【承ノ章】

 主人夫婦から今回の“計略”について聞かされたフウタは、最初に驚き、次に恐れ──しかし最後には首を縦に振った。


 無論、実明らは嫌と言ってもやらせるつもりではあったが、どうせなら本人の同意があったほうが望ましいのも事実だ。

 理由を問われたフウタは正座したまま、視線を自分の膝のあたりへと落としつつ、「旦那さまにも奥さまにも、屋敷の皆さまにも、ひとかたならぬ御恩をいただきましたから……」とポツリと告げる。


 これにはさすがの橋元夫妻も胸をつかれた。

 もとより、今回のことがなければ、屋敷の皆で孫のように可愛がっていた子なのである。


 しかし、天下の大事に私情は禁物。謝罪の言葉をグッと堪え、実明は「助かる」と短く感謝を示した。

 妻の藤乃はもう少し感傷的で「ごめんね、ごめんね」とフウタを抱き寄せ、胸元にかき抱いている。

 この時代としてはそろそろ初老の域に手が届く藤乃だが、フウタは彼女の抱擁に亡き母の面影を感じ取り、改めてこの方達のお役に立とうと決意を新たにするのだった。


 翌日から、フウタは屋敷の下働きの役目を外され、宮古の郊外にある橋元家の別荘で雑色見習いとして働くことになる、と屋敷の者達には告げられた。

 また、別荘には藤乃が赴き、「気鬱の病」を発した数宮を迎えて療養させることも、対外的には発表された。

 すでに耳の早い宮古雀達は数宮の将軍家降嫁の話をどこからともなく聞きつけており、「宮様が気鬱になられるのも仕方ない」と同情的な声が大きかった。


 そうして、数宮が別荘滞在中にフウタと宮の入れ替わりのための教育が行われたのである。


 数宮には、雑色見習いなら知っているべき最低限の知識や技能を。

 そちらはさほど困難ではない。なんといっても幼いころからそういう雑色や家人にかしづかれて育った貴人(それも最上級の)子なのだ。基本的なことさえ教えれば、見よう見真似くらいは何とかなった。


 対して、フウタに対する「宮古から下向した帝族の女性」としての体裁を整えるための教育は、困難を極めた。

 フウタが愚鈍であったわけではない。むしろ、先にも述べた通りこの年頃の下々の出身としては非常に優秀だったと断言できる。


 それでも、本来なら物心ついてから10年近くをかけて覚えるべき事柄を、わずか数ヵ月で詰め込もうとするのは不可能に近い難事だ。

 学識だけではない。帝族女性としての礼儀作法はもちろん、数宮の自身の振る舞い、癖などもできるだけ覚えなければならないのだ。

 フウタが以前から読み書きその他の基礎的な手習いを受けていなければ、絶対に不可能と言えただろう。


 しかし、三度目の月の満ち欠けを迎える頃、実明の妻の藤乃は、その難事をどうにかやり遂げていた。


 無論、フウタ自身の不断の努力もあったが、この場合、称賛されるべきは、臨機応変にフウタの教育予定を組み、それを実現、習得させた彼女の労によるところが大きい。


 匡の宮古に残る数宮はともかく、栄都に行くフウタにとって、正体がバレることは即、身の破滅だ。

 年端もいかない子どもに無理難題を押し付ける以上、できる限りその危険性を減らしてやりたい、と思うのは藤乃にとっては当たり前のことだった。


 幕府からの催促もそろそろ限界を迎える頃合いだったため、実明も同席したうえで、いよいよその日、家宝の枕を使用することになった。


 今、人払いした寝屋では数宮とフウタという、身分も性別も年齢も生い立ちもすべてが異なり、唯一背格好のみが近い少女と少年が枕を並べて眠りについている。

 実明と藤乃が夜を徹して見守る中、夜半過ぎに唐突にぼうっとふたりの身体が寝具や枕ごと光に包まれた。


 次の瞬間、数宮の丈長い黒髪がひとりでにするすると縮み始め、対して肩ぐらいに切り揃えられていたはずのフウタの髪が伸び始めた。

 うっすらと寝化粧を施されていた宮の顔から白粉や紅が剥げ落ち、代わりにフウタの顔にそのきざしが現われる。


 最後に、寝具の端から覗くふたりの白い寝間着(この日のために同じモノを揃えていた)の襟合わせが、どのような仕組みか逆になった。おそらくは寝間着そのものも交換されているのではないだろうか。


