四ノ宮しおんと図書室の幽霊
深水紅茶(リプトン)
旧図書室には幽霊が住んでいる
四ノ宮しおん様へ
入学式の日に手紙を送ってから、もう二ヶ月たっちゃった。中学生活はどう? 友だち、できた?
うちは、できました。
特別支援学校じゃなくて、ふつうの公立校だから、ちょっと心配だったけどね。
リバビリは、あいかわらず。お医者さんは、あとは気持ちの問題だーっていうけど、これがなかなか。
あいかわらずの車イスです。
あと、入学祝いでスマホを買ってもらったよ。って、これは前にも書いたか。
でも念のため。電話番号とアプリのアカウント、もう一度、書いておくね。友だち登録してくれるとうれしいな。
お返事、待ってます。いつまでも。
海堂水凪より
※※※
葛西中学校の旧図書室は開かずの間で、そこには幽霊が住んでいる。
開かずの間っていうのは、だれも入れない部屋のこと。
何年か前に、うっかり者の校長先生が、鍵を失くしちゃったらしい。
でも、そのころにはもう、広くてきれいな新図書室が完成していて、旧図書室は使われていなかったから。
先生たちは、あたらしい鍵を作ろうとはしなかった。
だから今でも、旧図書室は開かずの間。
「じゃあ、なんで幽霊が住んでるってわかるの?」
と、御子柴さんが言った。
「鍵がかかってて、入れないのに。矛盾してるよ」
「もう、ミーコってば。ウワサだよぉ、ウワサ」
御子柴さんのまわりから、明るい笑い声があがった。
御子柴さんは、白い花のヘアピンが似合うショートカットのかわいい女の子で、バスケ部の期待の星。クラスでも人気者だ。
「なんかこの学校、そういう話多くない?」
「あー、たしかに。やけに多いよね」
「えー、やだ。呪われてるんじゃない?」
きゃあきゃあとさわがしい。わたしは「四ノ宮しおん様へ」と書かれた便せんを二つに折って、文庫本の間にはさんだ。校外写生で日に焼けた腕に、スクールバッグを引っ掛ける。
席を立つと、御子柴さんが片手を上げた。
「あっ、四ノ宮さん! ちょっと待って」
「……なに?」
「さっきの授業、絵の具貸してくれてありがとね! また明日!」
ニパッと笑う。
わたしはとっさにうまい返事が思いつかなくて、顔を横に向けた。
「気にしなくていいよ」
われながら、つまらない返事だと思う。御子柴さんも、反応に困ってるみたい。
「……じゃあ、さよなら」
気まずさから逃げるように教室を出ると、後ろから声がした。
「──ミーコ、四ノ宮さんと仲いいの?」
「え? うーん、ふつう……? 今日、はじめてしゃべったかも」
「あの子、ヤバいらしいよ。この前、同小だった子から聞いたんだけどさ──」
幽霊、見えるんだって。ガチで。
ろう下に出たわたしは、そっとため息をついた。
──やっぱり、ウワサになってる……。
校舎の窓に反射した、自分自身と目が合う。
地味で暗い顔立ちと、目が隠れてしまいそうなほど長い前髪。ありきたりで個性のカケラもないセミロング。おまけに、シャツには青と黄色と茶色のシミが跳ねている。
自分でいうのもなんだけど、いかにも幽霊が視えそうな雰囲気だ……。
陰気でぼっちな霊感少女。それがわたし、四ノ宮しおん。
でも──
そんなわたしにも、ひとりだけ友だちがいる。
いつもの場所に向かって歩いていると、すずしげな声がした。
「しおん」
もう衣替えの時期なのに、真っ黒なセーラー服を着た女の子が、わたしに向かって右手をあげていた。
腰まで届きそうな黒髪と、真っ白い肌をした彼女は──
「万智」
「ふむ」
万智は、ジュニアアイドルみたいに大きな目で、上から下までじーっとわたしの姿を眺めた。
「しおん。あなた、今日の美術の時間、緑の絵の具をクラスメイトに貸したでしょう。ついでに、描いた絵は校庭の大イチョウ」
「え?」
「まったく。木の絵を描こうとしてるのに、緑の絵の具を貸してどうするのよ。あいかわらず、お人好しなんだから」
「ちょ、ちょっと、万智」
「それとも、ただ断れなかっただけ?」
「そうじゃなくて!」
「なに?」
「なんでわかったの?」
「なにが?」
「わたしが御子柴さんに絵の具を貸したことと、イチョウの絵を描いてたこと……」
万智が、にやりと笑った。
「そんなの、あなたの姿を見ればすぐにわかるわ」
長い黒髪を、ぱさっと手ではらう。
「ひとつ。シャツの裾に、絵の具がついている。これで、美術の授業があったことは明らかね。ふたつ。絵の具の色は、黄色と青と茶色。つまり、あなたは今日、この三色の絵の具をたくさん使ったということ」
「……それは、合ってる、けど」
「みっつ。腕のあたりが、日に焼けて赤くなってるわ。長い時間、校庭にいた証拠ね。体育の可能性もあるけど、Cクラスは先週からバレーボールでしょう? よって、校庭にいた理由は美術の授業で絵を描くため」
わたしは赤くなった腕を見下ろした。日焼け止めのクリーム、ちゃんと塗ったんだけどな。
「よっつ。この季節、校庭に黄色いものなんてほとんどない。ヒマワリはまだ咲いていないしね。じゃあ、私の親友は、いったい何に黄色の絵の具を使ったのか」
「……青い絵の具と混ぜて、緑色の絵の具を作った」
「そのとおり。校庭で、緑の絵の具と、茶色の絵の具をたくさん使って描くものなんて──あの大イチョウくらいしかないわ」
たしかに。
他にも木はあるけど、絵に描くなら、だれだってあの大イチョウを選ぶだろう。
