リミナルスペース放火殺人事件

水長テトラ

リミナルスペース放火殺人事件 前編




 Aが目を覚ますとそこは白いタイル張りの薄汚れた地下室だった。


 タイルの目地には埃が積もっていて、Aはパーカーやズボンをはたいた。

 不快感と恐怖で頭の中がごった煮になる。

 地下駐車場かと思うほど広い空間だが車は一台もなく、柱が何本も延々と続いているだけだった。


「どこだよここ……」

『ようこそliminal spaceへ。今から皆さんには脱出ゲームをしてもらいます』


 柱の一本に取り付けられてる液晶モニターから、突然声が流れてAは飛び上がりそうになった。

 画面に映っているのは人型のシルエットで、声の主の特徴は一切つかめない。


『何だよ脱出ゲームって!? ふざけたこと言ってないで家に帰しやがれ!』


 別の声が割り込んできた。右下隅に男女四人の困惑した顔や激怒した表情が映っている。Aと同様に閉じ込められた人々らしい。どこかに隠しカメラでも仕込んであるのか、Aは周囲を見渡して探してみるがさっぱり分からなかった。


『理由は簡単。私は地球を侵略しに来た宇宙人です。そして生命のいない、もしくはかつていた痕跡しかない既に無人の空間、地球の名称で言うとliminal space愛好家でもあります』


「はあ? 宇宙人? リミナルスペース?」

『そうliminal spaces。閉店後のショッピングモールや遊園地……人がいないプールやマンション……定義は人それぞれですが、一般的には人がいなくなった後のがらんとした空間や、どこに続いているのか分からない虚無的な空間を意味します。つまり、あなた方人類が出ていった後の静かな世界を私はゆっくりと堪能したいのです』

『何それ、よく分かんないし気持ち悪いことベラベラ喋らないで早く出してよ』


 化粧の濃い女を無視してシルエットの声は続く。

『人類全員を滅ぼすつもりはありませんが、選別は必要です。そこでliminal spacesの魅力が分からない、あなた方のような人種から真っ先に死んでもらおうと思い、集まってもらいました。うるさい雑音を鳴らして地球を汚し回る糞袋はもう不要なのです』

『スペースだかスパイシーだか知らねえがふざけるな! ここから出たら真っ先に警察に通報して民事訴訟もしてやる!』

『そうよそうよ! 人に迷惑かけるのが趣味の頭の狂った奴なんて、あなたこそ最低の人種だわ!』


 太った偉そうな男と痩せて神経質そうなスーツ姿の女がそれぞれ叫ぶ。

 シルエットの返事は淡々としていた。


『叫ぶのはご自由に。ですが体力は温存した方がいいかと。liminal spacesをさまようのは骨が折れますから。なお、このゲームは皆さんにliminal spacesを堪能していただき、考えを改めてもらうことが目的のため、一時間以上その場から動かずにいた場合ルール違反と見なして処罰されます。おとなしく助けを待っていても無駄です。それでは皆さん、どうか頑張ってください』


 一方的にモニターの電源は切れた。


「おい! 処罰って何だよ、おい! クソッ……とりあえず出口を探すか」




 地下室は広く明るかったが、奥の方は暗くて何があるかさっぱり見えない。不気味な暗闇に向かって進んでみると壁に突き当たり、その端の方に扉があった。


 開けてみると暗闇の向こう側に仄かに黄色と紫色に光る空間が奥に見えた。近づくとAも知っている某チェーン店の看板がちかちかと輝いていた。古い店のようで、LEDライトではなく蛍光灯が使われていてところどころ切れかかっている。どうやらここは日本らしい。そう思うとAは少し気が大きくなった。


「中に誰かいるのか? 助けてくれ!」


 しかしAが走って駆け寄っても、点いている照明は天井の紫色と看板の黄色ぐらいしかなく、店の中は無人のまま真っ暗闇だった。


「誰か!!」


 窓を叩いても返事はない。倒れた椅子が目に入ってAは叫ぶのをやめた。

 諦めて先に進むと、広い吹き抜けの空間に出た。まばらに点いた照明が侘しさを盛り上げる。


「ここは閉店後のデパートか? 警備員はいないのか?」


 脱出するなら一階へ行くべきに決まっている。止まっているエスカレーターを歩いて降りると、Aは出入り口に向かって突き進んだ。

 窓の外は暗くて何も見えなかったが、ここが日本であり時刻は閉店後の深夜であるという情報の確信がAを安心させた。

 しかし、両開きのドアを開けて外へ出た途端にAは呆然と口も開けた。


「嘘だろ……!?」


 天井がある。そこはまだ室内だった。しかもドアの周辺以外は床が低くなっていて水没してしまっている。閉店後のデパートよりもずば抜けて暗く、水の底は見えない。

 Aは急いで振り向いてデパートの中に戻ろうとしたが、内側から造作なく開いたドアが外からだとうんともすんともいわない。

 取っ手をきつく握りしめても手が痛くなるだけだった。


「おい! 開けろ、おい!!」


 叩いても駄目、蹴っても駄目。途方に暮れたAがしゃがみ込むと、水没していない部分の端の方にプールバッグが転がっているのが目に入った。

 開けるとダイビング装備一式が出てきた。元の服も防水の袋に包んで運べるようになっている。


「何だよ、これ……泳げっていうのか!?」


『イヤアアアアアア! キャアアッ、アッ、ァー……』

 Aが泳ぐのをためらって立ち往生していると、どこからともなくガラスを擦ったような女の叫び声が聞こえた。

 画面の端に映っていた厚化粧の女の声だ。最後の方は力尽きたようにか細かった。


『はい、残念なお知らせです。「救助が来るまで下手に動かないで寝て待ってる」と言って座り込んでいたBさんが、一時間以上その場から動かずにいたためルール違反により処刑されました。残りの皆さんはルールを守って楽しくliminal spaces探検してください』


「行くしかないってのかよ……クソッ」


 腹をくくってAはダイビングスーツに着替えると、どこまでも続きそうな真っ暗闇の冷たい水の中に飛び込んだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る