第11話 嫁いできた者の日常

 ミシェーレの言う通り、彼女に王城を案内してもらって翌日からのシエルのスケジュールは多忙となった。

 朝起きて支度を整えると、まずサナエラのもとでお菓子作りをする。時にはお菓子以外の料理教室に変わることもあり、その時は軽食としてレーヴェとジーノのもとへも運ばれる。

 この料理教室は徐々に評判を呼び、リリス以外の女性たちも時折顔を出すようになった。地方毎に微妙に違う菓子や食事メニューを教え合い、互いの腕を上げる勉強会へと進化していく。

 料理教室後数時間の座学を経て昼食を摂り、再び座学。シャイドゥ国の歴史や経済、またリシューノア王国とは微妙に異なる獣人国特有の言い回しや言葉等も学ぶ。国が違えば文化が違うのは当然であり、王弟の伴侶として身に着けるべき知識を理解し頭に叩き込むのだ。


「二十年前、リシューノア王国とシャイドゥ国は休戦協定を結びました。その後両国の関係は落ち着き、しばらくは積極的な交流はありませんでした」


 講師の狼の獣人の初老の男性は、眼鏡を指でくいっと上げた。この七日間、毎日講師を務めてくれている。以前何処かの学校の教師をしていたといい、教え方はわかりやすく丁寧だ。

 講師の言葉を頷きながら聞くシエルは、ノートにペンで聞き取ったことを書き留める。若干粗い文字ではあるが、後で復習がてら清書すれば問題ないだろう。

 質問はと問われ、シエルは「はい」と手を挙げた。

「やはり、交流がなかったのはリシューノアの態度でしょうか」

「少なくとも、シャイドゥの人々はそう考えています。……リシューノアの方に言うのは気が引けますが」

「遠慮なさらず、おっしゃって下さい。わたしは、あの国から出た人間ですから」

「そうでしたね」


 真剣なシエルに、講師も頷き応じた。


「シャイドゥは、もともと戦闘好きの国家でした。侵略を良しとしたのは、獣人の本能なのかもしれませんがね。しかし先々代の国王が改革を行い、関係各国との和平を重視する国策へと変えました」

「はい」

「しかしリシューノアは歴史的に古い国ですから、昔のシャイドゥをよく知っています。だからこそ、交流を避けてきたのでしょう」

「……」


 これまで先人たちが紡いできた歴史、それ自体が国同士の交流を妨げることはままにある。しかしそれで終わらせるのはあまりにも勿体ない、とシエルは思う。


「わたしも微力ながら、変わったシャイドゥ国を多くの方々に知って頂けるように頑張ります」

「ありがとうございます、王弟妃殿下」


 眼鏡の奥の目が柔らかく弧を描き、シエルはつられて微笑んだ。

 勉強は毎日三時間は必ず行う。もともと机で勉強することが苦ではないシエルは、講師との会話を楽しみつつ興味を持って学び続けた。

 歴史、文化、言語、そして経済や政治に至るまで幅は無限かと思われる程広いが、全てこの国の王族として身につけるべき教養である。シャイドゥに生まれれば幼い頃からの積み重ねがあるが、シエルは今ここから、頭に入れなければならない。


「えっと……シャイドゥの王都はレイネといって……」


 勉強の時間が終われば、夕食まで復習の時間だ。日によっては、裁縫や絵画を学ぶこともある。しかしそれらはシエルの得意分野に入り、大変だという感覚はない。

 シエルの部屋には、写真立てに入れられた自分で描いた花の絵が飾られている。王城の庭で見付けた桃色の素朴な花だ。


「熱心ですね、姫様」

「マオ。お茶、ありがとう」

「どういたしまして」


 マオが入れてくれたのは、シャイドゥ国に来てから知ったこの国の伝統的な紅茶だ。料理にも使われる植物を茶葉としたもので、果物のような甘みと僅かな酸味に特徴がある。


「そうだ、マオ。昨日作ったお菓子の試作品、お茶と一緒に食べない?」

「それは良い考えです!」


 シエルの言う試作品とは、恒例となった料理教室の傍らで密かに作っているお菓子のことだ。夕食の後片付けを終えたキッチンを借り、黙々と作っている。


(いつか、シャイドゥ国のお菓子といえばこれ! みたいに言われるようになるといいな……)


 試作品は、シエルの得意とする焼き菓子だ。粉と卵とミルク、バター、砂糖で生地を作り、果物のジャムを混ぜ込む。それから魔力を調節して良い焼き具合を作り出し、完成させるのだ。

 レーヴェとジーノ、サナエラとマオの四人だけは彼女の挑戦を知っている。ふわりと焼き上がったマドレーヌは、味や材料の配合を変えながら進化していく。その変化を、皆楽しみにしている。

 マドレーヌの試作品を食べながら、マオが嬉しそうに言う。


「それにしても、姫様のご趣味が活きるとは思いませんでした」

「本当にね。わたしも驚いたわ。まさか、お菓子作りを許されるなんて思いもしなかったもの」

「それどころか、陛下もレーヴェ殿下も楽しみにしておられますしね」


 マオの言葉に、柑橘系のジャムを入れたマドレーヌをかじったシエルが頷く。

 ジーノは初めから嬉しそうに食べてくれ感想もくれるが、レーヴェはなかなか素直な感情が顔に出ない。それでもこの数週間で少しだけ距離が縮まった気がしたシエルだ。


「もっと魔力を扱えるようになって、美味しいお菓子を作れるようにならないと」

「あまり気負い過ぎないで下さいね? 姫様はお優し過ぎて、自分を傷付けてしまいがちなのですから」

「わかっているわ、マオ。いつも見ていてくれてありがとう」


 突然顔も知らない相手のもとへと嫁ぐことになったシエルを、最も傍で支えてくれる大切な人の一人。そして姉であり侍女であるマオは、年下の主にとって心の支えでもある。

 シエルとマオがシャイドゥ国へ来て、一ヶ月が経過しようとしていた。

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