22 兄の犠牲の日常



 

 母親がどうとか、父親がどうとか……そんなことを考える思考能力は僕にはもう残ってなかった。


 ただあるのは、抜け落ちていく時間の感覚だけ。


 毎日をただひたすら過ごしていたら、気がつくとあの日から1年ほど経っていたらしい。


「いらっしゃいませ」


 佳奈は高校の二年生になった。

 あと一年頑張ったら、佳奈を大学に行かせてやれる。

 佳奈の方も順調に高校生活を送れているようで、心配していた先生たちも大人な対応をしてくれているようだ。


「ありがとうございました」


 部活も室内部に入って、仲良く遊んでいるらしい。


 中々時間が合わずに佳奈の高校の話を聞けていないけど、何かあったら言うようにといったから、何も言ってこないということは無いのだろう。


 あぁ──…………時間よ、早く過ぎろ。

 


     ◇◇◇



「佳奈~、一緒帰ろ!」


「お、真奈美~!! いいよ~!」


 ――兄さんを犠牲にして送る高校生活は楽しいか?


 時折そういう声が聞こえる気がする。

 それは私の中に潜む私なんだと思う。

 友達に向ける笑顔は偽りのないハズなのに、心のどこかでは兄の事を考えて心の底から楽しめていないような気がする。

 

「放課後に遊びに行く余裕なんかあるのか?」


「うるせー! 男子は黙ってろ!!」


「そーだそーだ!!」


 クラスの雰囲気も悪くない。

 みんな進学だ、どこの大学を目指しているんだ、あの先生の教え方はよく分からないから自主的に勉強会を開こう、とかなんとかって話をよくしてる。


 私がいるのは兄さんがいた高校。

 兄さんは「自称進学校」だと言っていたけど、私的には背伸びをしてギリギリ届いて……なかったような高校だった。

 勉強についていくだけで必死だし、将来の事までってなると頭がエンストをよく起こしていた。


「真奈美さんはいいけど、佳奈さんは勉強とか大丈夫じゃねぇだろ」


「げっ……それは……、まぁ何とかなるし……」


「勉強おしえよっか?」


「お、ほんと? 貴幸君は頭いいもんね……うらやましい」


「えー佳奈、男子と遊ぶん? 男子とかやめときって」


「お~? いかがわしいことでもするんかぁ? 勉強会ち誘って」


「す、するかよ」


「うわ、きっしょ」


「あははー、また頼むよ。今日は真奈美と遊ぶ予定が入っちゃってるからさ」


「貴幸、やめときなさい。佳奈はお兄さんラブだから。ノーマルじゃないんだから」


「ちょ、真奈美!!」

 

 男子と女子の仲も悪くはない。

 ただ、進学校なだけあって学力の差が歴然と出てき始めたのは言わずもがな。

 頭の悪い生徒は先生に捨てられないように必死に予習と復習をして、食らいついていくしかできない。


 私がいるレベルでは兄さんが行こうとしていた大学はおろか、そのランクを少し下げても行けるかどうかわからない。


 先生の中で私は……多分捨てる候補の内の一人に入ってるのだろう。

 高校生活は楽しい。

 だけど、私は……兄さんが望んでいる程の能力は無い。


 ――兄さんの大学進学の夢を奪って、お前は何をしているんだ?


 頑張らなきゃ。

 期待に応えるんだ。

 兄さんは、私のために頑張ってくれてるんだから。


 兄さんを食いつぶしてる成り立っている私の将来は選択肢があるようでない。自分の将来ではなくて「平野家の将来」に置き換わっているのだ。


 笑顔を浮かべる裏で、胸の奥にはいっつも黒いモノが渦巻いてる。


 私がちゃんとしないと、お兄ちゃんの頑張りまで無駄になっちゃう。

 この、重くのしかかる責任感は……息苦しい。

 でも、頑張らないといけない。

 応えなければならないのだ。


「ねぇ~貴幸ってやっぱり佳奈のこと好きだよ」


「そうかな……」


「佳奈は貴幸のことどう思ってんの?」


「ん~……頭のいい男の子? あともみあげがちょっと長いかなーって」


「ダハハハ、脈無しだねぇ~」


「恋愛なんて……恋愛か。そういえばしたことないかも」


「やっぱりお兄さんラブ?」


「えぇ~……どうなんだろ。よく分かんないや」


 兄さんの事は好きだ。

 兄さんが高校の時に女を作った時には凄くモヤモヤしたし、プレゼントを贈るときにその彼女が私に相談をしてきた時は正直に言って不快感しかなかった。

 兄さんの事を知らないのなら、横に立って彼女面をするんじゃないって思った。

 兄さんはそれでも一年近く付き合ってたし、やることまでやったんだと感じる。結局は別れたけど、それも向こうから一方的に切られたっていってた。


 兄さんへのこの感情は……恋情? 慕情? 何なのだろう。


 兄さんには幸せになってほしいとは思う。だけど、その彼女ができた時は幸せだったはずなのに、私は不思議とモヤモヤとした。

 兄さんの幸せって、何なんだろう。私が大学に行けば幸せになるのかな。何か違う気がする。


「…………」


 兄さんも大学に行く……っていうのはどうなんだろうか。そのために私が学校をやめて働けば――いや、これは前に怒られた奴だな。

 兄さんも幸せになる、私も幸せになる。


 そのためにはどちらかが我慢をする状況ではだめだ。

 ……とりあえずは、兄さんに話をしてみないと始まらないな。

 

「佳奈?」


「……ねぇ、真奈美。ちょっと勇気を頂戴」


「ど、どうしたの……?」


「少し、兄さんに言ってみたいことができたの」


「……告白でもすんの?」


「……それに近い」


「兄妹愛っ!! いいねぇ、応援するよ!! 頑張れ!!」


 真奈美に手を握ってもらって、二人で力強く頷いた。

 あとは兄さんのタイミングを計って……って。


(兄さんが暇な時ってあるのかな……?)


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