渡り鳥、起きろ!

これ

渡り鳥、起きろ!



〝サヤは剣を抜いた。張り詰めた空気が流れる。瞬きも許さないほどの緊張状態の中、相手が間合いを詰めて、剣を振り下ろす。とっさにサヤがガードしても、重力も味方して相手の力の方が強い。しかし、サヤは剣を滑らせて相手の力をいなすと、小さな振りで相手に一太刀を浴びせる。相手が反応できないほどの素早い一撃は、威力には乏しかったが、鎧に確実に傷をつけた。笑みを浮かべる相手。サヤもかすかに口元を持ち上げる。剣を構えて両者は再び向き直る。呼吸を整えたサヤは、相手に向かって一歩を踏み出した――〟


 機械が印刷した無機質な文字に、私は目を奪われる。書かれていることが鮮明にイメージできて、手に汗握る。昼休みの騒がしい教室も全然気にならない。


 ただ一人の視線を浴びながらページを捲る。視線の主はコミカ。私のクラスメイトで、この小説を書いた張本人だ。


「どう? トウコ。面白い?」


 私が最終ページを読み終わったのを確認して、コミカは訊いてくる。そんなの私の表情を見れば分かるだろう。この興奮を隠しきれていない表情を。


「うん、めっちゃ面白かった! バトルシーンも緊張感あったし、まさかヨウが裏切り者だとは思わなかったから、これからどうなるんだろうって。すごくハラハラした! 早く続きが読みたい!」


「ありがと。私も今回は書いてて手ごたえがあったからね。気に入ってもらえてよかったよ。で、トウコはどうなの? 今回もまた短編書いてきてるんだよね?」


 返す刀でコミカに訊かれて、私は乾いた笑いを漏らす。


 私たちは週に一度、お互いに書いた小説を見せあっていた。でも、コミカのハイクオリティの学園バトルファンタジーを読んだ後だとハードルが上がって、私が書いた陳腐な虫けら同然の短編は、出しづらいどころの話じゃない。


「ごめん、書けなかった」とごまかすことも考えたが、待ち遠しそうな目をしているコミカを見るとそれはできなかった。どうせ私とコミカしか読まないのだ。


 私は「ま、まあ一応ね」と、スクールバッグの中からクリアファイルを取り出す。渡しながら「あんま面白くないから期待しないでね」と口走る私は、毎度おなじみの光景だった。


 コミカがクリアファイルから私の書いた短編を取り出して読み始める。朝起きたら百年前にタイムスリップしていたという、設定だけなら面白そうな話。でも、私の腐ったアイデアと稚拙な文章力によって、クソほどつまらない話になっている短編。


 ただの文字の集合体にすぎないそれを、コミカは顔をしかめることなく読んでくれる。


「なるほどねぇ。こういう話かぁ」


 読み終えて呟くようにコミカが言ったから、私は慄いてしまう。もっとコミカが好きな話にするべきだった。


「……つまんなかった?」


「なんで第一声がそれなの。そんな遜られると、こっちが気遣っちゃうじゃん」


「……ごめん。不安で……」


「別にそんな不安になる必要ないと思うけどな。私は好きだよ、この話。いい具合に突拍子もなくて、一気に読めた」


「本当に……? 正直にディスってくれてもいいんだよ……?」


「ディスらないよ。トウコが一生懸命書いたもんだから。ディスれるわけないじゃん」


 コミカはいつもこうだ。私が何か書くたびに、私を肯定してくれて、その度に私は泣きたくなるほど嬉しくなる。まあその出かかった涙は、「まあ他の人はどうか分からないけどね」という、いつもの言葉で引っ込むんだけど。


 私はコミカ以外に、自分の小説を読んでもらいたいとは思わない。それはたぶん「つまんね」と鼻で笑われるのが怖いからだけれど、どれだけ下手でも小説を書いている限りは、コミカと繋がれる安心感も大きかった。


 お互いの小説を読み終わって、私たちは昼休みが終わるまで他愛もない話を続ける。コミカは最近海外のSF作家の小説を読んでいるらしい。概要を聞いても私にはいまいちピンとこなかったけれど、それでもコミカと話しているだけで、つまらなくて退屈な午後の授業も何とか乗り切れそうな気がしていた。






