怪物録
緑窓六角祭
壁人間
壁人間は壁の中に住んでいる。
そんなところに十分なスペースなんてないじゃないかと思われるかもしれない。
確かにその通りだ。空間そのものがない場合もあれば、あっても人間が生活するだけの空間を確保できるとは思えない。
彼は人間と呼ばれているが人間とは異なる存在だ。偶然に遭遇した者がそれに人間的な形を見いだしたから便宜的に壁人間と呼ばれているにすぎない。
それは基本的に無害な存在だ。壁の中にいてじっとこちらを見ているだけだ。
どうしてそんなことをしているのかはわからない。人間に興味を持っているのかもしれないし、持っていないのかもしれない。
観察に徹している。干渉してくることはありえない。
故にほとんどの人はそれがすぐ傍にいることに気づかない。ただし気づいていても気づいていなくても大した違いがあるわけではない。
すべての壁は連続している。
壁のあるところに壁人間は必ず現れる。壁のないところに現れることは決してできない。
あるいは壁人間こそが壁を壁たらしめる要素なのかもしれない。
私たちが空間を区切って視線を遮ろうとする限り、壁人間はそこに存在するし、何も言わずに静かにこちらを眺めている。
意識したところでその存在を検知できるのか、それは人によるとしか言えない。
壁人間には濃淡がある。限界ぎりぎりまで薄まって世界中に遍在していることもあれば、ごくごく狭い範囲内に集中していることもある。
濃密な塊を形成している状態ならその存在を捕らえることもできるかもしれない。
理論上は正しい。けれども彼は世界的存在だ。
きわめて広範囲に探索をかけなければ観測することができない。ポイントを絞って装置を仕掛けておこうか。いつになるかはわからないがきっと引っかかってくれると思う。
ずっとずっと昔、壁人間は存在していなかった。壁がなかったのだから当たり前だ。
壁ができた時、壁人間が生まれた。おそらくその順番は覆らないだろう。
いや本当にそうか? だれか壁人間の存在を感知した人間がいて、そいつは壁人間を封じ込めるために壁というものを立ち上げたのではないか?
壁が先か、壁人間が先か。
この問題を解決するには考古学的な手法では足りない。タイムマシンが必要になってくる。
警告! こちらから壁人間に干渉しようとするのは危険である可能性がある。
有史以来、存在してきた彼は長い長い長い間、人間から放置されてきた。人間側からの観測表明をどう受けとるかわからない。攻撃とみなされる恐れがある。
壁人間にとって観察がどういう行為なのか、私たちには理解できていない。彼にとってそれは攻撃のための前準備なのかもしれないし、観察自体が攻撃的行為なのかもしれない。
現在まで壁人間によって殺害されたと確認できた人数は非常に少ない。世界中で年に1人いるかいないかといった程度だ。
むやみに手を出すべき相手ではない。
壁人間による殺害にははっきりとした特徴がある。
死体の一部が壁にめり込んでいるのだ。融合しているというような言い方をしてもいい。
指先が1cmほど埋まっているのがほとんどだ。非常に珍しいケースでは頭が半分ほど壁の中に入っていることがあった。
力をこめてやればあっさりと抜ける。抜いた後の壁には綺麗にその痕が残っている。どういった力によるものなのかわからないがその部分は消失している。ただしそれ以上の破壊はない。
きちんと公式に記録された事例は30程度だ。
そこからなんらかの法則を見いだすことはできていない。壁人間が観察及び攻撃の対象とするものに共通する特徴は今のところない。
男女比はおおよそ半々、現時点では男性が少しだけ多いがそれが逆になっている時期もある。
年齢について高齢者が比較的多い。これは室内にとどまっている時間が関係しているのかもしれない。
地域別では北側に偏っている。近年では南側での発生件数が増加の傾向にあるが。
壁人間のことを常に考えつづけるのは無駄だと思う。
確かにそれによって死がもたらされる可能性は存在する。けれどもそれより他に注意を払っておいた方がいいものはたくさんある。
人間はどんな理由でも死ぬ。その死ぬ理由を確率が高い方から並べていった時、どう考えても壁人間による殺害は上位に入ってこない。上半分にも入らない。最後の4分の1の常連だ。
そんなのものの対策を立てる暇があったらもっと別なことに気をつけろ。
退治するのは簡単です。すべての壁を破壊してしまえばいい。
そうすれば壁人間には居場所がなくなる。そのまま消滅してしまいます。
その後、また壁を作ったらどうなるのでしょうか?
新しい壁人間が生まれてきます。連続的ではありませんが彼は以前の壁人間と同じ存在かもしれません。それは同じというものの定義によって変わります。
最終局面において人類が壁人間に敗北することはありえないのです。
ふうむ、そうか、僕はいったい何なんだろうね。壁、壁の中で生まれて、そしていつか死んでしまう。身動きはとれない。いやある意味とても自由な存在だよ。君たちより余程ね。窮屈だと思ったことはない。満足している。なんだろうね、理解されることは望んでいないよ。僕も君たちのことを理解しようとは思っていないしね。もちろんこれは君たちによって作られた道具だ。僕というものを表現できているとは思わない方がいい。
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