ウッドラフの献身
オリィよりも重い人間なんて乗せたことはないのに————
ウッドラフは、黒髪の大男を背に首を垂れ、ふーーーーっと、長い長い鼻息を吐き出した。
しかも諦めが悪い。軽く腹を踵で押したり、肩をポンポン叩いたり、手綱をちょっと引いてみたり。「なぁ、ちょっとでいいんだ、動いてみないか?」と上から懇願混じりの低くて静かな声がしたけれど、知ったことか。
乗せてやっているだけでもありがたいと思えという気持ちを込めた目で、わずかに顔を斜めに上げて、眉間に皺を刻んで見上げてやった。
はっ、動けと言うならこれでどうだ。
首を低くし頭を後方へ寄せながら、後ろ足を持ち上げて、耳の後ろをシャッシャと掻く。痒かったのも勿論だったが、不遜な態度をとって不服従を伝えたつもりだった。のだが・・・
「おおお、凄い・・・ 柔らかいなぁ。人を乗せてそれをやるヤツに初めて会ったっ」と目を輝かせるとか、いい年をした大男のくせに、子供か?
・・・しかし、まぁ、そんなところが、特別な植物を見つけた時のオリィと似ていて、面白くないほど好感度は高い。大きな身体に纏う気配は穏やかで清々しい。あの腐敗臭のする金髪バカヤロウとは違う生き物だとひと目でわかった。主の怯えに気づくと、困惑しつつも誠心誠意対応してくれている。
何よりも、この黒髪の大男は強そうだ。
きっと自分の目の届かないところにいるオリィを守ってくれる。
そう判断したから、ウッドラフはオリヴィアにウィルフレッドを近づけるよう試みていた。
オリィがまだ小さかった頃から一緒にいる。大好きで大切な主オリヴィアとウッドラフはお互いの魔力で繋がっていた。
あれは、生まれて半年にも満たない仔馬だった頃のこと。
荒地の魔馬は生まれ落ちた途端に立ち上がり走り回ることができる、強い精神と身体能力を持った生き物だ。授乳期間は半月もなく親離れも早い。
ほとんどの魔馬が故郷の荒地で過ごすのは、魔素値の低い人間の生活圏では、荒地対応型の身体の機能が半分以下に落ちて普通の馬と変わらなくなるためなのだが。
魔馬の中でも一際強靭な肉体と精神、そして魔力を持って生まれたウッドラフの母は、冒険が大好きだった。ちょくちょく荒地を抜け出して、青い馬体を闇に溶け込ませ、人間界の森へ散歩に行くような魔馬だった。
得た知識を荒地に持ち帰り他の魔馬と共有して、魔の森の魔物や密猟を試みる不埒な人間共から同類を守る。集団生活こそしないものの、各自のテリトリーを守り緩やかに連携をする馬魔達の、人間風に言えば賢者とか勇者とかいう立場にあった。
そんな母魔馬が、どこかの逞しい芦毛の牡馬に恋をして生まれたのが、芦毛のウッドラフだ。
生まれたのは荒地の一等地にある母のテリトリーだったけれど。ヤンチャがすぎて遠出をし、人間の森で赤熊に襲われて怪我をした。魔素値の低い場所では治癒力を操ることもままならずに、低木の中でじっとうずくまっていたウッドラフを見つけたのが、小さなオリヴィアだった。
もちろん威嚇した。幼いながらに威圧を放ち、目を赤く染めて追い払おうとした。
腹ばいで匍匐前進してきた小さな子供。太陽の光を透かした新緑のような瞳をまん丸にして、じっと芦毛の仔馬を観察して、肩にある引っ掻き傷を見つけると、ハッと息を呑んでずりずりと後退して姿を消した。
そして、しばらくすると。たくさんの珍しい草が薮の中の小さな空間に押し込まれてきた。その後から再び顔を出した子供は、ぼんやりと緑金色が滲む薄緑色の草を小さな手に握りしめていた。
