第11話 今日は不眠症
カチカチカチカチカチカチ
時間だけが進む耳障りな時計の音が聞こえる。
35歳、三雲タケシは、15回目の寝返りをした。深夜3時30分。明日こそ失敗してはいけない会議があればと思うほど焦りが止まらなくて眠れなくなる。
仕事の合間をぬけて、近くの内科で睡眠導入剤を数日分、処方してもらったが気が高ぶっているのか眠れない。
30代後半に入ってから、仕事で1日クタクタのはずなのに眠れない日々が続いている。
おまけに最近は、夏の悪天候はがりが続き、夜に頭痛まででてきてさらに眠れなくなった。
「仕方ない・・・」
寝室を出て、3畳の書斎に入りパソコンを起動させて明日の会議の資料を読み込む。
時間は深夜3時50分。今日は7時起きだ。睡眠時間に3時間もない。体は疲れてるのに、気持ちだけがざわつく。
カチカチカチカチカチカチ
進むだけ進んで、こちらの気も知らずになる秒針の時計を睨みつける。
こんな時に、結婚でもしていれば違うのだろうか。少し迷惑だが、出勤前の支度を減らしたくてタケシはゴミ出しに外へとでた。
それなりの高級マンションで、1階のロビーには4人が座れるソファーがガラス張りの窓際に置いてある。
通りすぎようとした時だった。
「三雲さん?」
声をかけられて、ギョッとした。パジャマの上には念のため上着をはおったが、どう見てもパジャマ姿でのゴミ出しにしか見えない。
ソファーに、ちょこんとグリーンのカーディガンをはおった80代くらいの白髪のおばあさんが座っている。
ほとんど近所付き合いをしていないタケシは、必死に頭を回転させた。誰だ・・・。
「先に、ゴミを出していらしたら?305の宮田です」
白髪の宮田さんは、ニッコリ笑った。ゴミ出しをとがめるために止めたわけではなさそうだ。
ロビーに戻ると宮田さんはまだちょこんと座っていた。確かご主人を亡くされてから独り暮らしだ。
「眠れないの?もし宜しかったら、少しだけお婆さんの話の相手でもして頂けないかしら?」
押し付けがましくもなく、ニッコリ笑う。夏の空が白んできた。
タケシは、1人分の席をあけてソファーにこしかけた。
「お仕事、毎日大変そうね。私の歳になると時間ばかりあるのに眠れなくなるの。お仕事で眠れないのかしら?」
意外な事を聞かれ、タケシは宮田さんの顔を見た。タケシの何倍も生きてきたシワが凪いだ川のようにきざまれている。
「まあ・・・そんな所です」
宮田さんの歳から考えて、専業主婦として生きてきた時代だ。睡眠不足の疲れもあってあまり深くは話したくなかった。
「私ね、○○会社に30年勤めていて今で言うバリキャリ?ウーマンだったの。ふふ」
タケシは、思わず宮田さんを見る。○○会社と言えば今でも名前が全国に知られている大手の企業だ。
「三雲さんの気持ち、少し分かるわ。特にあの時代に女が働くなんて、腫れ物あつかい。でも負けん気だけは強くて、睡眠を削ってまで仕事したわ」
おかげで夫婦仲も悪くて、子供にも恵まれなかったけれど、と呟く宮田さんの瞳は寂しそうに下を向く。
「すごいですよ。俺なんて、結婚してないわ、明日の仕事にテンパるわで、全然・・・」
タケシは、思わず弱音を吐いた。
「大丈夫よ、仕事はいずれ終わる日が来るし、結婚だって、最期はどちらかが先に死ぬのよ?寂しいのは、全ては終わりに向かってしまうことね・・・でも、どこかでホッとする自分も見つかるわ」
宮田さんの声は穏やかでタケシの気持ちを落ち着けた。
「あら、話しすぎちゃったわね。年寄りのいけない所だわ。三雲さん、またお話してくださる?」
思わず、子供のように顔を縦にふり何回もうなずいた。
宮田さんは、音も立てずに立ってエレベーターに乗った。
「ばあちゃん、元気かな・・・」
気がつけばお盆は過ぎていた。いつか自分も宮田さんのように語れる日が来るのだろうか。
タケシは、深呼吸を1つして朝5時30分の明るくなってきたロビーを歩き出した。
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