暗がりに抱かれて落ち行く先は

20 佳奈の入学式の日


 バイト漬けの日々が始まった。


 朝はスーパー。

 朝起きたら頭が色々行きたくない理由を考え出す前に仕事場に向かいタイムカードを切って仕事が始まる。


 このバイト先はマルチタスク……というのを取り入れているらしい。特定な場所に特化というよりかは総菜コーナーや品出し、鮮魚などを掛け持ちして人が不足したらそこの補填ができるようにする、という取り組みなのだと。


 数日働いてみて、それはただの人手不足の言い訳だと感じた。

 朝から昼まで働くのは特に給料がいいというわけではない。

 このアルバイトはただの時間の埋め合わせだ。


 昼から夜までは、ファミリーレストランでの仕事だ。


 昼時の人が多い時間帯であるため、少しだけ給料がよくなる。

 ここも人があまりいないようで、バイト初日から馬車馬のように働かせてもらった。


 だが、数日働いただけのバイトは正直「邪魔な存在」だと認識されているようで、陰で「とろい」「のろい」「行動が遅い」と言われているのだと聞いた。

 それを聞きながら、これから上手くなって行くのではないのか? と思ったが、即戦力を求めるような企業に未来はないだろう。

 後続育成、それをしない所はどこも滅ぶ。歴史を学ぶとよく分かることだ。


 つまるところ、ここはそういう所なんだと思って割り切った。


 夜は居酒屋。中村さんが開いている『居酒屋喜楽』でバイトをさせてもらうことになった。


 僕以外にもバイトの人はいて、ホールスタッフや調理スタッフなどなどいる。

 そんな中、中村さんに「明人君は……んー、調理スタッフかな」ということで、僕は料理を担当することになった。


 気さくな人が集まっているし、最初は過ごしやすいと思っていたのだが……お客の対応が地獄だった。

 常連だということを威張っているのか分からないおじさん。ぼくをナンパしてくる男、女。

 もたれかかって来るや否やゲロを吐き散らす酔いどれ。

 ピーク時もファミレスよりキツイこともあったけど……結局はまかないも出るし給料がいい。

 酔った客の理不尽さに耐える練習だと思えば、気が楽になって行った。


 休憩無しのバイトの日々を送っていると、学校で学んでいた知識や培ってきた学力などに徐々にアクセスできなくなっていくような気がして不安があった。


 しかし、それも最初の方だけだった。

 時間が経っていくとそれらを考える思考さえ麻痺をし始めた。

 終いには、脳の機能全体が削られ減らされて行く感覚になってからは、気にすることが無くなった。

 気にすることができなくなっていった。


 毎日同じ風景、同じ場所、同じ時間、同じ人、同じ注文内容。

 日数感覚がおかしくなっていく。

 今日は何日だ?――いや関係ないか。どうせ、僕は毎日が仕事だ。


「いらっしゃいませ」と笑う顔──今の僕の顔は笑えているのだろうか。

 

 あぁ、分かった。これは「脳ではなくて心が死んでいっている」のか。

 ゆっくりと荒波に崖が削られるように、滴る水が岩に穴をあけるように、僕の心が削れて行ってるんだな。


 そうだとしても、どうでもいい。


 この日々を過ごすのに、脳も心も価値が無いモノなんだから。


 

      ◇◇◇



 そうしていると、佳奈が無事に高校に入れた。

 もうそんな時期らしい。

 親族が誰も見に行かないっていうのは避けたかったので、その日だけは休みをもらって入学式を見に行くことにした。


「入学おめでとうございます!!」


 広い体育館で行われた入学式。

 床には緑のフロアシートが綺麗に敷かれ、その上に椅子が並べられている。

 在校生はまだ春休みだが運動部は練習が行われているのを移動時に確認をしていた。

 現に、剣道部は武道場で声を張り上げているのが体育館に微かに聞こえてきている。


 僕が座っているのは保護者席。入学生の母や父が並ぶ中に僕がいる。

 こういう時ばかりは童顔だということを後悔している。


 ――この場所、この空間。……息が詰まる。


 入学式が行われている場所、というよりはこの四方数百メートルある敷地に建造されている建物とその雰囲気が僕に閉塞感を感じさせてくる。

 校長や入学生代表がツラツラと文章を読み上げると、解散するようで体育館から新一年生となった男女が出ていくのが見えた。

 そこに目を向けていると、佳奈がいた。

 佳奈も僕のことを目で探しているようで、目が合うと嬉しそうに笑った。

 僕も新しい制服を身にしている佳奈を見て、微笑んだ。


「…………」


 だが、これから僕がすることを想像すると……朝食を抜いてきておいてよかったなと思った。

 教室で行われる保護者説明には出席をせず、僕は職員室へと向かった。

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