「お祖母様に内緒でとってきたの。これすっごく高いお薬になるのよ。うんと魔力を入れてみたの」とキラキラした目で差し出されたその草の芳しさに、思わずパクッと口にして。
————以来、オリィの爽やかで芳しい魔力の虜となり、ここにいる。
オリヴィアと魔力で繋がっていれば、不思議と身体能力は荒地にいる時と変わらない。時々それ以上なのではと思うくらいに力が漲る瞬間もある。
オリヴィアの魔力は、人間の中でも特別なようだった。大人になっても、子供の頃の清らかさと爽やかで芳しい気配は失われなかった。もし失われていたら、ウッドラフは繋がりを断ち切ってオリヴィアの元を去っていただろう。
貴重な魔力の持ち主で、大好きで大切な命の恩人が、魔馬ウッドラフの主オリヴィアなのだ。
・・・そんな愛しい主を穢そうとした、あのひ弱な蜂蜜色のクソ野郎は絶対に許さない。次に見かけたら必ず蹴り殺すと決めている。絶対だ。
声にならない主人の凍てつく心の悲鳴を感じた時の恐怖と怒りを思い出して、ウッドラフは身震いをする。
庭に面した本邸一階のテラス窓をぶち壊し、オリヴィアが連れ込まれた部屋の扉も蹴り飛ばして、主に覆い被さる金色頭の背中に齧り付いて壁に叩きつけた。
恐怖に固く目を閉じて小刻みに震えて硬直していた主をシーツの上で転がしてぐるぐる巻きにして背中に放り上げて魔力で固定。ふわりとテラス窓から飛び降りると、オリヴィアをいつも守ってくれていた庭師の爺さんを咥えて駆け出したのが、ひと月ほど前のこと。
あの時、夜の庭にいた庭師の爺さんを咥えて逃げ出したのは大正解で、出奔したオリヴィアとウッドラフをこの辺境の地に連れてきてくれた。
追っ手を警戒しながらの旅は楽ではなかったけれども。苦労の甲斐あって、あの金髪ゲスヤローのせいで失われていた主人会心の「大好き」を頂戴し、その魔力が優しく輝いて大きな馬体を満たす心地よさを、ウッドラフは久しぶりに味わっている。
黒髪の大男を背中に乗せる不愉快も我慢しよう。
大男の言うことには、サンザシ丘の上、南に向かって建つホーソンのお屋敷の左、オリーブの裏側にある平屋は、先々代が育苗や播種に使っていた施設なんだとか。
それを聞いた主はフラフラと吸い寄せられるように窓辺に立ち、胸の前で手を組み合わせうっとりと中を覗き込んでいる。
旅の道中で見せていた、若い男に対する恐怖心をまるっと忘れているようで、それは喜ばしいことなのだけれど。
ウッドラフが呆れたように半眼になりふーっと鼻で溜息を溢すと、背中の上のウィルフレッドもやっぱり呆れたように肩をすくめたようだった。
「ここから西へ、また丘は緩やかに上る。ほらあそこに見えるだろう。1番高いところに立っている木が、この丘の主、推定樹齢300年のオークだ。あそこまで登れば、先々代の薬草の丘を一望できるぞ」
黒髪の大男の追加情報に、首だけを捻じ曲げてそちらを見たオリヴィアは、はっと息を呑んだ。次の瞬間には、「・・・300年? あの向こうに?」と呟き、駆け出していた。
樹齢300年のオークとか、主の大好物だ。それに加えて、ここにくる原動力になっているナンチャラ先生の薬草の丘と聞いて、勝手に体が動いたのだろう。
何かに夢中になると、周囲が見えなくなるのはオリィの悪い癖だった。
仕方ない。
諦めの境地に至ったウッドラフは、大きな鼻息を一つ地面に落とす。
喜ばせるのは不本意だったが。
大男を背中に乗せたまま、とっとっとと速歩で、主の背中をを追い始めたのだった。
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