エルちゃんのぬいぐるみ4

 翌朝。

「あの幽霊はあきらかにエルさんを狙ってる。となると、彼女となにか関わりがあると考えるべきでしょうね」

 わたしは万智に、これまで見聞きしたことをぜんぶ伝えた。トイレで。

 話し合いをする場所としてはサイアクだけど、まあ、やむなしだ。

「可能性はいくつかあるわ。たとえば、エルちゃんが何かやらかした。この前のしおんみたいに、心霊スポットに突撃したとかね」

「そんなタイプには見えないけど。御子柴さんが、『エルちゃんは怖がり』って言ってたし」

「怖がりでも、友だちの付き合いで出かけた可能性はあるでしょ」

「でも、それなら言ってくれるんじゃないかな」

「うーん、それはそうね」

 長い足をきゅうくつそうにかがめて、万智がふわふわと浮遊する。

「しおんたちが眠ったあと、家のなかを調べてみたの。そのとき、なにかが頭のスミに引っかかったのだけど……なんだったかしら……」

 コンコン、とノックの音。

「四ノ宮さん、大丈夫? ご体調が悪いなら、お家に電話しましょうか?」

 早希さんだ! しまった。ちょっとこもり過ぎてしまったみたい。うう、これは恥ずかしい……。

「だ、大丈夫です。すぐ出ます」

 慌てて出ると、早希さんがやさしく「朝ごはんを用意しているからね」と言って、リビングへ向かった。いたれりつくせりだ。

「あれがエルちゃんのお母さんね」

「うん。早希さんって、やさしそうなお母さんだよね」

 万智が、ちらっとわたしの顔を見た。

「どうして、しおんがエルちゃんのお母さんの名前を知ってるの?」

「え? だって、エルちゃんがそう呼んでたから」

 わたしの言葉に、万智がかたまった。そのまま、無言で髪の先をいじくりはじめる。

「……万智?」

「しおん。今回、久遠寺さんから相談を受けてから見たり聞いたりしたことを、もう一度教えてくれる?」

「え? あ、うん……」

 わたしは、久遠寺さんが教室にやってきてからのことを、全部説明した。

 ひととおり聞き終えた万智が、手で髪をはらう。

「ああ──そういうこと、か」

「あの幽霊の正体、分かったの⁉︎」

「ええ」

 そのわりには浮かない顔で、万智が言った。

「たぶんね」


 朝食の後、わたしと御子柴さんはエルちゃんの部屋に戻り、帰る準備を整えた。

 今日は土曜日だけれど、さすがにお昼ご飯まで食べていくつもりはない。

 したくを終えたあと、わたしは御子柴さんに部屋から出てもらい、エルちゃんと二人──本当は、三人だけど──になった。

 これからする話は、御子柴さんといえども、聞かせるわけにはいかないからだ。

「あの。それで、話っていうのは……」

「うん。あのね、もし答えにくければ、答えなくていいんだけど」

 わたしは、すこしだけヒザをかがめて、エルちゃんに視線を合わせた。

「早希さんって、もしかして、エルちゃんの、二人目のお母さんなのかな」


  †


「リビングにウサギのぬいぐるみがあったでしょう」

「えっと。ああ、うん。あったね」

 白いウェディングドレスを着たウサギと、黒いタキシードを着たウサギ、一回り小さな子ウサギのセットだ。

「おかしいと思わない?」

「なにが?」

「あれは結婚式の記念品よね。ドレスのお母さんウサギとタキシードのお父さんウサギ。ここまではわかるけど、『小さな子ウサギ』のモデルは誰?」

「エルちゃんでしょ?」

「もちろんそう。じゃあ、どうして結婚式の記念品に、エルちゃんがいるのかしら」

「それは──あれ?」

 エルちゃんが産まれる前にご両親が結婚したのなら、子ウサギがいるのはおかしい。

 でも、今は子供が産まれてから結婚する人も多いみたいだし。

「エルちゃんが生まれてから、式を挙げただけじゃない?」

「その可能性も、あるにはある。ただ、エルちゃんがお母さんを名前で呼んでいたことを踏まえると、別の可能性が出てくるわ」

「お母さんを名前で呼ぶの、べつに変じゃないと思うけど」

「もちろん、変じゃないわ。ただ、ぬいぐるみの件と合わせて考えれば──こうは考えられない?」

 万智が、ぴんと指を立てた。

「エルちゃんは、お父さんの連れ子である」

 連れ子。