 と、そこまで確認したところで、夫妻は先ほどまでフウタであったはずの少年のことを、気を抜くと数宮だと認識してしまいそうなことに気付いて愕然とした。逆もしかり。

 髪型や化粧などは変わったとは言え、よく見れば顔立ちそのものが変化しているわけではないにも関わらず、だ。


 幸いにして、向かって右に寝ていたのがフウタ、左が数宮ということはキチンと覚えていたので、それ以上の混乱は避けられたが。


 躊躇いがちに「数宮」にしか思えないフウタを揺り起こす実明。隣では妻が「フウタ」に見える宮に呼び掛けている。


 眠い目をこすりながら起き出したふたりは、確かにフウタが「数宮」に、数宮が「フウタ」に“為って”いるようだ。言葉遣いは、当初元のままであったが、実明が注意を促すことで、すぐに現在の“立場”に相応しい物言いをごく自然にできるようになる。

 どうやら、これもかの箱枕の能力の内らしい。確かに、迂闊な言葉遣いひとつで正体がバレるようでは、本物の秘宝としてはあまりにお粗末であろう。


 しかも、後に判明したのだが、単に言葉遣いが立場に応じただけでなく、御所内部の地理や人間関係などについても、いつの間にか元・フウタであるはずの「数宮」の頭に入っていたのだ。

 これについては、藤乃や本物の数宮自身が折に触れて教え込んでいたとはいえ、そこまで完璧に覚えていたわけではないはずなので、やはり秘宝の力の干渉があったのだろう。


 ともあれ、既に賽は投げられたのだ。

 一通りふたりの状況を確認した後、「数宮」は迎えの馬車に乗って御所へと“帰り”、「フウタ」はそのまま何食わぬ顔で橋元家の屋敷で雑色として勤めることとなった。


 今まで箸より重いものなどロクに持ったことなどないはずの「フウタ」(元・数宮)を働かせることを、橋元夫妻は懸念していたのだが、そもそも(本物の)フウタはまだ数えで十三歳であり、また屋敷の皆にも可愛がられているので、無茶な重労働などは他の使用人たちもさせたりしない。


 その御蔭もあってか、十日ほどの時間が過ぎる頃には、本来やんごとなき方のご令嬢であったはずの「フウタ」は、すっかり“実明たちのお気に入りの新米雑色”としての暮らしに適応するようになっていた。


 夜半、こっそり夫妻の自室に招かれ、「辛いこと、困っていることはありませぬか?」と問われても、「退屈な御所での生活より、大好きな藤乃やその夫の実明──いえ、主様ご夫妻のそばにいられる今の暮らしのほうがむしろ楽しいくらいです」とニコニコ微笑みながら語る程だ。

 実の娘同様、いやある意味それ以上に数宮のことを大事にしている橋元夫妻も、これにはどう応じればよいのか困ったが、「まぁ、不都合がないならよいだろう」と、とりあえず現状維持を心掛けることにする。


 さて、「フウタ」の立場に“為った”数宮の方はそれでいいとして、逆に「数宮」の立場に“為った”フウタの方は流石に何の支障もなし、というわけにはいかなかった。

 頭の中におおよそ必要な知識が備わっているとは言え、とっさの対応などにはどうしても咄嗟の反応の遅れや戸惑いは隠しきれない。


 しかしながら、それも「意に染まぬ婚礼が近づいたため、気鬱になって、ボンヤリしておられるのだ」と周囲が勝手に解釈してくれたため、特に大きな問題にはなっていなかった。


 逆に、(実質娘を人質にやることになる)御帝が気を利かせて、栄都に下向する前日に、再び橋元邸へ挨拶しに顔を出す時間を与えられたくらいだ。


 たかだか3月ばかり離れていたとは思えぬほど、橋本家の屋敷は「数宮」にとって懐かしく──それだけに明日旅立てば二度と来ることができないのが寂しく感じられた。


 「旦那さま、奥さま──いえ、実明、藤乃、どうか身体に気をつけて、いつまでもお元気でいてくださいね」

 「フウ…子さまも、くれぐれもご自愛ください」

 「ふう、こさまのことは、畏れながら臣どもは本当に我が子のように思っておりました。それがこんなことになってしまい……」


 それ以上は愚痴になる。そう分かっていても、藤乃は口に出さずにはいられなかった。

 けれど、「数宮」自身がゆるゆると首を横に振り、彼女の繰り言を止めさせる。


 「わたくしが将軍様に嫁ぐことで、宮古と栄都に、ひいてはこの国に僅かなりとも平安をもたらせるのです。そのことであなた方も含めて助かる人がいる。それで十分です」


 ほんの数日前まで雑色見習いの小童であったとは思えぬほど立派な「数宮」の言葉に、実明と藤乃は様々な意味で涙を隠しきれないのだった。

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