 コミカと小説を見せあってから三日が経った。


 夜も深まり、日付ももう変わろうかという頃、私は自分の部屋でパソコンとにらめっこをしていた。


 でも、今日もまた一文字も書けていない。というか、この三日間新作は少しも進んでいない。アイデアすら浮かんでいない。


 一応毎日パソコンに向かってはいるのだが、私は天才じゃないから都合よくアイデアは降ってこないのだ。


 一五分くらい経って、週末観に行こうかなと思っているアメコミ映画のことを考える。そう考えている自分に気づいて、「今日はもう無理だな」と思う。


 私はパソコンを閉じて、ベッドに横になった。無意識のうちにツイッターを見てしまう。どうでもいいツイートを見ながら、「今頃コミカは小説の続きを書いてるんだろうな」と、思いを馳せる。


 でも、そんな想像は新着のツイートに壊された。


〝よしねこ@girofgbrew

フィアシン楽しすぎ!

昨日メインストーリーはクリアしたけれど、まだ取ってないアイテムとか、行ってない場所だらけで永遠に遊べそう! 今日も帰ってきてからこの時間になるまでずっとやってた!

いや、もはや廃人じゃん笑

もうちょっと真人間になれるように明日こそがんばりまーす〟


 コミカのツイートは本当に気楽で、人生を楽しんでいる人間のそれだった。こう言いながらも、コミカは昨日も同じようなツイートを投稿している。きっと明日もほとんど変わらない呟きをするのだろう。


 「フィアシン」は先月発売された人気ゲームシリーズの最新作の略称だ。発売日にはトレンド一位を獲得し、今も「フィアシン」で検索すればAPI制限にかかりそうなほど、多くのツイートを目にできる。


 テレビゲームにはあまり興味がない私も、コミカが楽しんでいる様子を想像すると微笑ましくなった。


「ずっとゲームをやっていた」その言葉を信じれば、コミカは今日小説を書いていない。じゃあ、私も書かなくていいか。私は変に納得して、電気を消して目を瞑った。


 スマホの光が目の奥に残っていて、眠るのにはなかなか時間がかかった。






「なるほどねぇ。今回はポスアポで来たか」


 昨日の夜中、二時までかかってようやく書きあげた短編を読んで、コミカは納得したように言う。初めて書いたジャンルでいつも以上に自信がなかったけれど、余裕のある表情から「クソつまんねえ」とは思われていなさそうで、私はひとまず安堵した。


「どうだった……? 面白かった……?」


「うん。これ、明言はしてないけど核戦争後だよね? 暗くよどんだ世界で、それでも希望を探し求めるキャラたちの感情がよく書けてると思うよ。トウコ、着実にうまくなってんじゃん」


「ありがと。めちゃくちゃ暗い話だったから、コミカに気に入ってもらえるか心配だったんだ」


「全然。私暗い話もけっこう好きだよ。映画とかになっちゃうけど、『ミスト』とか『ダンサー・イン・ザ・ダーク』とか。そういう暗い話からしか得られない栄養ってあるよね」


 そう言って、コミカはブレザーの袖をひらひらと遊ばせた。


 私はコミカしか友達がいないけれど、コミカは私以外にも友達がいる。それにコミカの書く話はキャラクターがみんな前向きで、必死に自分の目的を果たそうとしているから、私はコミカが「暗い話も好き」と言ったことを、とても意外に思った。


「そうだね」と私を見るコミカの目は細められていて、もっと血みどろの凄惨な話を書いても受け入れてくれそうだった。


「ところでさコミカ、『バトルクライを叫ばせて』の続きは? 今日こそ書いてきた?」


 話の流れで私がそう尋ねると、コミカは途端に気まずそうな顔をした。先週も先々週も見た表情に、私はコミカの返事を察してしまう。


「ごめん! まだ書けてない! 最近スランプでさ、展開も思いつかないし、全然筆が進まないんだよね」


「えー、まだスランプ終わってないの? 長くない?」


「だから、トウコには本当悪いと思ってるよ。私も早くスランプから抜け出したいなと思ってる。でも、こればかりは自分の意志でどうこうできる問題じゃないから……」


「それはそうだけど……。まあ私はいつまでも待てるけどね。コミカがまた書けるようになるまで、ゆっくり待つよ」


「ありがと。私も来週には続きをトウコに読んでもらえるようがんばるから。できる限りのことはするよ」


 真剣な目をコミカは向けてくる。でも、残念だけど今の私はコミカを、九〇パーセントしか信じることができない。来週は、来週こそはと言い続けてからもう一ヶ月が経つのだ。もちろん期待はしているけど、一〇パーセントはまた裏切られてしまうんじゃないかと思ってしまう。


