1-4

 断り切れずに文演部に入部することになった翌週、僕は白坂先輩に言われた通り放課後の部室にやってきた。

 恐る恐る中に入ると、すでに彼女が部屋の一番奥に鎮座していた。ちょうど僕に相対する形になり、待ちわびたと言わんばかりの不敵な笑みをこちらに向ける。

「歓迎するよ」

 僕は彼女に促されて、机の周りに疎らに置かれた錆びついたパイプ椅子に腰かける。

 ぐるりと部屋を見回すと、僕と彼女以外にも部員らしき人物が三人、左右に分かれて座っていた。とりあえず彼女一人ではなく、きちんと部活の体を為していたことに安堵する。

「まずは自己紹介が必要だね。私は一度挨拶をしたけれど、改めて。二年C組、白坂奈衣。この文演部の副部長をしている。副部長と言っても、部長が受験勉強に明け暮れてほとんど来ないから、実質的な最高権力者と思っていただいて構わないかな」

 目線は僕の方が高いはずなのに、椅子に深く座って脚を組む彼女に高いところから見下ろされているような感覚に襲われる。そんな尊大にも思えるような態度も、不思議と彼女には相応しく見えて、あまり嫌な気持ちはしなかった。

「おいおい、もうすぐ卒業する先輩を勝手に亡き者にするんじゃない」

 一番身体の大きな体育会系の風貌の人が不満そうに呟く。どうやら彼がこの文演部の部長らしい。

「部長みたいなむさい男が部長だなんて、マイナスイメージでしかないじゃないか。私みたいな薄幸美人が率いている方がよほど印象が良い。もうあとのことは私たちに任せて、受験に集中してくれればいいのさ」

「全く困った後輩だ……」

 ずいぶんな言い草だったが、自信満々な態度に言い返すことを諦めたのか、部長はそれ以上何も言わず引き下がっていった。

「で、こっちにいるのが私と同じく二年の友利くん。日によってキャラが違うちょっと情緒不安定な人間だけど、悪い奴じゃないから仲良くしてあげてね。ちなみに今日はどうやらテンションが低いキャラみたい」

「どうも」

 友利先輩は彼女に紹介を受けると、こちらに向いて軽く会釈をした。無造作に伸ばされた前髪が目を隠していて、ちゃんと目を合わせることができない。どうやら初対面の人間にも気さくに話すようなタイプではないようだった。

 しかし、その長い髪の隙間から見える目鼻立ちを見ただけでも、ずいぶん整った顔をしているのがわかった。鼻筋が通って堀が深く、キリっとした目元、頬から顎にかけてのラインはすらりとシャープな印象で、明るい髪色も相まって西洋貴族のような雰囲気をまとっている。

「そしてこっちが君と同じ一年生の桜川くんで……」

「僕は桜川和希。僕のことは和希って呼んでくれていいよ、同い年だしね。えーっと、君のことはなんて呼んだらいいかな?」

「あ、西村景、です」

「じゃあ景って呼ばせてもらうことにするよ、よろしく!」

 和希はわざわざ立ち上がって僕に近づき、手を出して握手を求める。

 くりっとした大きな目が印象的で、犬のように人懐っこい顔をしていた。何故か室内なのにバケットハットを被っていて、僕の視線に気が付くと、「これはトレードマークみたいなものかな」と言ってはにかんだ。

「いやー新入部員とは嬉しいな! 一年が僕だけでちょっとだけ寂しい想いをしていたから、同級生が入ってくれるとだいぶ気持ちが楽になるよ。僕はB組なんだけど、体育の授業でも見覚えがないからC組かD組だよね?」

「うん、D組だけど……」

「そうか! D組は歴史の原田先生のクラスだったよね。あの人はちょっと知識をひけらかす癖があってあまり好きじゃないな。まあ授業はわかりやすいし、悪い人ではないと思うんだけど」

 息をつく暇もなく矢継ぎ早に発される言葉に圧倒され、何とか相槌や簡単な受け答えをしているだけで精一杯だった。こちらの反応などお構いなしに、一方的に話しかけられている感じで、まるでスカッシュの壁にでもなった気分だった。白坂先輩に「しゃべりすぎ」と止められることがなければ、そのまま一生しゃべり続けていたんじゃないかと思うほどだった。

「悪いね、驚いただろう。彼はとにかくおしゃべりなものでね」

 白坂先輩も少し呆れた様子で、苦笑いしながら言った。

「一応部員はここにいる四人で全員かな。存続も危うい弱小部だから、君みたいな有望な一年生が入ってくれてありがたい限りだよ」

 具体的な活動内容や雰囲気次第では、入部を取りやめようと思っていたのだが、想像以上に僕の存在を当てにされているようだった。いざというときのために、上手い言い訳を考えておかなければいけないかもしれない。

「改めて我が文演部へようこそ。末永くよろしく頼むよ」

 まるで彼女はそんな僕の心の内を読んだように、しっかりと目を合わせて優しく微笑む。整った顔に浮かぶ妖艶な表情に惹かれている自分に気付き、僕はきっともう逃げられないのだということを悟った。

