1.豚もおだてりゃ木に登る。
「えー、近衛さん。……ヒビが入ってますね」
「あらー……」
アークデイモンとの戦闘から数日が経って。
腕の痛みが引かないので、市街地の整形外科に診察にきてみた。触診を終えてからレントゲンで確認をしてみると、骨に綺麗なまでの線が一本。素人目に見てもハッキリしており、近所のオバちゃんみたいな声が出てしまった。
以前の火傷といい、今回の骨折といい、ダンジョン配信者は過酷である。
そう思っていると中年医師が、こう訊いてきた。
「ちなみに、原因を聞いても?」
「あー、仕事……ですかね?」
「なぜ疑問形なんですか?」
「金銭が発生しないので」
「それは、仕事ですか?」
「………………」
俺は思わず声を失う。
そして数秒の間を置いてから、こう考えるのだ。
「(よく考えたら、仕事じゃないな……)」――と。
医者に指摘されて改めて、自分の置かれている状況を思い出した。
そうだった。俺はいま、求職中の身だったのだ。幸いなことに、保険証などについては親の扶養に入っているので大丈夫だが、完全に失念してしまっていた。
俺は配信者であるが、世間的に見れば無職のオッサンでしかない……!
「あの、近衛さん。なぜ、うな垂れておられるのですか……?」
「……気にしないでください、先生。現実を思い出しただけです」
「そ、そうですか……」
口から魂が抜けてしまっている俺を見て、困惑する医師。
こちらの回答に、彼は苦笑しながらこう言った。
「とりあえず固定して、痛み止めと湿布を出しておきますね」
「はい……」
俺は薬の簡単な説明と、固定の施術を受けながら思う。
切実に、物凄く真剣に――。
「(は、働かないと……!!)」
◆
地元に帰ってきて、気が付けばもう五月になっていた。
世間はいまゴールデンウィーク真っ只中で、街を歩いていると家族連れの姿をよく見かける。俺はそんな人の細波を軽く避けながら、真っすぐにハローワークへ向かっていた。
妙な焦燥感に襲われているのを自覚しつつ、しかし行かねばならない。
「最近、親の視線が冷ややかな原因はこれだったか……」
思えば食事時の会話でも、それとなく新しい仕事のことがあったような。
俺は聞き流していたが、母親にとっては不安でしかなかったろう。ダンジョン配信のことばかりで頭がいっぱいだった自分が、ひどく情けなく思えてきた。
ごめん、かーちゃん。
俺、頑張って仕事を探すよ……。
「トホホ……」
などと、暗い表情歩いていると。
「あ、そこのオジサン! ちょっと、良いかな?」
「……え、俺?」
「そう! 死んだ魚みたいな目をしてる!」
何やら、小柄な少年に声をかけられた。
帽子を深く被っているので、顔立ちまではよく分からない。
いったい、どうしたというのだろう。こちらが首を傾げていると、少年は確認するような口調でこう訊いてきた。
「オジサン、ってもしかして……配信者の『たっちゃん』じゃない?」
思わぬ言葉に、俺はとっさに背筋を伸ばした。
まさか市街地とはいえ、田舎の一部であるここで名前を呼ばれるとは。完全に想定外だったし、よもや自分の名前が知られているとは考えもしなかった。
なんだろう、いま凄く感動している。
こんな無様な無職でも、存在を認知してくれている人がいるのだ――と。
「あ、あぁ……そうだけど?」
「わあ、すごい! 僕、たっちゃんの大ファンなんです!」
「だ、だだだだ、大ファン!?」
「はい! モンスター討伐のアーカイブは全部見てます!」
「ま、マジか!?」
さらには、そんなことを言われてしまうと有頂天。
まさに天にも昇る気持ち、というやつだった。だから――。
「これからも、楽しみにしてますね!」
「あぁ! 毎日配信するから、期待してくれよな!!」
――そんな調子の良い言葉も、サラっと言ってしまう。
「握手、いいですか!」
「もちろん!」
「ありがとうございます! それじゃ!!」
そして、怪我をしていない方の手で少年と握手して。
気分良く踵を返してから、思うのだった。
「(いや『毎日』って、なに言ってんだ俺……!?)」
あまりにも馬鹿な自分に、大きなショックを受ける。
俺はガシガシと頭を掻き毟るのだった……。
◆
「玲音さま、あちらの男性でございましたか?」
「あぁ、間違いないよ。……爺や」
達治と握手をして別れた人物――玲音は、大きなリムジンに乗り込んで使用人に告げる。そして帽子を取って、肩ほどまでの綺麗な金髪を露わにした。
左右で違う色をした瞳を輝かせ、玲音は口元に笑みを浮かべて言う。
静かに、窓越しに達治を見ながら。
「ようやく、見つけたよ……」――と。
その声には、どこか仄かな敵意が香っているのだった……。
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