 つまりエルちゃんのお父さんは、エルちゃんを産んだお母さんと離婚して、早希さんと再婚したということだ。

「それともうひとつ。ずっと気になっていたのよ。エルちゃんの名前について」

「名前?」

 かわいい名前だと思うけど。

「最初に御子柴さんが、『みんな、エルってあだ名で呼んでる』って言ってたでしょう?」

「ああ、うん」

「もし、『鈴木エル』が本名なら、そんな言い方すると思う?」

「……言われてみれば、たしかに」

 本名がエルなのに、「エル」ってあだ名は変だ。それはあだ名とは呼ばない。

「じゃあ、彼女の本当の名前はなにか」

「聞いてこようか?」

「その必要はないわ。『エル』というあだ名は、見た目や性格からつけられたとは思えない。つまり、本名がベースになっているはず」

 ようは、御子柴さんと同じだ。ミコシバだからミーコ。

「でも、『鈴木』って苗字はどういじっても『エル』にはならないわよね。つまり、あだ名の由来は、エルちゃんの下の名前である可能性が高い」

「つまり?」

「ヒント。彼女の誕生日はクリスマス」

 ……わからない。

 万智が、唇の片方だけを吊り上げた。

「いい、しおん。クリスマスはね、フランス語で、『ノエル』っていうのよ」

「ああ、ブッシュ・ド・ノエル」

 そういう名前のクリスマスケーキがある。ロールケーキにチョコレートクリームを塗ったケーキだ。

「あれは、『クリスマスの丸太』って意味ね」

 はじめて知った。そうなのか。のえる、だから──エルちゃん。

 でも、だとしたら、おかしい。

 タグに書かれていたイニシャルは、『E・S』。

 彼女の名前がNOELU・SUZUKIなら、『N・S』になるはずだ。

「そう。つまりあのぬいぐるみは、元々別の人の持ち物だったってこと。それを、エルちゃんがもらったの」

 たしかにあのクマさんは、くたくたに古びていた。

 そんなぬいぐるみを、エルちゃんにプレゼントする相手。

 怖がりなエルちゃんが。あのぬいぐるみを捨てられなかった理由。

 幽霊は、ぬいぐるみからあらわれた。

 なら、あの女性の幽霊の正体は──まさか。

「じゃあ、あのひとって」

「ええ。あの幽霊はきっと、エルちゃんを産んだ、もう一人のお母さんよ」


  †


 帰り道の途中。ミーコさんと別れたあと、わたしは道端の日陰に立って、そっと万智の名前を呼んだ。

「ねえ、万智」

「なに、しおん」

 夏の日差しで生まれた濃い影のなかに、万智の姿がうかびあがる。

「結局、エルちゃんのお母さんは──なにがしたかったのかな」

 万智の推理は当たっていた。

 エルちゃんの本名は、鈴木乃絵留。

 四歳のときに両親が離婚して、お父さんに引き取られたそうだ。お父さんが早希さんと再婚したのが二年前で、一人目のお母さんは、先月、病気で亡くなったらしい。

 あのクマのぬいぐるみは、一人目のお母さんからもらったそうだ。

 わたしは万智の代わりに、「死んだお母さんの霊が、ぬいぐるみに取り憑いている」と説明した。

 結果、あのぬいぐるみは、天桜寺で供養してもらうことになった。

「わたしのママは、早希さんだから」

 エルちゃんはそう言っていたけれど、やっぱりどこか、さびしそうだった。

 あの子にとって、一人目のお母さんは、どんなひとだったのだろう。

 ……どんなひとにも、いい面と悪い面がある、か。

 来週の日曜には、家族みんなで一人目のお母さんのお墓参りにいくそうだ。

「なにがしたかったか、ねえ」

 万智が、鼻を鳴らした。

「そんなの、わからないわよ。大人の考えることなんて」

 大人びた横顔が、日陰で、うすぼんやりと光っている。

「まあ、でも──さびしかったんじゃないの」

「さびしい?」

「ええ」

 万智が、聞き取れないくらいちいさな声で言った。

「幽霊は、さびしいのよ」

 どこかで、蝉の鳴く声がした。

「ねえ、万智」

「なあに、しおん」

「わたしはずっと、万智の友だちだからね」

 万智が、目をぱちくりした。

 ハトが豆鉄砲をくらったみたいな顔をした万智を見て、わたしは笑う。

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