魔術師の花嫁
桜月ことは
第1話 この島での歪んだ日常
カラン、カラン――
「いらっしゃいませ」
入り口のドアが開かれたと同時に鳴るベルの音に素早く反応し、店員のアリシアは、お客様を迎え入れた。
ここは、島でも一部の特別な人しか使用できない、一見さんお断りのカフェ。失礼は許されない。
「お席に、ご案内いたします」
アリシアは、このカフェ『エデン』で昼間、給仕として働き始めそろそろ半年になる。
常連客の顔も覚え、接客するのもお手のものだ。
昼間のお客様は、主に女性がメインだった。客層は、この島で権力を持つ魔術師様の妻たち。お茶会に使われることも多い。
「ご注文が決まりましたら、お呼びくださいませ」
恙無くご婦人を席に案内し、レモン風味のミネラルウォーターを用意すると、一礼してアリシアはバックヤードに捌けた。
「アリシア、丁度ケーキセットの準備が出来たところだ。あちらの席へ運んでおくれ」
恰幅のよい料理長が、鮮やかなフルーツとケーキを盛り付けた皿を台に並べてゆく。
「はい」
アリシアが、すぐにそれを受け取り、運ぼうとした時だった。
カッシャーン!!
「ちょっと、アンタ! どういうつもり!!」
食器が割れる音と共に、女性のキンキンとした金切り声がフロアに響き渡る。
「す、すみませんっ!!」
「謝れば済むと思っているの!」
どうやらトラブルが発生したようだ。
こんな時に限って、店長は奥の部屋で来客応対中だし、フロアリーダーも休憩に入ってしまい見当たらない。
アリシアだって、まだこのカフェに来て半年程度。古株とは言えなかったが、他に数名いる給仕たちは怒鳴られている新人を庇う勇気がないようだ。
それもそうだろう。魔術師とはこの島では絶対的な権力を持ち恐れられる存在。そして、その魔術師のパートナーに目を付けられてしまうと、運が悪ければ首が飛ぶ。
そういう島なのだ。ここ、ノワールアイランドとは……
「あっちゃ〜、あの子せっかく入ってくれた新人さんだったのに。もうダメかねぇ」
「…………」
新人給仕のベルが、顔面蒼白になって頭を下げているのを見ながら、厨房から顔を覗かせた料理長が、同情の眼差しで呟いた。
ベルは、このカフェに来てまだ一週間ちょっとの娘だ。下町の酒場で働いていた経験者というこもあり、直ぐにフロアに立ってもらっていたが、もう少し自分たちも彼女をフォローしてあげるべきだったかもしれない。
「これっ、新品のワンピースなのよ! わざわざ主人が島の外から取り寄せてくれたモノなのに! 汚れたらどうしてくれるの!!」
(実際汚れたわけでもないのに……)
ベルが食器を持って転んでしまったのは、怒り狂っている女性の座る席から少し離れた通路。
特に女性に被害はないように見える。
もちろん、フロアで粗相をしてしまったのは、こちらの不手際なのだが……
「ミレイユ様が怪我をされたらどうするおつもりでしたの!!」
怒り散らしていた女性の取り巻きたちからも、非難の声が上がりだす。
(あなた達のところまで、破片なんて飛び散ってないじゃない)
大袈裟に騒いだりして品がない。とアリシアは、心の中で毒吐いた。
自分たちは魔術師の妻なのだと、夫の権力を笠に着て、偉ぶる彼女たちがアリシアは嫌いだ。
それでも、嫌いな客層を相手にこのカフェで働いているのには理由がある。
だから、決してそんなことを態度に出したりはしないのだけれど。
「助けに行くのかい?」
「……ほっとけなくて」
本音を言えば、自分だって魔術師の妻たちの前で、悪目立ちはしたくないけれど。
気合を入れた表情で、フロアに一歩踏み出そうとしたアリシアを見て、料理長が引き止めてくる。
「わしにはこれくらいしかできないけど、コレ。サービスだって、あの席に持ってきな」
カラフルなマカロンが並んだ皿を差し出され、「ありがとう」とアリシアの表情が少し和らいだ。
「お客様、当店の者が大変失礼いたしました」
ベルを庇うようにアリシアが間に入る。
「なにっ、アンタ。私を誰だと思っているの!! あの、カーター・ヘンダーソンの妻を危ない目に遭わせたのよ! 店長を呼んできなさい!!」
(カーター・ヘンダーソン……聞いたことない名前だけど)
彼女の夫がどれ程偉い人なのかは知らないが、店長は別の案件に対応中だ。
「もちろん店長も後ほど謝罪に伺います。ただ、今はあいにくジェフリー様の使いの方と……」
申し訳なさそうな表情と声音で彼女を宥めると、ミレイユは少しバツが悪そうにグッと押し黙る。
ジェフリーとは、この島の魔術師ナンバー2。その名を出して文句が言えないということは、いくら偉ぶっていても彼女の夫はそれ以下の位ということだ。
この島では、魔術師のランクが全てといっても過言ではない。
弱い者に人権はないし、魔力が強ければ犯罪だって黙認される。
魔術師上位者こそ正義であり、魔術師至上主義なのだから……
アリシアは申し訳なさそうな表情は変えず、そっとマカロンをテーブルに並べた。
「こちら、当店からのサービスです」
「ふんっ」
マカロンを横目で見たミレイユは、少し機嫌が戻ったように見えた。
「ほら、ベルさんも」
「あ、はいっ!」
アリシアと一緒にもう一度ベルも頭を下げる。
これで、この場は収まるように思えた……のだったけれど。
「あの、本当に申し訳ございまっ!?」
ベルの頭にグラスの水がかけられる。
「ふふ、これで頭を冷やして反省するといいわ」
ミレイユの意地悪な笑み。それから、クスクスと便乗するように笑う取り巻きたちの声に、ベルの顔が真っ赤になって歪む。
羞恥や悔しさ、様々な感情が入り混じっているのだろう。彼女は今にも泣いてしまいそうだった。
アリシアもグッと怒りを堪えながら、ベルの背中に手を添え支えるようにバックヤードへと連れて行く。
(魔力があるのが、そんなにすごい? 魔術師の男に愛されているだけで、偉い? この島のルールは、馬鹿げてる)
誰もが、その力に恐れると思うな。
くだらないステータスに跪くと思うな。
アリシアは、内心ではそんな者たちを恐れてはいない。
夢も希望もない島で願うことは、一つだけ。
――あの男の息の根を止めるまで、わたしはこの腐った島で生き抜いてみせる。
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