第13話 作る意味

「幼い頃、ただ人の友がいた。ほんの数日共に過ごしただけだったが……あいつは何も言わずに突然姿を消してしまった」

「その方のお名前は……」


 シエルが尋ねると、レーヴェは悲しげに首を横に振る。わからない、と呟いた。


「その顔すらもう覚えていないくらいだ。だけど、あいつと共に過ごした時間はとても楽しかった。消えてしまって、一切の音沙汰がない。俺はいつしか、あいつに裏切られたと思って、ただ人を信じられなくなった」

「……だから、わたしたちに対して少し突き放すような言い方をされていたんですね」

「それは……今は、悪かったと思っている。貴女たちがこの城でどう過ごしているのか、色々な人が教えてくれた。それを聞いて、俺は貴女自身を見ていなかったんだと気付かされたんだ」


 最初、レーヴェはシエルのことを「あんた」と呼んでいた。更につっけんどんな言い方が目立ち、近付くことすら拒む雰囲気を持っていた。

 しかし今、シエルの前で話すレーヴェは違う。シエルを「貴女」と呼び、以前よりもシエルに向ける表情が和らぎ、己の過去を話してくれる。


「菓子作りをすると聞いた時、好きにしてくれれば良いと思っていた。貴女に深くかかわるつもりはなかったから。けれど初めて手作りの菓子を食べた時、本当に驚いた」


 炎の魔力を持つ者は、総じて料理や鍛冶が得意だ。水の魔力者は植物を育てるのが上手かったり漁が上手かったりし、土の魔力を持つ者は農家や建設関係の仕事をすることが多い。獣人であるレーヴェたちとはまた別の尺度を持つただ人の職業選択を知識としては知っていたが、こうもはっきりと見せつけられたことはない。

 レーヴェの話に耳を傾けながら、シエルは気持ちが落ち着いていくのを感じていた。この一ヶ月、城の人々のお蔭で関係を築くことが出来たと思っていたが、本当に関係を結びたい人との繋がりは拙いままだ。

 彼は今目の前にいて、シエルの体調を案じながら己について話してくれている。それが、シエルにとってこの一ヶ月のご褒美だった。


「わたしは、国では落ちこぼれだと言われ続けていましたから。こんな風に褒めて頂けるなんて思いもしませんでした。ましてや、城の中でお菓子作りが出来るなど……」

「その件で、一つ提案があるんだ」

「何でしょう……?」


 お菓子作りで何かまずいことでもあったのだろうか。シエルの顔色が熱があること以上に悪くなっているのを見て、レーヴェは慌てて「勘違いするな」と言う。


「たぶん、おそらく貴女なら喜んでくれると兄上が言ったんだ! だから、そんなに悲しそうな顔をしないでくれ……」

「陛下が?」


 ますます話が見えず、シエルは首を傾げる。

 そんなシエルに、レーヴェは「そんなに構えるな」と微笑んだ。


(あ、笑って……)


 普段のクールなイメージから、砕けた幼い表情が覗く。その変貌に、シエルの心は掴まれた。

 レーヴェは目を瞬かせてシエルの顔を見てから、こほんと咳払いをする。笑ったことで照れたらしい。


「……話を続けるぞ。実は、今度王都で祭りがあるんだ。秋の収穫を神に感謝する祭りなんだが」

「お祭り、楽しそうですね」

「毎年、様々な催し物がある。その時ばかりは城を一般にも開放するんだが、シエルにはやって来る人々への土産になる菓子を考えて作ってもらいたい」

「……わたしが、ですか?」


 目を丸くして、シエルは自分を指差した。熱があることを忘れてしまう程、驚いてしまう。

 驚き固まるシエルとは反対に、レーヴェの見た目は淡々としていた。


「そうだ。陛下……兄上が、祭りの主催者との打ち合わせの際に提案したんだ。城にはお菓子作りが得意なシェフが一人いるから、彼女に任せてみてはどうかと」

「シェフって……」

「ちなみに、兄上は貴女の作ったクッキーを会議に持ち込んでいた。それを実食した主催委員会も、即決していたぞ。是非、とな」

「数日前、陛下から多めにクッキーを貰えないかと打診されたことがありました。それはそのためだったのですね……」


 にこにこと微笑みながら依頼して来たジーノ。彼の思惑にまんまと乗せられてしまったのだとわかり、シエルは苦笑するしかない。

 肩を竦めるシエルに、レーヴェは「兄上がすまない」と頭を下げる。


「あの人は、時折無茶振りをする。『仕事ばかりでは息が詰まりそうになるからね』と言うが、楽しんでいるだけだろうな」

「殿下も陛下も、謝られなくて良いんですよ! わたし、やってみたいです」

「受けて、くれるのか?」

「はい。皆さんのお役に立てるのなら、喜んで考えます!」


 ぐっと拳を握り締め、シエルは微笑む。

 彼女にとって、自分が作るお菓子が喜んでもらえるということは喜びだ。大きなモチベーション繋がる。


「故郷では、表立ってお菓子作りを擦る機会には恵まれませんでした。まさか、別の国に来て……お城を訪れた方々にお配りするお菓子をなんて……」

「前にも、そんなことを言っていたな。貴女がお菓子を作る機会がほとんどなかった、と」

「国王や姉から隠れて作っていました。幸いシェフとわたしは仲が良かったので、見付からないように夜中などにキッチンを貸して下さって。作る度、アドバイスを頂いていました」

「その人は、今もリシューノアの城に?」

「いいえ」


 悲しげな表情で首を横に振り、シエルは呟くように答えた。


「シェフは、わたしにキッチンを貸していることがバレて辞職させられました。わたしには王の結論を覆す力がなく……謝ることしか出来ませんでした」


 涙を流しながら謝罪するシエルに、シェフは笑って言ってくれた。貴女の作るお菓子は、他人を幸せにする素晴らしいものだ。その力を信じて、お菓子を嫌いにならないで下さい、と。その言葉を残し、彼は故郷へと帰って行った。


「わたし、お菓子作りを諦めなくてよかったです……」

「この国にいるんだから、これから我慢しなくて良い。……俺は、貴女が作る菓子を楽しみにしているから」

「ありがとう、ございますっ」


 ぽろぽろと流れるシエルの涙を、レーヴェは遠慮がちに指で拭った。


「泣くのはまだ早い。まずは体調を整えることだ。それから、兄上も交えて相談しよう」

「はい」

「おやすみ」

「おやすみなさい」


 随分と顔色は良くなっていたが、まだ油断は出来ない。レーヴェに掛け布団をかけてもらい、シエルは目を閉じた。お土産用のお菓子を考えたいところだったが、今は元気になることが最優先。

 シエルが規則正しい寝息をたて始めると、レーヴェはそっと枕もとを離れた。足音を忍ばせ、戸を開ける。

 すると廊下には目を真っ赤にしたマオが立っていて、レーヴェを驚かせた。


「……マオ、一体いつから」

「ありがとうございます、殿下。姫様、ようございましたね」

「俺は、何も出来ていない。……彼女を頼む」

「はい」


 マオにシエルを任せ、レーヴェはジーノのもとへ行くために廊下を歩き出した。

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