 でも、私はその一〇パーセントを表には出さずに、「うん、楽しみにしてる」とだけ答えた。コミカだって私が続きを待ち焦がれていることぐらい分かっているだろう。


 頷いてかすかに頬を緩めたコミカを、私は信じたいと思った。






 しかし、コミカの小説の続きが読みたいという私の思いは、その翌週も翌々週も裏切られた。私はもがき苦しみながらなんとか毎週短編を書きあげているのに、コミカは「スランプで」とか「続きが思いつかなくて」という言葉で、お茶を濁し続けていた。


 私だってめちゃくちゃ軽いけど生みの苦しみみたいなものは分かっているつもりだから、コミカの言うことを信じたい気持ちはある。だけれど、コミカはもう小説を書くのに飽きたんじゃないか、続きを書く気はもうないんじゃないかとも思ってしまう。


 もちろん口には出さないけれど、毎週のようにごまかしはぐらかすコミカへの信頼度は、私の中で少しずつ下がっていた。


 暖房がついた部屋の中で、私は椅子に座ったまま身体を伸ばす。


 日曜日の夜七時。私はどうにか今週の短編を完成させていた。夕食の前に終えられたことに安堵の息が漏れる。別に面白いわけではないし、ちっとも成長してないなと思うけれど、それでも何も書かないよりはマシだろう。


 私は開放感のまま、スマートフォンに手を伸ばした。だらだらとツイッターを眺める。仕事や学校に行きたくない人たちの小さな叫びに、軽く笑って共感する。


 そんななか、タイムラインに表示された一件のツイートに私は目を留めた。


〝よしねこ@girofgbrew

畠山愼二監督『生きててくれてありがとう』鑑賞。何回も擦られてクリシェと化した難病ものを今描く意味が最後まで観ても分からなかった。何の野心も批評性も感じられず単純なお涙頂戴に終始するだけ。健康体の友達に「その気持ち分かるよ」と言われ簡単に涙する主人公にドン引き。2点〟


 コミカがこき下ろしていたのは、私も少し興味がある映画だった。でも、ここまで辛辣に言われると観なくてもいいかと思ってしまう。


 もちろん私とコミカの感性は違う。コミカにはハマらなくても、私にはハマるかもしれないのに。


「……どの口が言ってんだよ」


 秘めていた思いが、自分しかいない空間で言葉になった。映画を観てディスってる暇があるなら、自分の小説を書けよ。私はそう思わずにはいられない。


 当然観たからには空気を読んで褒めろなんて決まりはないし、批判もあってしかるべきだ。


 でも、それはコミカが言えたことではないだろう。畠山監督をはじめとした作り手は、映画を完成させたのだ。たとえどんなにつまらない駄作だとしても、自作をほったらかしているコミカとは雲泥の差がある。比べるのもおこがましいくらいだ。


 一七歳のガキが評論めいたことをしているのは滑稽だけれど、コミカは執筆を投げ出しているから余計に説得力を感じない。負け犬の遠吠えにすらなっていなかった。


 でも、私は面倒ごとが嫌だから指摘せずに、ただ「いいね!」をつける。通知を見て、コミカは表情を緩ませることだろう。


 一階からお母さんの「ご飯できたよー」という声が聞こえて、私は椅子から立ち上がった。






 私だけが小説を書き、コミカは一向に続きを書こうとしないまま、一二月になった。教室には毎日暖房が入るようになり、ブレザーを脱いでいる学生は一人もいない。


 少しずつ今年が終わっていくなかでも、私はまだこの一年をまとめる気にはなれなかった。全てはコミカが小説を書いてくれないから。そう自分勝手に思っていた。


 その日も昼休みになって、コミカが私の机までやってくる。私たちはお互いに親が作ってくれたお弁当を食べながら、少し雑談をした。コミカは相も変わらずゲームや映画の話ばかりしていて、小説には一言も触れようとしなかった。話を合わせながら、私はコミカが今日も何も書いてきていないことを察してしまう。


