セイレーンのお弁当
野村絽麻子
1
母方の祖母の具合が悪い。
それ自体はとっても心配だし、いつか来るべき時が近づいているのかなと思ってさみしい気持ちにもなる。けれど、それと
高校生にもなって自分の食事の用意一つ出来ないのは恥ずかしいことである、という自覚はある。何しろ父も料理は出来ない。父ひとり、子ひとり。母が祖母の看病のため田舎の祖母の家に出向いている間、私はコンビニで、父は仕事帰りのスーパーで、それぞれが食料を調達して帰路に就く。
職場付近の定食屋で温かいランチを食べられる父はまだ幸運である。私は粛々とコンビニエンスストアに立ち寄って、朝な夕なに小ぶりなお弁当を購入することになっている。のだけれど。
コンビニのお弁当って高くない? 少なくない? 食べた気しなくない? そんな風に感じるのはきっと、お母さんの手料理に慣れてしまったが故の贅沢なのです。あぁ! 誰か! 私に温かいご飯を! 明るい食卓を!
不満を吐露しながらもコンビニのお弁当をせっせとお腹に収めていたら、差し向かいで手作り弁当を食べていた
「
「マーメイド? あぁ、近いけど?」
あの寂れた喫茶店に何か? カフェじゃなくて純喫茶なあの店に何か? おじーちゃんたちの寄り合い所に何か? え、何か?
溢れ出る不穏な空気をかき消すように志摩子が顔の前で手を振る。お弁当の卵焼きの匂いが鼻先まで流れ込んで、出汁巻ってどうやって作るのかなぁと思う。
「マーメイドのお弁当あるじゃん」
「……お弁当?」
「朝、寄って来たら?」
「なにそれ知らないんだけど」
志摩子が言うには、喫茶マーメイドではお店が開く前の短い時間だけお弁当を売っている、らしい。それはとても美味しいけれど売っているのは毎朝ではなくて、数もそんなに用意していない。昔は電話予約も受け付けていたけれど、店主の耳が遠くなってしまった今はほとんど機能していない。
「前日の残り食材の片付けがてら始まったらしいんだけど、それが結構豪華で、値段も手頃で、おまけに美味しいんだよ」
志摩子が遠い目をする。何年か前、奇跡的に食べたことがあるらしい。ほとんど幻のお弁当なのらしい。
お弁当か。しかも美味しくて、希少価値がある、らしい。らしい、らしい、ばっかりの幻のお弁当とやらを私も食べてみたい。
「……食べてみたい」
気が付いたら声に出ていた。声に出したら、もう、行ってみるしかない。
コンビニ弁当は決して悪ではない。限られた予算の中で作られた、言わば企業努力の結晶のようなもの。でも。それでも。
さらばコンビニ弁当。今までありがとう。正体不明の白身魚のフライっぽくて衣っぽいふかふかした揚げ物、しょっぱいきんぴらごぼう。箸を入れると一気に引き剝がされる海苔、何だか謎にもちっとしたご飯。減塩の名のもとに味のしない桃色の漬け物っぽい何かと、食べられない緑色のぺなぺなしたアレ。君たちともおさらばだ。たぶん。
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