「そして、わざわざ色を混ぜて作ったということは、緑の絵の具が手元になかった──誰かに貸してしまった、ということ」
「……もしかしたら、緑の絵の具だけ切らしてたかもしれないでしょ」
くやしまぎれに、そんなことを言ってみる。
万智は、くすくすと笑った。
「ばかね。中学一年生の六月の授業で、どうして絵の具が切れるのよ」
それはそうだ。
「落として踏んだとか、失くしたとか」
「そんなに長い付き合いでもないけれど、私、しおんの物を大事にするところ、わりと好きよ」
はいはい降参。わたしは両手を上げた。
万智の言葉は、すべて当たっていた。
今日の美術の授業は風景画で、課題は校庭の大イチョウを描くこと。
でも、たまたま隣にやってきた御子柴さんが、「緑の絵の具が無い」「失くしちゃったかも」と困っていて。
だから、貸してあげたんだ。青と黄色の絵の具があれば、緑は作れるから。
「じゃあ、ご納得いただけたところで、今日も行きましょうか」
「うん」
階段を上がって、二階へ。角を曲がって、三番目の扉。
そこが、旧図書室だ。
わたしは引き戸に手をかけた。引っかかって開かない。
「鍵、かかってるよ」
「戸締りは大事でしょ」
「そうだね」
旧図書室には鍵がかかっている。そして、職員室にも鍵はない。
開かずの間。
中に入るには、それこそ、住み着いている幽霊に鍵をあけてもらうしかない。
そう、たとえば──わたしみたいに。
「待ってて。今、開けるから」
万智が、すうっと扉を通り抜ける。
すぐに、「カチャン」という鍵の開く音がした。
引き戸を開けると、本だなの間に万智がいる。ほの暗い影の中で、彼女はうっすらと光っていた。
「いらっしゃい、しおん」
「うん。来たよ、万智」
千堂万智。
この学校のだれよりきれいで賢い、たった一人のわたしの友だち。
彼女は、旧図書室に住む幽霊だ。
†
「それで、しおん? そろそろ、友だちはできた?」
「うるさいな。いつも言ってるでしょ。わたし、人間の友だちなんていらないの」
「あらそう」
ふわりと浮いて、空っぽの本だなに腰かけた万智が、にやにや笑った。
「あいかわらず、孤高の霊感少女なわけね」
「好きで見えてるわけじゃないけどね」
わたしがはじめて幽霊を見たのは、四年生の音楽の授業中だった。
小学校の音楽室で合唱をしていると、クラスメイトが「増えている」ことがあった。いつの間にか、しらない女の子が列に混ざっているのだ。
どうして先生は、なにも言わないんだろう。学級委員の宮川さんも、隣に立っている柳さんも。
そう思って、親友の水凪に相談したら。
「え? そんな子、いないよ」
……そのとき感じた怖さは、今でもよく覚えている。
似たようなことが何度かあって(なにしろほとんどの幽霊は、ふつうのひとと見分けがつかない!)わたしは、葛西小いちの霊感少女の名を欲しいままにした。
この葛西中には、わたしと同小の子が何人もいる。入学式のあと、あっという間に霊感少女の悪名は広まり、わたしはひとりぼっちで中学生活をスタートすることになったというわけ。
まあ、でも、大丈夫。
「あの事故」が起きてから、わたしは他人と関わることをやめた。ウワサになって悪目立ちするのはイヤだけど、友だちがいないのは構わない。
わたしは、自主的なぼっちなのだ。
……そう思っているときに出会ったのが、万智だった。
──へえ。あなた、私のことが見えるのね。
どういうわけか、幽霊である彼女は、旧図書室に住み着いているらしい。
できるだけ他人とは関わらない、と決めたわたしだけど、万智は特別。なにせ幽霊で、人間じゃない(?)し。
放課後、お母さんが家に着くまでの間、ここで万智とおしゃべりをして時間をつぶすのが、最近のわたしの日常だ。
「ところで、今さらなんだけど」
わたしは、ふわふわしている万智に問いかけた。
「幽霊なのに、鍵にさわれるの?」
わたしの質問に、万智は、手も触れずに備品の椅子を持ち上げてみせた。
「まあ、一種のポルターガイストね」
「ぽる……なに?」
「幽霊が引き起こす現象のことよ。騒霊現象」
誰もふれていないのに、皿が飛ぶ。無人の部屋から、物を叩くような音がする。
そういう心霊現象が、世界各地で発生しているらしい。
中にはデマもあるだろうけれど、ここにこうして万智が存在している以上、ホンモノの心霊現象も存在しているのだろう。
「へえ、はじめて聞いた」
「しおんってば、しっかり見えるわりには、幽霊とか心霊現象に興味がないわよね」
「だって、なんか怖いもん」
「おまけに怖がり。私も怖い?」
「万智は例外」
ふふん、万智が上機嫌そうに鼻を鳴らした。
その翌日。
昼食を終えたわたしは、自分の席で文庫本を開いていた。
いつもどおりの時間。だけど、今日は違っていた。
「ねえ、四ノ宮さん」
顔を上げると、人気者の御子柴さんがいた。
……なんだか顔色が悪い、ような。
「何か用?」
「うん、その。あの、ね」
彼女はあたりをはばかるように、わたしの耳元に口をよせて、ちいさな声でささやいた。
「四ノ宮さん、幽霊が視えるって──ホント?」
え?
「もし本当なら、相談にのってほしいんだ」
そう言った御子柴さんの目は、とても真剣で。
わたしは思わず、うなずいてしまった。
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