ掛けの小さな荷馬車が、ぽかぽかキコキコのんびりと牧場に向かっていた。


 御者台には2人。手綱を握るダークブロンドの髪に赤褐色の目を持つ中年男の名前をジェフリー・ドイルという。長い手足を持つヒョロリとした痩身の飄々とした雰囲気の人物で、牧場を得意先とする出入りの商人、ということになっている。


 その隣に座っているのは小さな老人だ。名前をイアン、苗字は本人曰く「忘れた」という。元は王宮の腕っこきの庭師の皮を被った、影で働くお庭番だったが、引退後は薬草の育成栽培で有名なアシュテル伯爵家本領邸の庭で、表向きの弟子の孫の面倒を見ながらのんびりと過ごしていた。


ついひと月ほど前までは・・・




「ほう、見事なサンザシの生垣じゃな」


生成りのシャツに、灰色のマント、目深に被っていた黒いフェルト帽の広い鍔をチョンとあげて、小さなイアン爺さんが目を細める。


「地名の由来にもなっていますからね」


 丘の頂上に立つオークの大木のあたりから南面を麓まで下って、東へ向かい、敷地東端に至ればそこから北へ上がるように巡らされたサンザシの生垣が、開花シーズンを迎えている。それは、ホーソンヒル牧場を縁取る白いレースのリボンのようにもみえた。



「綺麗なんですけどねぇ。夜にあの生垣を越えると、丘中腹の軍馬管理棟から屈強な元騎士連中がぞろぞろ出てくる仕組みになってます」


「ほほーう。それは頼もしい限りじゃの」

イアン爺さんは、目尻に皺を寄せてにっと笑うと、また帽子を深く被りなおした。




ぱかぱかゴトゴトと、馬に引かれた荷馬車が石橋を渡る。




 大ゲートの左右、サンザシの生垣の奥はポプラーの並木になっていて、周囲に涼しげな木陰を作っていた。



「よう、ジェフ、今日は何の用だ?」


 中年の元騎士、赤銅色のツンツンの短髪に深緑の目をしたザカリーが、木陰の番人小屋からずいっと厳つい顔を出す。次には、のっそりと筋肉の鎧を纏った巨体が出てきてゲートの内側に立った。


「どちらかというと閣下の御用だな。正午過ぎにオリバーという青年を連れてお出ましになったろう? その青年の荷物を届けにきたんだよ」


「そっちは?」

「あー、オリバー青年のお師匠さん?」

「オリィ坊は、弟子の弟子じゃが。薬草採取はわしが教えたな」


「ほー、あのひょろっちいS級採取者のお師匠さまときた」

ザカリーの片方の眉がひょいっと上がる。


 到底Sランクの採取者には見えなかった。オリバーと名乗ったのは、怪しさ抜群の冒険者ライセンスを持った、線の細いひ弱そうな美青年だ。辺境の最高権力者が連れ立っていなければ、ザカリーがこのゲートを開くことはなかっただろう。



「おいおいザカリー、言葉を慎め。見た目で人を侮ると痛い目に遭うぞ」

筋肉最強信者の脳筋ザカリーの皮肉を隠さない態度に、ジェフリーが苦い顔になる。


「ふーん、そうかねぇ。まぁ、閣下やお前が付き添ってるんじゃ、通さないわけにはいかんだろうが。正直、自分も守れないような弱っちいのは、上にあげたくねぇんだよ」


はぁと大仰にため息をついたザカリーが、渋々とゲートの閂に手をかける。


「脳筋め。この人が自ら教えたという青年なら、どんな姿でも俺は怖くて安易には近づきたくないがな」


「ジェフリー」

苦い顔でザカリーに苦言を呈したジェフリーを、イアン爺が軽く止めた。


「あ、・・・余計なことでした。すみません。こいつ、ちょっと脳筋ですが、悪いやつじゃないんです」


「わかっておるよ」


 いつも飄々として気安い旧知のジェフリーが丁寧な態度をとっているのを見て、ザカリーも察するところがあったらしい。無駄口をやめ、ゲートを開いて大きな体を引くと、中に入るよう促してきた。


「サミュエルが集めるようなワケありなら、大体何かしら関わったことがある連中じゃ」


馬車が動き出した。そのすれ違いざまに。


「なぁ、ザカリー」と、イアン爺さんがひょこっと帽子をあげて、ザカリーに顔を見せてにっと笑う。そして、くわっと瞠目し一瞬で凍った巨漢を、かっかっかっと笑い飛ばしながら通り過ぎた。



「・・・ご存知でしたか」

悪戯が成功してご満悦の老人に、まっすぐ前を見て馬を進ませながらジェフリーがほろ苦く笑う。


「ふむ。新兵の時に、ちょっと命を助けてやったかの」

「・・・それは、人が悪い。アイツも驚いたでしょうね」

「なーに、脳筋はたまに締めてやらんと。薬は苦い方が効くもんじゃよ」



くつくつと、イアン爺さんは喉の奥で笑う。



そう良薬は苦いのだ。まさか、魔馬ウッドラフにオリィ坊救出の先を越され、子猫のように咥えられてアシュテルを出奔することになるとは。思ってもみなかった。


苦いなんてもんじゃない。


”闇夜の鴉” などという異名を頂戴して畏れられた時代もあったが。

情けなさがすぎて、笑うしかない。



「・・・しかし、まぁ、そんなもんかもしれんなぁ」

「は?」


「大樹は土地に根を張って動かんな。じゃが、鳥や獣に種を託し、遠くへ旅をする。ワシもアシュテルの緑の手も、荒地の異端児に出会わねば、こうまで遠くには運ばれんかったなぁと思ってな」



サンザシ丘の斜面をのぼる葛折の坂道が終わると、南を向いて建つ2階建てのお屋敷が現れた。




建物中央に設られた玄関の、右手の窓に首を突っ込んでいた芦毛の魔馬が、首を引き抜いてイアン爺さんを見る。





と、足捌きも軽く、とっとっとっ、と駆けよってきた。



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