 私が小説について触れる隙を作らないかのように話し続けるコミカは、二学期の初めからはすっかり変わってしまっていた。


「じゃあ、今週もお互いに書いたものを見せ合おっか」


 お弁当を食べ終わると、私はコミカが何か話し出す前に思い切って口にした。コミカはバツが悪そうな笑顔を浮かべていて、また私の期待は裏切られてしまうのだなと悟る。信頼度はもう六〇パーセントを切っていた。


「うん。じゃあトウコが書いたの読ませて。今回はどんな話を書いてきたの?」


「ねぇ、その前にさ、コミカが書いてきたものを読ませて。続きを書いてきたってところを見せて。そうしないと私は、コミカに私の書いたものを見せられない」


「えっ、どうしたの急に? いつもトウコのから先にってなってんじゃん」


「それはここ最近の話でしょ。コミカが何も書いてこないから、必然的にそうなってるだけじゃん」


 さすがに申し開きができなくなったのだろう。コミカは口をつぐんでしまった。


 申し訳なさそうな表情をしているコミカに、これ以上言葉を浴びせかけるのは気が引ける。でもここで躊躇していたら、たぶんコミカは来週も続きを書いてこない。


 私は勇気を振り絞って、言葉を続けた。


「ねぇ、コミカ。最後に私が『バトルクライを叫ばせて』を読んでから、もう三ヶ月になるんだよ。めっちゃ気になるところで終わったから、いい加減続き読みたいよ」


 言葉を浴びるたびに、コミカはうなだれていく。見ていたいコミカの姿からどんどん離れていく。


 でも、私は話すのをやめなかった。なるべく優しい声色でコミカに呼びかける。


「コミカ。続き、まだ書けてないんだよね……?」


 私の確認に、コミカは小さく頷いた。認められたことに、私は絶望的な思いを抱く。


 私だけががんばって小説を書いていて、バカみたいだ。とても滑稽だ。


「でも、しょうがないでしょ。展開が思いつかないんだから。私だって書かなきゃなとは思ってるよ。でも、キャラが全然動いてくれないんだよ」


 絞り出すように言っていたから、コミカは本当にスランプに陥っていたのだと私には分かる。


 だけれど、それを知っても、私が抱いている反感は収まらなかった。心の濾過装置が働かず、思ったことがそのまま口から出る。


「えっ、なにキャラのせいにしてんの? キャラが動いてくれないんなら、自分から動かしなよ。それが作者ってもんでしょ」


「うん、分かってるよ。分かってるんだけど、パソコンに向かってみても一文字も書けなくて。自分がどうやって今まで小説を書けてたのか、今はまったく分かんないんだよ」


「ねぇ、コミカ。パソコンには一日どれくらい向かってる? まさか一時間とかじゃないよね……?」


「いや、でもそろそろ期末テストも近づいてきてるし、ていうか私たち来年には受験生になっちゃうじゃん。勉強はしなきゃでしょ」


「でも、ゲームやったり映画観たり、ツイッターをする時間はあるんだ」


「それはほら、息抜きも必要じゃん……」。その語尾は消え入るようだった。


 私だってこれ以上コミカを責めたくない。でも、その気持ちは言葉を収めることには、何ら役には立たなかった。


「息抜きっていうのは勉強に関して? それとも小説に関して? もし後者だとしたら、コミカは息が詰まるような思いで小説を書いてたの?」


「いや、そういうわけじゃないけど……」


「いいよ、ごまかさなくて。実際、私は小説書くの苦しいし。思うように言葉やセリフが浮かばず、せっかくひねり出した言葉も、読み返せば何だこれって思うことの連続。息をするようにすいすい書くことは私にはできない。毎回新鮮に苦しんでるよ」