「活動内容については、あれこれ説明するよりも実際に体験してみるのが早いだろうから、早速始めようか。今日は君にぴったりのシナリオを用意してきたんだ」

 彼女はそう言って何やら封筒を取り出すと、僕たちそれぞれに渡していく。部長は本当に受験勉強で忙しいらしく、今回は参加しないということで、彼以外の三人がそれを受け取った。

「その中には二つの紙が入っている。一枚はシナリオの梗概と登場人物をまとめたもので、いわば今回のあらすじだね。これは三人とも同じもの。そしてもう一枚は、これから各自に演じてもらう役の人物設定が書いてある。人物像や性格、物語における立場とその目的。場合によっては、その人物だけしか知らない情報が書いてあることもある。まずは他の人に見えないように、自分だけで中身を確認してみて」

 僕は机の下で封筒を開き、中に入っている紙を取り出して、二つ折りにされているそれをそっと開いた。


【梗概】

 とある学校で男子生徒が飛び降り自殺を図った。そして、彼の死は周囲の生徒たちに大きな動揺を生む。

 彼には自ら命を絶つような理由が見つからなかった。性格は明るく社交的で、学校での友人関係も良好、もちろんいじめなどは受けていない。家族は不和もなく、金銭的にもある程度の余裕があり、どちらかと言えば仲も良い一般家庭。部活は美術部に所属し、プロ並みとは言わないまでも、小さなコンクールで入選するような実力も持っていた。

 一見すると、順風満帆な学生生活を送っていた彼が何故突然死んでしまったのか。その理由を巡り、様々な想いが交錯する。


【登場人物】

・佐野勇人(白坂奈衣)……学校の屋上から飛び降り自殺を図り、命を落とす。

・杉村守 (桜川和希)……佐野の幼馴染。彼が自ら命を絶つはずがないと、彼の死に疑問を抱く。

・宮野順平(西村景) ……美術部員。佐野、杉村とは同級生。佐野のことが少し苦手。

・村木亮介(友利成弥)……美術部員。佐野、宮野の先輩。佐野の死の真相を解き明かそうと する。


【人物設定】

役名:宮野順平

 二年生。美術部員。佐野が窓から飛び降りる姿を見てしまう。

 性格は内向的で自虐的。基本的に自分に自信がないが、他人を見下す癖がある。佐野とは同じ部活のメンバーとして、表面的には仲良くしていたものの、本心では彼のことが苦手。

 絵はそこまで得意ではないが、他にやりたいこともなく、高校でも何となく美術部に入部した。自分の才能のなさを諦めている反面、他者の才能への嫉妬を抑えきれないことがある。

 佐野が過去に盗作疑惑のある作品で賞を受賞したことを知っている。彼の死ぬ数日前、偶然先輩のスケッチブックを物色している彼に出くわし、「また盗むのか」と疑問を投げかける。そんな盗作癖が彼を死に追いやった要因の一つかもしれないと思いつつも、特に誰に言うでもなく胸の内に秘めている。


「読み終わったみたいだね」

 僕が顔を上げると、他の二人はすでに紙を封筒に戻して僕が読み終えるのを待っていた。

「これで下準備は完了。ここからは各自その役の人間として行動して、物語を紡いでいってもらう」

 ここでようやくこの文演部の活動におけるルールが説明された。

 文演部で行われるゲーム(白坂先輩の言うには創作活動)は、『本作り』と呼ばれているらしい。先ほど配られたような物語のあらすじと登場人物、そして各役柄の設定を使って、それぞれがその役を演じることによって一つの物語を作っていくというものだ。

 小説のように物語が決まっているわけでも、演劇のようにセリフが決まっているわけでもない。彼女が言っていたように「マーダーミステリ」が一番形式として近いが、あれほど明確な謎や仕掛けが用意されているわけでもない。

 この『本作り』において重視されるのは、登場人物たちの思考や感情の部分だ。例えば今回のシナリオであれば、佐野という生徒の死という事件が起きたことで、それぞれがどのようなことを考え、想い、行動するかを描き出すことが目的となる。

その中で僕たち参加者は大きく三つの行動が許されていた。

 一つ目は、参加者同士で会話をすること。この場合はその会話の相手と状況を設定し、それに合わせて会話を行う。もちろん、その会話に参加していない人物は、会話の内容を聞くことができない。

 二つ目は、起案者に質問をすること。これはその人物が知りうる情報だと判断された場合のみ、回答が開示される。

 三つ目は、何かイベントを起こすこと。例えば、誰かに何かを頼んだり、誰かの後をつけたり、誰かを殺したり。これも状況を設定し、物語上辻褄の合っていて、現実的にも可能なことであれば、起案者の承諾の上実施することができる。

 参加者はこの三つを複合的に繰り返しながら、自分に与えられた役になりきり、その人物として発言や行動を行う。そしてそれらが交錯していくことで、そこに物語が生まれる。その自然発生的に発現した物語こそが、この文演部で求められているものだった。

