告白7
久保はひどくやつれた表情をしていた。ぎりぎりと歯を鳴らして血走った目をぎょろぎょろと動かす姿は幽鬼のようで、すれ違う人々は皆訝しげに彼のことを振り返っていた。昨日から仕事は休んで手帳を、いや、あの女を探している。家に帰える時間も惜しい。
久保は街を彷徨うが、彼の足の先に目的地はない。目指すは紀子のいる場所だが、彼女がどこにいるのかわからない。この前の合コンで彼女と色々話したのに真面目に聞いていなかったので覚えていなかった。あの時ちゃんと話を聞いていれば今頃捕まえることができただろうか……。
後悔などどうでもよかった。久保は痛む頭を抑えて自らを急かした。とにかくあの女を捕まえなければ。しかし、見つけてどうしよう。「あの手帳は君が持っているんだろう?」とまずは聞こう。……いや、今の私に聞けるだろうか。とにかく聞いて、「返してほしい」と常套句。これで返してくれたらなにも問題はない。彼女の気の迷いだったのだろう。ちょっとした悪戯だったのだろう。よく言うだろう。気になる相手の気を引きたくて困らせるという。
だが、もしそうじゃなかったら。返してくれなかったら。断ったら。
その時は、必要ならば、そう。殺してしまわなければ。
こつんと足音が鳴る。いつのまにか迷い込んだ暗い路地は、ひどく久保の足音を響かせた。その音は何重にも響かせて重複し、久保の頭を揺さぶった。
気持ちが悪い。はやくここから出たい。
久保は足早に歩くが、幾重にも重なった足音は彼を追いかける。その数は四つ。
久保は思わず振り返った。もちろんそこにはなにもいない。しかしさきほどの音は、なぜか暗示的なものを感じた。まるで、悪魔がひっそり耳元で囁いたかのような。
四つ。なんの数字だろう。
そうだ。私だ。わたしたちだ。金田、マツダ、美知子。合わせて四人。だから四つだ。なるほど、と納得した久保は、しかし、また違和感に襲われた。
ちがう。四つじゃない。
私自身の足音を合わせたら、これは五つの足音ではないか?
私たちは四つの人格で構成されている。五つ目なんて、いない、はずだ。
他の人格は少々問題があったため、消え去ってもらった。死んだのではない。眠りに着いているのだ。永遠に覚める事のない眠りについている。久保がそうさせた。全ての人格を統一し、この体を安定させるために生まれたのが、この「久保」なのだから。
久保は無意識のうちに走り出した。なぜだか背後でだれかが追いかけて来ているような気配がする。そんな馬鹿な、と笑うのだが足は止まらない。
路地の奥にはゴミが高く積まれていた。暗くて先があまりよく見えていなかった久保は避けきれずにその山にぶつかってしまう。鼻に突く生ゴミの臭いと虫の羽音が彼を覆い、久保はそれらから逃げるようにもがいた。
ぱりんと足下で何かが割れる音がした。それは鏡だった。
息切れを起こした久保はしゃがみ込み、羽根虫を追い払いながら地に落ちた鏡を見下ろして、そこに自分が写っていないことを認めた。
「……は?」
これは私ではない。久保ではない!
では一体だれだと言うのだ。
金田? マツダ? まさか美代子?
違う。誰でもない。四人ではない、別の顔。
そうだ。あぁ、そうだ。忘れていた。なぜ忘れる事などできたのだろう。
私たちはもう一人いた。四人ではない。五人だったのだ。
この身体の元持ち主、山下。彼だけは、完全に眠ってはいなかったのか。
目が覚めたのか。
「違う……。私は、久保だ」
山下の目玉が大きく開き、久保を見てニッと笑った。
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