ミナトジュン
カン カンカン
艦長室と書かれた扉をノックする。少しして低い声が聞こえる。
「何の用だ、明日にしてくれ」
少し疲れた返答が帰ってきてしまって、扉の前で途方に暮れてると。
「ミライさーん」
バーカウンターの方からシラハマさんが押し殺した声で呼んできた。自分のヴァイザーを両手で指さしている。
『艦長のその声自動音声!』
そう黒いグラスの右から左に流れていった。了解
「ミライです。カコボシミライです。着任のご挨拶にあがりました」
少しして扉がわずかに開いた。入れということだろう。
艦長室に足を踏み入れると、窓にはテープで毛布が貼られており、暗くどことなく異臭が漂っていて陰気な雰囲気が部屋中にまん延していた。あらゆる場所に弁当の箱が要塞のように積み上がっていた。
「久しぶりだな……」
そのやつれた絞り出すような声を聞き、私は不安にかられながらそちらを向く。
そこにいたのはなんとも残酷に変わり果てた私の大好きだった人だった。すっかり伸び切ってしまった髪に白髪がまとわりつき、その目は隈が酷く、すべてが憎いとそう嘆くような目つきをしていた。彼は変わってしまったのだ。私を導いてくれた世話焼きのおじさんの姿はもう面影もなかった。
痩せ細った手や肩の震え、浅い呼吸、すべて理解した。部隊の彼らが溝を作ったのではない、この人が距離を遠ざけているんだ。
私はもう目のすぐそこまで押し寄せている涙を必死にこらえなんとか言葉を紡ぐ。
「お久しぶりです、ミナトさん」
彼の目の焦点が合わず私と彼の間に不穏なか空気が流れる
「ミライ、よく来てくれたな……、本当に……よく」
その一言一言で彼は息苦しそうになる。私は心配になり彼に言う。
「無理はなさらないでください、まだ厳しいですよね」
「ごめん……ごめんよ……許してくれ、許してくれよ……!」
違うこの言葉は私に言っているのではない、記憶が反芻をしているのだ。そんな状態で任務など決してできるはずがない。あの親父は何を考えているんだ。
「ミナトさん大丈夫ですから。大丈夫です、落ち着いてください」
彼は三年前、実の息子を事故で失っている。まだ幼かった我が子が一人祖母の家に泊まりに行くと言い出し、彼はそれを見送ってしまった。あの子はソーン行きの定期船に乗って冒険を楽しむはずだった。しかしスペースハイウェイで薬物中毒者達の危険運転が原因で凄惨な事故がおきた。乗っていた宇宙船は酷い損傷を受け航行不能に陥ってしまった。そして徐々に船内酸素は次第に減っていき、乗客は全員息絶えた。想像するだけでも恐ろしい。
この話の救いのないところはこの後の事故を起こした薬物中毒者のグループの処遇だ。加害者の一人にサイジョウ領有数の重工企業の社長の息子がいた。御曹司と言えば聞こえはいいが親の威をひけらかす出来の悪いボンボンだ。だが親は自らの保身と信頼の為に被害者遺族に大量の口止め料を払った。それも警察組織が捜査を終わらせるよりも早く。当然警察にも袖の下が渡っただろう。それで加害者は全員無罪放免、被害者も法外な額の金を前に引き下がった。
結局この銀河に金を凌ぐ、価値のあるものなど無いのかもしれない。当時加害者たちは全員二十に満たない、共和国の法律によって守られるのだ。裁判をしたところで彼らは大人になれば普通の人生を送ることだろう。法というのは誰のために存在するのだろうか。
ミナトさんはとても辛そうに床にカーペットに座り込んでいる。お互い何も言葉をかわすことができないまま時間が流れた。
私は悩んでいた、この人の為に出来ることが何なのかを。そして同時に疑問が湧いてきた。彼はどうして復帰したんだ、何の為に、事故の口止め料として貰った金を使って働かずに生活ができるはずなのに……なぜ。
「今、キョウコと離婚の話し合いをしてるんだ……。俺はもう何も……いらないんだがな、本当に何も……」
少し落ち着いたのか彼は口を開いた。ゆっくり顔を上げ、胡座をかく。
「そうなんですね……、キョウコさんは大丈夫ですか?」
「最近はあいつは落ち着いてる。……だから離婚も前向きに考え始めた」
親父から聞いた、事故の後ミナトさんは自分から離婚を切り出したらしい。あの後、お互いに息子を送り出してしまった責任や家族を蔑ろにしていた事を引き合いに顔を合わせれば喧嘩になり彼は限界だった。ただ当時キョウコさんはそれを受け入れようとはしなかった。どれだけ落ちぶれようと、荒もうと、一度愛した人ということには変わりがない。彼女は親父とそう話していた。
吹っ切れたという物なのだろうか、彼女は過去と決別し再び歩みだすのだろうか……。所帯を持ったことのない私には大人の考えは分からない。ただ私はミナトさんが心配だった。このまま道を違えれば、彼はそのまま何処かへ行ってしまう、そんな気がしてならない。でもこれは彼の問題だ、私がどうこう口出ししても意味はない。
