或る冬の情景

立花 凪咲

冬、始発、私、あなた。

人の気配のない家の廊下を通って、扉を開ける。

昨日の夜は雪が降っていたのだろうか、ガードレールはないアスファルトの道路が黒く湿っていた。

そのせいか、太陽がまだ眠っている朝の冬風は私に家で休むことを促しているんじゃないかと思えてしまうに冷たかった。

雪を掴んだような白い手をあわせて、少しの白さもない吐息でじんわりと暖かさを広めていく。

足裏からの感触だけを頼りに、街頭の明かりもない薄白く靄がかかった道を進む。

寝静まったままの一軒家の行列は、人々の睡眠の邪魔にならないようにその体を薄く隠し、朝露の滴を滑らせる草の群れは肌をさす風の匂いを爽やかに彩る。

雲は灰がかかったように薄黒い。昨日の雪のせいか、それとも単に朝が早すぎるだけか。


そんな道をしばらく歩けば、ぼんやりとした視界の先に横長の木造建築が見えてくる。



それはこの小さな田舎で唯一遠くの場所と手軽に繋がる手段。


そして、あの人が三年前に行ってしまった場所。



さらになにより、今日あの人が帰ってくる場所。




別に私が電車に乗るわけじゃないから、なんて言い訳を盾に、蓋も少し歪んだ手作り感満載の切符入れの横を通り過ぎる。

いつも駅員もいないような小さく寂れた古い駅は、雪が振り切った日の朝には人間と動物兼用の道を歩くよりも空気が冷え切っていて、一歩を進めるたびに頬がチリチリと痛むようだった。

どれだけ厚着をしても体から熱を奪おうとする空気の塊を押しのけて、朝焼けよりも目覚めが速い始発を待つ。


早起きをした綺麗に純白を纏った小さな鳥は、冷え切った空気の中、ベンチの下で必死に朝ごはんを探していた。

ごめんなさい、と足音に驚いて飛んでいったあの子に心の中で謝罪を告げる。

あなたも無事に探しものを見つけられますように、なんて柄にもなく祈ってみて、

その代償みたいに湧いてきた欠伸を口に力を入れて噛み砕く。




電車が訪れるまであとどれくらいなのだろう。

雪から名前を誰もしらないような雑草を守りきった小さな英雄に腰掛けて、

軽い整備だけが為された山の斜面をぼうっと眺める。


優しく、風が吹いた。

思わず立ち上がり、パッと視線を逸らしても、そこには暗いトンネルの中に線路がただ続いているだけだった。

下げた顔の先には、無様にも早とちりをした私をからかって笑うように、昨日のうちに雪を溜め込んでいた白い花が私を見つめていた。

勝敗がつくはずもないにらめっこをやっと諦めて、また朝の空気に冷やされてしまったベンチの上に座り込んで、空を見上げる。

くだらない事をしている間にも時間は刻一刻と過ぎていくのだと、灰色に濁った雲間を貫く陽光のいくつもの筋が熱心に私の体に伝えてくる。

すっかりと冷え込んでしまった身体に当たる太陽は、かえってその冷たさを際立たせてしまう。


ゆっくりと、冴えてきた頭が回り始める。

そういえば、あの人が始発の一番で帰ってくるという保証なんてどこにもない。


けれど。

けれど、あの人なら始発で帰ってきてくれる。私なら絶対にそうする。

不安になるなんて私らしくもない、か。




目を閉じて、あの人の姿を思い出す。 もう随分と長い間、会えていない。

上品な立ち姿、古めかしい服装のセンス、それに見合っただけの顔立ち、私の名前を呼ぶ声。

大丈夫、まだ、思い出せる。思い出せている。

三年も経ってまだ忘れていないなんて、私、あの人のこと思い過ぎ。

なんて思うと、自然と口角が上がってしまう。

あの人も、同じだったら良いけれど。


あの人は変わってしまっているだろうか。

それとも、変わってしまったのは私だろうか。

もしくは、なにも変わっていないのだろうか。



まだ冷たい風が吹く。

前髪が少し乱れて、また元に戻る。

風が止んでも元に戻らないもの。

車輪が回り、こちらへゆっくりと近づいてくる音が乱す、静かに吹く風の音。


始発だ。

真正面からでは人影は運転席以外にはどこにもないように見える。

電車が徐々に速度を落とし、景色が緑に染まった絵になっていく。


一両目、乗客はいない。

ということは、二両目に。

あの人が、いた。



扉が、開く。



冬には似合わないほど温かく、優しい風がゆっくりと私の髪を撫でた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

或る冬の情景 立花 凪咲 @L1eL1ves

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