「基本的にすべて「自分がこの登場人物だったらどう行動するか」ということを考えて動いてもらう。設定資料に書かれた自分の思考や性格、あるいは持っている秘密を他の参加者に明かすことは問題ないけど、それはすべて必然的でなくてはいけない。一応、物語上の謎や仕掛けは用意してあるから、物語の進行によっては追加の情報やイベントが発生する場合もある。その辺りは起案者である私が状況を見ながら進めていくから、君たちはメタ的なことは全く気にせず、とにかく登場人物の人間性をトレースして欲しい」

 文芸と演劇を混ぜた感じといったが、言い得て妙だと思った。自分で演じて、その人物を描いていく。それはある意味究極の創作と言えるのかもしれない。

「それじゃあ、始めようか」

 そう言って、白坂先輩は突然立ち上がる。そして、何やらポケットからハサミを取り出すと、流れるような手つきで、思い切りよく自分の髪の毛をバッサリと切り始めた。

「何をして……」

 僕が呆気に取られているうちに、彼女はあっという間に切り終えてしまう。腰ほどまであった彼女の長い髪はすっかり全部床に落ちて、真っ黒い絨毯ように周囲を取り囲んでいた。ベリーショートの爽やかな少年のような髪型に変わっていた。

「何って、始めるのさ。これが今回のシナリオのオープニングだからね」

 制服の肩に散らばった髪の毛を軽く払うと、今度はすたすたと窓の方へと歩いていく。

 そして、窓枠にゆっくりと手をかけると、


 彼女はそのまま後ろに倒れ、窓の外へと落ちていった。


「嘘でしょ……」

 突然の出来事に驚いて一瞬身体が固まった。しかし、すぐに彼女を助けなければという意識が働き、窓から彼女の落ちていった方を見下ろす。

 この部室は三階部分に位置しているので、少なくとも地面まで優に五メートルはある。実際に高さを目の当たりにすると、綺麗に飛び降りても怪我をしそうな距離だった。ましてや、先ほどの彼女のように背中から落ちたとなれば、無傷というわけにはいかないだろう。

 上から地面に仰向けになって倒れた彼女の姿を確認する。ちょうど髪の毛で隠れて顔は見えなかったが、ぴくりとも動かず意識のない様子だった。

 とにかく部室を飛び出して、彼女が落ちていった建物の裏手側に向かう。しかし、部室棟の周りは柵と植木で覆われていて、裏に回るのには本校舎の横を通ってかなり大回りしなければならなかった。僕はその道のりにもどかしさを感じながら必死で走る。

 ずっと浮世離れした雰囲気でよくわからない人だと思っていたが、いよいよ本当に何がしたいのかわからなかった。僕にトラウマでも植え付けようとしているのだろうか。

「大丈夫ですか!?」

 倒れている彼女を見つけ、慌てて駆け寄った。まずは意識があるかを確認しようと彼女の顔を覗き込む。すると彼女はゆっくりと目を開けて、くすくすと笑い始めた。

「驚いた?」

 制服についた土を払いながら、彼女は何事もなかったかのように立ち上がる。

「えっ……?」

「ほら、あの窓についているひさしを上手く使えば、ああやって背中から落ちても割と楽に降りれるんだよ。何度か実験もして、安全確認済。まあ多少慣れが必要だから、真似はしないでもらいたいけど」

 ただ僕を驚かせるためのショーだったということらしい。よく考えてみれば、他の二人の部員たちは全く焦っておらず、今もここにやってきていない。きっとこういうことには慣れているのだろう。

「ちなみに切った髪もカツラだよ」

そう言ってすっかり短くなった髪を頭から剥がすと、元通りの艶のある黒髪ロングが露わになった。

「意外に素直なんだね。もっと冷めた感じかと思ってたけど、こんなに必死で助けに来てくれるなんて」

 いざ何事もなかったということがわかると、慌てふためいていた自分が恥ずかしくなる。厭世的な雰囲気を気取りながら、どこまでも普通の、しょうもない人間だということを改めて実感させられる。

「それにしても、どうしてこんなことを……」

「どうしてって、君はもうシナリオを忘れてしまったのかい?」

 握った拳の中でくしゃくしゃになった紙を指さされ、僕はもう一度それを開く。

「……飛び降りる姿を見てしまう」

 僕は自分の設定に書かれた一文を口に出して読む。

「君はさっきどう思った? もしかしたら死んだかもしれないと思って慌てた? あるいは、何を馬鹿なことをしてるんだと憤った? ぜひその感覚を忘れないまま、このシナリオに臨んでくれたら嬉しい。そうしたら、私も身体を張った甲斐があるというものだよ」

 つまり、実際に僕の目の前で飛び降りてみることで、シナリオにリアリティを出し、より実感を持った状態で『本作り』に臨むための演技だった。それにしては度が過ぎている気がしたが、きっとこれこそが文演部の活動なのだろう。

「では、ここから先は君の物語だ。期待してるよ、宮野順平くん」

 そう言って、彼女は優しく笑って手を差し出した。

 どうやらとんでもない部活に入ってしまったらしいことに、ここでようやく気付かされたのだった。

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