「なあ……マサユキはなんて言ってた?」
彼からその事を聞かれ、私はどもついてしまうが、隠すのも悪いので正直に話す。
「ミナトさんと他のクルーの間に入って、仲を取り持てと。そう言われました。父も心配していました」
それを聞くと彼は顔を多いながら告げた。
「不甲斐ないよ……。本当に自分が情けないよ……」
「そんなに気負わないでください。まだ少ししかわかりませんが、ここのクルーはしっかりしています」
私が自分に言い聞かせるように言うと、彼は鼻をすすりながら言葉を綴った。
「本当に……本当にみんなよくやってくれてる……、なのに俺は何もしないで……」
彼は今ネガティブな方向にしか考えられなくなっている。だが私には何もできない。
いやシラハマさんが言っていた事を思い出した。一度話題を変えよう。
「……そうだ、これからは私が食事作ることになったんです。ミナトさんにも食べてほしいです」
「そうか、……たまには彼らにも顔を出さないとな……。楽しみにしているよ」
弱々しい声で彼は答えた。大丈夫だ、きっと大丈夫だ。
「また伺います、心配なことがあったら私を頼ってください。父も喜びます」
そう言い私は立ち上がった。
部屋を出ると逃げるように階段を上がっていく人影が見えた。広間にはもう誰も居らず照明も暗くなっている。誰なのか不思議に思い、私は足早に階段を登った。
上った先の扉を開けるとそこは船のブリッジだった。ドーム状のガラスで覆われており360度全方位を見渡すことができる。軍の艦船と比べると作りは簡素で中央に操縦席シートがありその他のシートは端に沿って並んでいる。自分の兵科のレーダー士席を探し確認しようとしたが、そこにはサツキさんが座っていた。
「今階段上がっていきましたよね?」
私が尋ねると彼は立ち上がり言った。
「し、知らないね」
このブリッジには他に人がいない、何故か誤魔化そうとしている。それにこの人嘘が下手だ、目が泳ぎすぎてバレバレである。
「隠さないでいいじゃないですか、何か後ろめたいことでもあるのです――」
「な無い、無いに決まっている」
彼は高圧的に吐き捨てた。だがなんとなくわかった。
「聞いていたんですね」
彼は観念したように目の動きがピタッと止まった。
「……あぁ」
彼は申し訳無さそうに耳を触りながら認めた。
盗み聞きは感心しないがそれ相応の理由があるのかもしれない。
「どうして――」
「下の会話はここで聴けるんだ。それでムスビとの話が聞こえて……。ひ、引きこもりは健康に悪い、風呂にも入らず、家族とも会話をしなくなる。心配なんだ」
彼は少しどもりながら答えてくれた。
この人も艦長を気にかけていたのだ。不純な動機じゃなくて安心した。
「サツキさん――」
「サツキでいい、さ、さんとかくどい」
「サツキ、ありがとう」
私は心からの礼を彼に伝えた。
彼は腕を椅子に起きため息をこぼした。
「き君は一体艦長の何なんだ。僕たちはあの人を全く知らない、カレンは嫌っている。腫れ物として扱われているんだ」
少し踏み入った聞かれ方をされて戸惑うがなんとか誤魔化そう。
「私とミナト艦長は以前、広報局のラジオ番組に出ていて、私はそこでアシスタントをしていた」
私の急場しのぎの回答にたちまち彼は嫌な顔をした。
風向きの変わるような、そんな気がした。
「……君も今嘘をついた。君は広報局にいた事はない、違うか?」
「……」
サツキは持っているデヴァイスを見ながら語りだした。
「カコボシミライ、惑星メントナ第一警備隊所属、巡視船カミウミの艦長。三ヶ月前、船が当該宙域で活動する宇宙海賊の襲撃にあい応戦するも敵艦諸共沈没。君は十六人いた乗組員の唯一の生き残り。少し調べさせてもらった。ゴシップ記事だがこんな窓際部署に飛ばされる理由としては説明がつく。その若さで艦長をしていたということは広報局でキャリアを作っている暇などない、違うかい?」
サツキはさっきの慌てふためいた態度とは打って変わって饒舌にに私を責め立てる。その目や態度の中に大人になりきれない子供のような人格が見え隠れしていた。この立ち代わりの速さがシラハマさんの言っていた気難しさか。
正直覚悟はできていた、自分の上辺だけの親切さや真摯さで人を懐柔することは出来ないと知っているから。だが実際にこうやって痛いところを指摘されると心の中央より少し隣が刺すように痛くなる。
「……」
私は今どんな表情をしているのだろう、自分でも分からない。今はただ、あの時の事を思い出して苦しい。
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