「でも」私は語気を強めた。「書く」という選択肢を半ば放棄しているコミカにも届くように。


「私は書いていたいんだよ。もう好きとか嫌いとかそういう次元じゃない。何かを書いている間は、こんな私にも価値があるように思えるから。他の書かない奴らとは違うんだって思えるから。私はその感覚に縋っていたい。書くことで自分を自分だと認識したいの」


 私の言葉にコミカは眉一つ動かさなかった。耳に響いてはいるけれど、心にまでは届いていないのだろう。


 私はコミカが小説を書く理由を知らない。でも、去年からずっと書き続けていたから、そんなに浅い理由じゃないと思いたかった。


 どうしたらコミカに再び小説を書いてもらえるだろう。


 考えた末に私の口からは「ねぇ、コミカ。本当のこと言っていい?」という言葉がこぼれ落ちる。コミカの目は「今まで言っていたことは本当じゃなかったのか」とでも言いたげだったけれど、私は構わなかった。


「本当は私、今のコミカのことちょっと、本当にちょっとだけだけど軽蔑してる。だって今のコミカは、他の大勢の奴らと同じ『書かない』人間に成り下がっちゃってるから。『書けない』んじゃない。コミカは本当は『書かない』、いや『書こうとしてない』んだよ」


「いや、だから書こうとはしてるんだって。パソコンにだって向かってる。でも、何も思いつかないんだからしょうがないでしょ」


「しょうがなくなんてない。思いつかないんだったら、思いつくまでパソコンに向かい続ければいい。たとえそれが二時間でも三時間でも。ねぇ、今のコミカに一番欠けてるもの教えてあげよっか?」


「……何?」


「時間でもアイデアでもインプットでもない。コミカに今一番欠けてるのは、責任感なんだよ。たった一人でも私という読者がいる限りは、期待に応えて完結させなきゃなんないの。キャラだって、完結させることなくほっとかれたら可哀想だよ。はっきり言うけどね、連載中や進行中の小説に価値が生まれるのはプロだけなんだよ。私たちみたいなアマチュアは、完結させない限りは、一文字書いても百万文字書いても同じなの。途中でほっぽり出すなんて、最初から何も書いてないのと同じ。だったら、変に期待を持たせずに最初から書くなよとさえ思う。そのくらいのこともコミカは分からない?」


「何それ。もしかして私を否定しようとしてるの?」


「もしかしなくても否定しようとしてるよ。『書こうとしない』コミカを、私は否定したい思いでいっぱいだよ。ていうかさコミカ、私にこんだけ言われて悔しくないの? 毎週四千字の短編を書くのでいっぱいいっぱい。しかも何一つ面白いものは書けない私に偉そうに言われて、悔しいとは思わないの?」


「悔しいかどうかは分かんないけど、少なくともちょっとイライラはしてる。なんでトウコにここまで言われなきゃなんないんだって感じはある」


「いや、それが悔しがってるってことだよ。ていうか私は悔しいよ。コミカがあの小説にかけてきた時間や労力が、完結させない限りは報われない。なかったのと同じになっちゃう。私はそれが悔しくてたまらないよ。小説を書く大変さが、ほんの少しでも分かってるつもりだから余計に」


 語気を強める私にも教室は、他の学生は知らんぷりをしていた。私たちの言葉は、私たちにしか聞こえていなかった。


 コミカは眉をひそめていて、もはや苛立ちを隠そうとはしていない。でも、それは私の声が心に届いている証拠だ。


 私はわずかに表情を緩める。私の言葉を聞いてくれていることが分かった今、厳しい態度を取る必要はあまり感じなかった。


「ねぇ、コミカ。小説書こ? 『バトルクライを叫ばせて』の続き書こうよ。どんなに辛くても苦しくても、私はコミカに書いてほしい。コミカが『書ける』人間だってこと、私は分かってるつもりだから」


 私はコミカを励ますために、優しい口調を心がけた。コミカに少しでも自信を持ってほしかった。


 それなのにコミカは未だに煮え切らないままでいる。「私、本当に書けるのかな……」という声は、紛れもなく不安の表れだった。


「うん。こんなこと言うのは無責任だって分かってるけど、それでも私は、コミカは大丈夫だよって言いたい。困ったときは、自分の書いたものを読み返してみればいい。きっとキャラが進むべき道を示してくれるから」


 コミカは首を縦には振らなかった。大丈夫か大丈夫じゃないかは、コミカにしか分からないから当然だ。


 でも、私は今すぐコミカが返事をしてくれなくてもよかった。来週、二学期最後の週に『バトルクライを叫ばせて』の続きが読めればそれでいい。


 あいまいな態度を続けているコミカに私は「さてと」と言い、スクールバッグから一枚のクリアファイルを取り出す。中にしまわれている四千字程度の短編を「まずはさ、これ読んでみてよ」とコミカに渡す。


 コミカは受け取ると、私が書いた短編に目を落とした。死者と生者が話せる不思議な一夜の話。私のなかでは前向きな話をコミカに読ませることで、発破をかけたかった。







 終業式を週末に控えた教室は、迫りくる一年の終わりにどこかソワソワしていた。年が明けたらいよいよ受験が迫ってくるから、その恐れもあったのかもしれない。


 どこか浮き足立った教室のなんてことない昼休みに、私とコミカは机を挟んで昼食を食べていた。炭酸の抜けたサイダーみたいなどうでもいい会話を交わす。


 コミカの表情は晴れやかなようで、どこか雲も垣間見える。一言では言い表せない表情に、私はいい予感と悪い予感の両方を抱いた。


「よし、じゃあコミカ。今日もお互いに書いた小説を見せ合おっか」


 そう私が切り出せたのは、今回書いた小説がわりかし自信作だったからだった。朝の五時に起きたと思ったら夕方の五時だったという一発ネタだが、珍しく楽しんで書けていた。今回はコミカにも胸を張って勧められる。


 でも、私が自作をスクールバッグから取り出そうとした瞬間、コミカが「ごめん」と声をかけてきた。その歯に物が詰まったような言い方に、私はコミカが言おうとしていることを何となく察してしまう。


「どうしたの?」


「ごめん。『バトルクライを叫ばせて』の続き、まだ書けてない」


「……えーと、一応確認だけど書こうとはしたんだよね?」


「うん、書こうとはした。ゲームも封印して何回もパソコンに向かったよ。でも、やっぱり何も思いつかなかった。私って本当才能ないんだなって、思い知らされたよ」


 私は自作を取り出すのをやめた。あれだけ言ってもダメだったことに、軽く絶望する。どれだけ言葉を尽くしても、本人が手を動かさなければ小説は一文字も書けないことを、私は思い知った。


 頭には望ましくない言葉ばかり浮かんでしまう。それでも、口にすることは「でも」とコミカが続けたから、阻まれた。


「私、短編書いてきたんだ。四千字ぐらいしかないけど。だから、代わりと言っちゃなんだけど、今回はそれを読んでもらうことで許してほしい」


 予想だにしなかった展開に、私は驚きと戸惑いを味わう。


 でも、悪い気は全くしなかった。コミカが書いた小説を久しぶりに読める。その事実だけで今の私には十分だった。


「えっ、マジで!? そうならそうと早く言ってよ」


「ごめん。最初に言っていいのかどうか分からなくて」


「いいよ、それ以上謝らなくて。その小説、読ませて」


 コミカは頷くとスクールバッグからクリアファイルを取り出して、私に渡した。私はその中から紙を数枚取り出す。


 整然と並んだ機械の字。でも、それを書いたのは間違いなくコミカだ。


 私は胸を躍らせる。一ページ目から、既に面白くなりそうな予感があった。


「トウコ。今日はこれだけだけど、私いつか絶対『バトルクライを叫ばせて』の続き書くから。今年中は無理だけど何とか捻りだして、またトウコに読んでもらえるようがんばるから」


「うん、分かってるよ。信じて待つ。コミカが『書ける』人だってのは、この小説が何よりの証拠だからね」


 私たちは頷きあう。もちろん全てはコミカのがんばりにかかっているし、私ができることはほとんどない。でも、信じ続けてさえいれば、願望もいつかは本当になる気がした。


 コミカが小さく微笑んだのを確認して、私は小説に目を落とす。


 一文目からしっかりとコミカの文体、世界観で私はコミカがこちら側、『書ける』人の側に戻ってきたことを実感した。



(完)

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